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古代日本の転換点20-桓武天皇と最澄

2016/09/24(Sat) Category : 神社・寺・城・歴史
【古代日本の転換点】

仏教を排除しては民衆を味方に付けることが出来ないことを悟った桓武は、藤原神道に加えて仏教の側面でも手を打つ必要性に迫られました。けれど東大寺仏教は、「1-遣唐使秘話~阿倍仲麻呂、吉備真備、鑑真」で見たように、唐から失明してまで命がけでやってきた鑑真が開いた由緒正しき仏教(755~)。その東大寺を超えなければなりません。

 
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古代日本の転換点19-桓武天皇が早良親王の御霊を恐れたわけ

2016/09/23(Fri) Category : 神社・寺・城・歴史
【古代日本の転換点】

さて、「楽毅論」で理論武装して「鬼」となった安宿媛は、自らを「積善藤家」を背負う第一人者となし、「藤三娘」と名乗って藤原仲麻呂を新パートナーとして抜擢し、藤原独裁に走りました。その母(光明皇后)対娘(孝謙→称徳天皇)闘いは、「9-聖武&孝謙天皇(父娘)vs光明皇后&藤原仲麻呂(不比等の子と孫)」「10-称徳(孝謙)天皇の道鏡事件の本質」で見たとおりです。

結婚を禁じられて子がなかった称徳天皇は、神武以前の大和の王ニギハヤヒの末裔である弓削道鏡(物部氏)を天皇にしようと画策しますが、和気清麻呂に阻まれ、無念の内に亡くなります。

 
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古代日本の転換点18-「楽毅論」~「光明」を捨て「藤三娘」に込めた決意

2016/09/21(Wed) Category : 神社・寺・城・歴史
【古代日本の転換点】

気持ち=自己存在の本体ですから、心で生きている人は自分の存在証明などいりません。けれど、気持ちを封じて役割(脚本)で生きている人は、自己存在が希薄ですから自分の存在価値を常に確認(証明)し続けなければ不安でなりません。

そのために「使命」を見つけ、それに邁進し、結果後世の人から「偉人」と見なされる人は多々あります。けれど、天変地異ほか何らかによってその道が閉ざされた時、本当はそのときこそ自分と向き合うチャンスなのですが、得てしてそれはなされず、次なる「使命」を探すことになります。

 
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古代日本の転換点17-道が分かれた聖武天皇と光明皇后

2016/09/20(Tue) Category : 神社・寺・城・歴史
【古代日本の転換点】

光明皇后は、聖徳太子(蘇我入鹿)鎮魂のためと自分の宿命を乗り越えるべく、その教えを実践する道に邁進し善行を積みました。その人生第一幕は、法隆寺に夢殿を作り、そこに太子等身像を葬ることで幕を引きました(739)。

両親から愛を得られなかった子供は何かにすがりますが、安宿媛が代理父としてすがったのは藤原四兄弟の次兄、藤原房前でした。その 房前が見てくれていればこそ、「光明子」という別人になって頑張ることができたのでしょう。

 
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「君の名は。」 瀬織津姫

2016/09/18(Sun) Category : 映画
「君の名は。」見ましたか?




 
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古代日本の転換点16-書かれた時代と書かれたものでわかる「いろは歌」の秘密

2016/09/17(Sat) Category : 神社・寺・城・歴史
【古代日本の転換点】

聖徳太子は蘇我入鹿だった。
必然的に導き出された結論に私自身が驚いてしまったわけですが、その証拠が「いろは歌」なんだなぁと思いました。ちょっと光明皇后から横道に入りますが・・・その話に入る前に―


 
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古代日本の転換点15-光明皇后が恐れ憎んだ聖徳太子の正体

2016/09/16(Fri) Category : 神社・寺・城・歴史
【古代日本の転換点】

●無残に打ち砕かれた安宿媛の夢、失われた現実との絆-----------------

呪われた自分の宿命から救われるべく「金光明経」と「法華経」に光を見いだし、「13-聖徳太子の遺志を継ぐ聖武天皇と光明皇后」で見たとおり、まるで聖徳太子の手足となって働いた安宿媛。

それはまるで、聖徳太子を「代理父」となし、「金光明経」のエピソードに出てくる女性・福宝光明を「代理母」とみなし、自分はその子供であるかのように通称を「光明子」(光明の子)に代えてまで善行を積むことを自分に課した安宿媛。

 
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古代日本の転換点14-「光明」という通称に込められた安宿媛の悲願

2016/09/15(Thu) Category : 神社・寺・城・歴史
【古代日本の転換点】

前記事で、聖武と光明が聖徳太子の意志を継ぐかのように行動していたことがわかりました。

聖武天皇が、「天照(アマテル)+瀬織津姫」を、聖徳太子の教えを利用して「国分寺+国分尼寺」&「金光明経+法華経」の形で日本全国に再復活させようとしたことはわかりましたが、加えて興味深いのは、光明皇后が20年にわたって法隆寺に喜捨し続けていることです。

 
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古代日本の転換点13-聖徳太子の遺志を継ぐ聖武天皇と光明皇后

2016/09/14(Wed) Category : 神社・寺・城・歴史
【古代日本の転換点】

光明皇后が鎮魂したのは、藤原一族が滅ぼした長屋王ではなく聖徳太子でした。安宿媛にとっては、自分が生まれる約80年前に亡くなった人物が聖徳太子(現代の歴史年表上では)。けれど、わずか80年であれば、どういう人物でどのように亡くなったのかは生々しく伝わっていたことでしょう。

さて、聖武天皇及び光明皇后の仏教に関わる出来事を挙げてみましょう。


 
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古代日本の転換点12-光明皇后が鎮魂したのは長屋王ではなく聖徳太子

2016/09/13(Tue) Category : 神社・寺・城・歴史
【古代日本の転換点】

先の年表を見ながら、安宿媛に注目して歴史を眺めてみましょう。

●安宿媛を皇后にするため長屋王一族を葬る--------------------------

716年、安宿媛(あすかべひめ)は首皇子(聖武)の皇太子妃となります。
718年、阿倍皇女(孝謙)が誕生。

720年に不比等が薨去し、藤原氏の氏寺である興福寺は国営とされます(造興福寺仏殿司という役所創設)。その後、興福寺は大和の土地を所有し、隆盛を誇っていきますから、藤原氏の勢力のほどがうかがわれます。その藤原一族の目の上のたんこぶが長屋王。

 
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