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人類は、シンゴジラ(地球の化身でありテーマ)にどう向き合うのか?

2016/08/28(Sun) Category : 映画
【私は映画を見る際に事前に調べていかないので、純粋な発見や驚きがあります。この記事はネタバレ内容が含まれていますので、ご覧になっていない方は見られた後に読まれた方がいいでしょう】


『シン・ゴジラ』予告


 
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講座「あるがままの自分を取り戻す方法」Ver3完成!

2016/07/19(Tue) Category : 家族心理・子育て講座
講座「あるがままの自分を取り戻す方法」のプレゼン資料が2012年にVer2となりましたが、久々に改訂しました。

「汝自身を知れ」のパートを、「脚本人生劇場編」と「存在不安からの逃走編」の2つにわけました。

人は、「内なる不安」から逃げようとして無意識に「小さいちゃん」に蓋をし、「脚本ちゃん」全開で突っ走っています。

つまり、
・脳内母親のための脚本人生
・自分が不安から逃げ切るための行動
の2本立てで、この貴重な人生の時間をつぶしているわけですが、それぞれを説明するために分けました。

 
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古代日本の転換点10-称徳(孝謙)天皇の道鏡事件の本質

2016/07/04(Mon) Category : 神社・寺・城・歴史
【古代日本の転換点】

前記事で、藤原仲麻呂を主軸に聖武&孝謙天皇(父娘)vs光明皇后&藤原仲麻呂(不比等の子と孫)の闘いを見ましたが、ここでは孝謙天皇の立場から見てみましょう。

記事1、5の主な登場人物。
阿倍仲麻呂(698-770)
吉備真備 (695-775)(下道氏or加茂氏)
玄昉   (?―746)(阿刀氏)
鑑真    (688-763)

 
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古代日本の転換点9-聖武&孝謙天皇(父娘)vs光明皇后&藤原仲麻呂(不比等の子と孫)

2016/07/01(Fri) Category : 神社・寺・城・歴史
【古代日本の転換点】

反藤原のシンボルタワー東大寺大仏殿を作り上げ、さらに東大寺の盧舎那仏(アマテル)と宇佐神宮の比売大神(瀬織津姫)を招喚して、縄文を含む旧勢力を結集した聖武天皇は、大仏開眼の3年後に亡くなります。

藤原との闘いは娘孝謙へと引き継がれました。
それは、裏で糸を引く母(光明皇后)との闘いでもありました。

さて、人は皆「親の子」と「子の親」の狭間を生きています。子どもを満喫しなければ大人になれませんし、子を産んだからとて親になれるものではありません。親になるには親としての自覚が必要です。

 
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古代日本の転換点8-東大寺(盧舎那仏)と宇佐神宮(比売大神)の神仏習合の意味

2016/06/30(Thu) Category : 神社・寺・城・歴史
【古代日本の転換点】

「神道vs仏教」に見えていた闘いの本質は、「藤原神道システム」vs「東大寺仏教システム」の闘いでした。その下に伏流していたのは「藤原神道」vs「物部神道」であり、物部神道が袈裟の衣を着ていたわけです。

その勢力を結集しようとしたのが聖武天皇であり、国分寺造営とその総本山としての東大寺造営は反藤原の拠点作りであると同時に、藤原神道システムを形骸化させるものでした。

 
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古代日本の転換点7-「藤原神道システム」vs「東大寺仏教システム」

2016/06/29(Wed) Category : 神社・寺・城・歴史
【古代日本の転換点】

藤原一族との暗闘の中で仏教にすがった聖武天皇。
現在でも世界最大の木造建築物と言われる大仏殿。最初に出来たものは、現存するものよりさらに大きかったそうですから、聖武の意欲には並々ならぬものがありました。

TodaijiDaibutsuden.jpg
ゆんフリー写真素材集より)

 
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古代日本の転換点6-「物部神道」vs「藤原神道」(国津神vs天津神)

2016/06/28(Tue) Category : 神社・寺・城・歴史
【古代日本の転換点】

前記事で、「吉野の盟約」で6皇子が無力化され、6皇子から天皇は生まれず、その孫の文武が天孫降臨神話の通りに即位したことまで見ました。藤原氏との闘いは文武の子どもである聖武以降に持ち越されました。まず、聖武天皇の闘いを見ていきましょう。

記事1の主な登場人物。
阿倍仲麻呂(698-770)
吉備真備 (695-775)
玄昉    (?-746)
鑑真    (688-763)

 
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古代日本の転換点5-「吉野の盟約」で封印された6皇子

2016/06/27(Mon) Category : 神社・寺・城・歴史
【古代日本の転換点】 (まず前記事をお読みください。理解が深まります)

天武と優秀な皇子たちの平和への誓い。ところがそれにもかかわらず、まるで盟約に反しでもしたかのように次々と非業の死を遂げていく皇子たち。

こういうときに、私は事実(因)と事実(果)を見ます。
密約の中身を部外者が知るはずもありませんが、「日本書紀」は、それをまるで見てきたように書いています。実際はどうあれ、天智王朝(藤原王朝)を築き上げる意図を持って書かれている「日本書紀」が、この吉野の会合という事実をどのように利用しているのか。書かれていることを見れば、自ずとその意図も見えてくるでしょう。

 
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古代日本の転換点4-持統天皇(アマテラス)vs瀬織津姫

2016/06/24(Fri) Category : 神社・寺・城・歴史
【古代日本の転換点】

前記事で鸕野讃良が計画的に次々と天武系の皇子たちを葬ってく様を見ましたが、葬ったのは人間だけではありません。自分たちの神話を作るために、神々をも葬っていきました。

「瀬織津姫物語(セオリツヒメ)」でも書きましたが、持統天皇は地域の各神社の祭神を瀬織津姫以外に変えるように命令しました(瀬織津姫から弁財天に変えるなど)。抵抗する神社は迫害にあったり、殺されたりすることもあったようで容赦はありませんでした。

 
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古代日本の転換点3-鸕野讃良に葬られた天武系皇子たち

2016/06/23(Thu) Category : 神社・寺・城・歴史
【古代日本の転換点】

前記事で、県犬養三千代(橘三千代)に焦点を当ててこの時代を見てきましたが、天武の皇子たちが次々に犠牲になっていきました。天孫降臨神話まで用意して文武を天皇にした挙げ句、その文武まで殺すわけですから、持統&不比等の野望は徹底していました。文武の子、聖武も危なかったですが、聖武がかろうじて踏みとどまりましたね。

ここでは、天武系の優秀な皇子たちが、どのようにして葬られていったのかに焦点を当てます。持統が擁立した文武から遡っていくと、たどり着いたのは「吉野の盟約」でした。が、その前に天武及び皇子たちがどのように葬られたのか―そこを見てみましょう。

 
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