我慢する人
こうして、存在不安の強い親はわが子を自律できないように育て、自分から逃れられないように縛り付けます。ところが、親という監獄の中に閉じこめる一方で、子どもは気持ちを聴いてもらうことは叶いません。
■5,『感情を出すな』という禁止令-------------------------
「みんなそうなんだから、自分のことだけじゃなく相手のことを考えろ」
「生身の人間だからそんなこともある。でも、みんなそうだよ」
「苦しいのは、お前だけじゃない。だから、我慢しなさい」
「それくらいのことでがたがた言うな」
「そんなのたいしたことじゃない」
「つまらん愚痴を言うな」
心のコップが一杯一杯で、子どもの感情を受け止めることができない親。自分も親に気持ちを受け止めてもらったことがなく(受け止められ体験がなく)、わが子が気持ちを言うことに腹が立つ親―そういう親は上記のようなことを言って、子どもが気持ちを言うことを封じようとします。
時には、「人様の悪口を言うんじゃないよ。その人のいいところを見て付き合うようにすればいい」-などと、あたかも躾の形を借りて。翻訳すれば、「私は一杯一杯だから、お前の気持ちを聴く気なんてないよ。だから自分で処理しな」と、自分に向かって感情を吐き出さないように巧妙に禁止令を出しているんですね(--;)。
あまつさえ、「お母さんはねぇ…」とか、「お父さんの小さい頃はなぁ…」とか、ここぞとばかりに自分の苦労話をしようとさえします。受け止めるどころか自分の方が吐き出したくてたまらないのです。
しかし、辛い、苦しい、哀しい、寂しい、切ない、腹立つ、悔しい、恥ずかしい、痛い……受け止めてほしいいろいろな感情。それらの気持ちを言ったとき、上のようにあしらわれたら、どうでしょう。
親は受け止めようともせずに門前払い。門前払いを受けた子どもは、感情を出すこと自体が悪いことであり、わがままだと思ってしまうのです。すると、感情を抱え込んで出せない苦しい生を生きることになります。
追い打ちをかける言葉は、「お前は取るに足りない」と被さってくる。ディスカウントされるわけですね。これでは、自分が悪い、我慢が足りないと思って自分を責めるようになってしまいます。
さらに、「みんなそうだよ」「我慢しなさい」「たいしたことじゃない」…と言われ続けたら、終わりがありません!! 一体どこまで我慢すれば、この親は自分のことを認めてくれるのだと、無間地獄を生きることになります。
しかし親は、自分が抱え込んでいる自分の親に対する怒りや愚痴、恨み辛みのはけ口がほしいために、わが子が無間地獄にいることなど気づこうともしません。
あるいは、親が我慢の人生を生きていれば、その親に認めてもらうためには我慢するしかありませんから、子も我慢の人生を歩くようになります。
大変な夫と結婚し、子も荒れ、我が身も半身不随となり、ボロボロになってしまう人もいます。なぜ、私にばかり不幸が次から次への起こってしまうんだ、と思われている方。実は…「どこまで我慢すれば、あんたは私を認めるんだ!!」と、親に「我慢している自分」を認めさせんがためだけに自分の人生を投げ打っていることがあるのです。
子どもの終わりなき地獄をストップさせるために親がなすべきことは、自分自身が人生を楽しく生きることなのです。
あるいは、そのように生きている方へ。あなたはもう十分に親のために尽くしました。もう自分のために生きてください。どうか、自分の人生脚本に気づき、生き直しをスタートさせてください。
ハッキリ言います。
「我慢は不徳」!
加えて言います。
「気持ちを言わないことが社会劣化を招く」
これらは、苦しまれている多くの方々と接して得た結論です。
ですからどうぞ、
「あるがままの気持ちを言ってください」
そして、
「自分の思いで人生を歩いてください」
<続く>