20代の心の病~戦争後遺症という視点
「今」の20代の生きづらさや心の病の背景に一つに、その親、そのまた親-つまり、3世代前の環境が大きく関わっていると言えば、おそらく信じられないかもしれない。何しろ、犯罪が起こる度に精神鑑定まで持ち出して、とことん本人のせいにしてけりをつけようとする「時代」である。
けれど、本人が自分の力だけで生きていると思っている人であっても、人は、連鎖の中で生きている。
さて、「マズローの欲求5段階説」を別枠で開いて見ていただくと分かりやすいと思う。
過酷な戦争を生き抜いてきた世代は生理的欲求を満たすことさえままならなかった。
それで、平和になって安全欲求が満たされた時点でありがたいと思って生きている。
つまり、身体的欲求が保障された時点で欲がなくなり、それよりも高次の欲求に対して感度が鈍い。どころか、自分たちの苦労に比べればそれを求めるのはぜいたくだと感じている。
しかし、愛情欲求・承認欲求は、戦時平時に関わらない、人間の根源的な欲求だ。
むしろ、身近に自然の癒しがあり、地域社会が生きており、兄弟も多く、人が様々な形で支えられていた3世代前よりも、個室で個食の隔離社会となった現代の方が愛情飢餓は深い。
さらに共生社会だった3世代前よりも、競争社会がきわまっている現代の方が、親からの押しつけと急かしに遭い、あるがままの自分とペースで生きることができず、ストローク飢餓も深い。
物質面で豊かになったことで目くらましされているが、精神的飢餓は現代ほどどん底に落ちた時代は、かつての日本にはなかったのではないだろうか。心貧しき時代である。
しかし、心の問題であるために、それが目には見えない。
3世代前は、過酷な環境の中で子どもたちを受け止めないままに生きてきたことに気づいていない。自らが「受け止められ体験」がないために、あるいはそれ以上に戦争という苦労の体験が大きく、気づかないのだ。
次の世代は、自分の親が大変だったために、また親が我慢して生きているために、自分もまた我慢をして生きている。気持ちの出口がないために、「心のコップ」は親に言いたくても言えない自分の感情で一杯一杯だ。
だから、2世代目は、我が子(3世代目)の気持ちを受け止めることができない。心のコップに受け止める余裕がないのだ。むしろ、自分のコップからあふれたものを我が子(3世代目)が懸命に受け止めている。
実は、このように上の世代を気持ちを下の世代が受けている。
3世代目は、上2世代分を受け止めることになる。
だから、3世代目になると、心の病が深刻化する。
つまり、戦争後遺症が今の20代に出てきていると言ってよい。
戦争は終わっていないのである。
自分たちは頑張って生きてきた→今の若者は生ぬるい。
自分たちは我慢してきた→今の若者は我慢が足りない。
違います。
自分たちが頑張ってこられたのは、子どもが支えてくれたから。
そして、その子を孫が支えているから。
親は子の環境である
と同時に
子がその環境を支えて生きているのです
地球が人の環境であり、
その地球環境を人が守ろうとするように
・時代が世代間連鎖に与える影響-日本全国版
親の親・・・
自分の子供は天真爛漫に育っている、と思いたい。でも、実際、どんなふうに思われているのか、という思いがよぎり、そのとき、自分が親に対... ...