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中尾英司

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ヒロシマ

2005/08/05(Fri) Category : 戦争
百万の理屈があり
千万の感情があっただろう

原爆を作る前も
そして現在も

しかし、
原爆が落とされたのは
反撃も何もしてこない
ただ
平和な日常を送る町だった

この“事実”を忘れるな


この“事実”がすべてを語っている

 
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ヒロシマⅡ

2005/08/05(Fri) Category : 戦争
書き足りない

感情がやや細波だっている。

「悔しい!」

原爆に遭われた方が言ったその言葉にすべてが象徴されている。

自分を離れることのできない人間の狭量さ
主張することでしか身を守ることができない文明社会のあり方
役割ロボットになりきって責任を引き受けようとしない価値観のあり方
自分に有利なように相手をコントロールしようとするちっぽけさ

そして、何より
心からの反省をしないことにより
将来も繰り返されることを心配しなければいけないことへの
悔しさ!

あの犠牲は、
一体何のための犠牲だったのか
 
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「そして日本は焦土となった」(8/11 NHKスペシャル)

2005/08/12(Fri) Category : 戦争
はじめに目的がある。
次に、その目的を達成するために必要な機能が存在する。
そして、その機能を遂行するための仕組みができあがる。

目的―機能―仕組、この3点セット、それが組織(システム)だ。

目的は、破壊し尽くすこと。
破壊を効果的に行う機能を持つもの。それが、焼夷弾であり、原爆だ。
その機能を遂行するために空港が作られ、B29が作られ、兵役のルールが定められ…

つまり、空港を作り、爆撃機を作るための仕事が生まれ、それで子を養う人が生み出される

 
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小沢昭一的こころ

2006/04/23(Sun) Category : 戦争
車に乗って、ラジオをつけた。
大竹まことの「少年ラジオ」という番組で小沢昭一(1929生)が語っていた。

「僕らの小さいころに似てきましたね。怖い怖い」

戦争を実体験し、『その日その日を生きて行くのに必死』な戦後を体験した彼は、『朝床屋に行って、馴染みの蕎麦屋で蕎麦を食べて、機嫌よくラジオの仕事をする』日常をこよなく愛している。
平和の大切さを身をもって知っているからだ。

世界全体がギクシャクしていることを感じている小沢は、「戦争以外ならなんだっていいいですよ」とまでいう。

「戦争だけはいけない。人殺し大会だから」

 
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神話の国 宮崎にて

2006/07/08(Sat) Category : 戦争
セミナーの翌日、宮崎の母方の親戚宅へ寄った。
mizoさんに宮崎駅まで車で送っていただく。わざわざありがとう!

盆地から平野へ。空が広い。
駅でおじさんに拾ってもらい、サービス精神旺盛に車であちこちとご案内いただきながら、いろいろとお話しを伺う。

国民小学校最後の卒業生であり、新制中学最初の入学生であるおじさん。戦争と同時に配給制。米を求めて連なる行列。食事は見る間に貧しくなった。学童疎開など小学校まるまるを戦争とともに過ごし、撃墜された米軍パイロットがよってたかって突き殺されるところも見たという。

写真の威容は、「八紘一宇の塔」。
小学校当時、塔作りのために勤労動員されているのを見たそうだ。現在は、「平和の塔」と改称。この塔がある高台は「平和台公園」と呼ばれている。
歴史を正しく見るためのモニュメントの一つとして冷静に見たい。
八紘一宇の塔


 
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おばさんの語り部人生

2006/07/09(Sun) Category : 戦争
おばさんは小学校の先生だった。
万引きした少年がいた。親に言ってくれるな、という少年におばさんは大人としての責任をかけた。少年は泣いた。以降、ピタッと万引きはやんだ。おばさんは、一人の人間の人生を救った。その少年は、市民を守る職業の要職に就いた。
凄いと思う。おばさんは一人の人間を救っただけではなく、多くの人を救ったのだ。

今、おばさんは語り部をされている。童話などの読み聞かせで、そういうサークルの交流会が全国であるらしい。
またも、響いてしまった(笑)。私も「語り」を重視している。
 
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食べて手を合わせる

2007/01/19(Fri) Category : 戦争
ホテルの前にバンが止まった。
ドアを開けると、すっかり潮焼けした元気そうな叔父(母の弟)の顔。助手席に座ると叔父さんから汐の香りがした。
孫たちから魚臭いと言われるという。自分では気づかないそうだ。悪い匂いではない。

叔父宅には桃、びわ、みかん、梅、金柑等々様々な果樹が植わっていた。
戦災で焼けた宮崎の実家には、リンゴとバナナ以外の全ての果物が植わっていたそうだ。
その庭にあるビニールハウスの中。クーラーボックスの中にエアポンプを引き入れ、なんとアジが2匹泳いでいた。毎日天草の方に釣りに出かけるという。このあたりでは釣り好きで有名なご夫婦のようだ。

 
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父の話(1)-「戦争の世紀」の親と兄弟

2007/06/18(Mon) Category : 戦争
山間の田んぼ数百枚をあわせると1町半を越えた。あぜ道の草刈だけでさえ気の遠くなる量があった。
使役として牛も二頭飼っていた。鋤を引かせたり、農作物を背負わせたり…。生まれた子牛は臨時収入になった。「ドナドナ」の世界である。
その牛の世話も一仕事だった。冬用のえさとしての干草も蓄えなければならなかった。

戦前は、家を追われた次男、三男、女性が働き手として来ていた。男は力仕事。女は藁仕事。
亡くなると中尾家の墓地に一緒に葬られた。
墓地にはそういう無縁仏が幾つもあった。

 
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父の話(2)-継ぐべきこと

2007/06/18(Mon) Category : 戦争
六男(父)もまた、実家の苦労を見ていた。
避妊が禁じられていた「産めよ増やせよ」の時代である。後から後から子は生まれ、その子がまた子を産み…食い扶持はどんどん増えていった。
戦争のために人を作り、そのために個々人の人生は苦しいものとなり…そういう時代だ。何しろ、長男の子どもの四男と父は同級生である。いかに重複して子が生まれていたのかがわかる。

癌死した長男の苦労も見ており、小中を通じて家業の手伝いもしてきた。親にラクをさせたいという思いもあった。
囲炉裏端で大人が話す噂話などを聞いていると、高学歴だからといって人間が上等ではないこともわかった。


 
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連鎖を断つために過去と向き合う

2007/08/07(Tue) Category : 戦争
家族カウンセリングに来ている旅先でニュースを見た。
「夢千代日記」の脚本家、早坂暁さん(77)が、被爆者に絵を描いてもらうよう依頼して回っているドキュメントだった。

被爆者の平均年齢は74歳。
その方々が後世に伝えることなく逝ってしまえば、日本は一挙にタガが外れそうな気がする。

しかし、彼らにしてみれば思い出したくない過去なのだ。

ある女性は、焼け野原で見た死体が目に焼き付いて忘れられない。
原爆による急激な気圧の変化で、まるで釣り上げられた深海魚のように、その肉体は全身が膨れあがり、そして…眼球や脳みそ、内臓などが飛び出していた。


 
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