あなたの子どもを加害者にしないために
全国のご家庭を訪問カウンセリングしている家族カウンセラー(家族相談士)のモノログ―家族のこと、気になる出来事を感じたままに率直に
散逸していく体験を後世に伝える「手紙が語る戦争」
2009年08月22日 (土) 14:48 | 編集
『八千代市の主婦島利栄子(65)さんは、戦時下、兵士と家族の間で交わされた私信や日記を仲間とともに読み解き、「手紙が語る戦争」(みずのわ出版)と題してまとめ、このほど出版した』【朝日2009/8/21】

手紙が語る戦争
手紙が語る戦争

わたしが一番きれいだったとき―母に捧げるレクイエム
2009年08月20日 (木) 23:59 | 編集
母は昭和5年生まれ。戦争の世紀を生きてきた。

母が生まれる前の年、金融恐慌により「大学は出たけれど」の時代に突入。
母が生まれた年、2大政党(政友会は地主、民政党は財閥)は貧困な農民、労働者の敵となった

太平洋戦争開戦月(昭和16年12月)の「主婦之友」(6)
2009年08月20日 (木) 00:10 | 編集
<前項の続き>

最後に、一つだけ、感心した(失礼!)記事があります。軍に乗っ取られた記事の中にあって、唯一救われる部分があった記事でした。それは、主婦之友社長、石川武美(たけよし)氏の子育て随想です。

この時代には、まだこのような“常識”が残っていたのですね。


太平洋戦争開戦月(昭和16年12月)の「主婦之友」(5)
2009年08月19日 (水) 08:24 | 編集
<前項の続き>

戦争をすれば人が死にます。そこで兵隊補充のためにこの年の1月に閣議決定されたのが、「生めよ殖やせよ」政策。避妊は罪となりました。




■諦めていた子宝が授かった妊娠の実験

『「生めよ殖やせよ」の人工増産が重要国策である折柄、「諦めていた子宝が授かった妊娠の実験」を、「主婦之友」十月号誌上で募集いたしました。』


太平洋戦争開戦月(昭和16年12月)の「主婦之友」(4)
2009年08月18日 (火) 00:18 | 編集
<前項の続き>

すべての記事に貫かれているのは、とにかく自らは節制して国のために働け、奉仕しろという姿勢です。そして、節制させた上に国債を買え(=国のために金を出せ)と言ってきます。

「痛みを伴う改革」と言いつつ民だけが痛み、政治家や官僚の無駄は温存され、しかも国債をばかばか買わせてハコモノを作っている現代も、戦時中の当時と少しも変わっていないように思います。

太平洋戦争開戦月(昭和16年12月)の「主婦之友」(3)
2009年08月17日 (月) 07:57 | 編集
<前項の続き>

満州に人を送り込むことを推進する記事もあります。
中国で、どのように非道なことがなされているかも知らされず、次のように「楽土」満州に夢を見させられます。



●村人三百人を大陸へ移住させて郷土を救った母子の奮闘物語

『雪害と土地不足のために貧困のどん底にあった郷土を、迫害と闘いながら三百人の拓士家族と花嫁を満州に送って見事救い、開拓村と元村の全村民から「大陸母子」と慕われている母と子がある。―山形県大和村の富樫はつ江さんと直太郎氏がその人である』

太平洋戦争開戦月(昭和16年12月)の「主婦之友」(2)
2009年08月16日 (日) 07:55 | 編集
<前項の続き>

2つめの記事を再掲します。

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●「支那事変はどうなるか」―陸軍報道部 中島少佐と一問一答

『(支那は)四年半の日本軍との戦いにおいて、日本に対する敵愾心、抗日思想というものは民族思想にまで変わりつつあると思います』

『しかも支那人は、困苦欠乏に耐える精神と、犬猫と大差のない最低の生活に甘んじる生活力を持っている。(略)これが、弱っているけれども命を断つことができない原因ではないかと思います』

太平洋戦争開戦月(昭和16年12月)の「主婦之友」(1)
2009年08月15日 (土) 10:17 | 編集
今日は、終戦の日。太平洋戦争が終わった日である。

ここに1冊の貴重な本がある。
昭和16(1941)年12月1日発行―つまり、太平洋戦争が始まった“月”の「主婦之友」だ(随分前にお借りしたもの)。

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真実から目を背けるな
2009年08月14日 (金) 08:14 | 編集
黒澤明は、兄から言われました。
「怖いものから目を背けるな」

そして、黒澤は真実を直視し続けました(だから世界から尊敬される人になったのでしょう)。その彼の目に映る不思議―
「なぜ日本人は幸せになろうとしないのか」

黒澤の目には、虚構に生きる人々が不思議に見えたのでしょう。
だから、彼はカメラの前で役者に人生を本気で生きさせました。

2.26事件生き証人の語った戦争
2009年08月13日 (木) 14:22 | 編集
今から8年前の2001年8月、私は痔の手術のために入院していた。
そのときの様子は「痔の手術体験記2001」に詳しく掲載してあるので、是非ご参考にしてください。

尚、当時私は社内関係者にメールで公表して、堂々と1ヶ月の休暇をとった(^^;)。公表により一挙に人脈も広がり(笑)、庶務の女性の方々始め多くのご声援をいただいて、のうのうと人生の夏休みを過ごしたものだ。
http://www.jiritusien.com/g/taikenki-06.htm

入院中、いろいろな方と知り合ったが、折り入ってじっくりと話を聞いた方も何人かいた。不思議に私に話しかけてくるのである。普段心の内に収めてはいても、世間と隔絶されたここだからこそ話せるというのもあっただろう。

被爆者への偏見をなくせ!―スティーブン・オカザキ氏
2009年08月12日 (水) 00:13 | 編集
6日の「被爆国からのメッセージ」(朝日)は、映画監督スティーブン・オカザキ氏。25年にわたって記録した被爆者の映画「ヒロシマナガサキ」は、アメリカ最大のケーブル・テレビ局HBOで07年8月6日に放映された。

『1978〜80年頃だったと思います。ちょうどこの頃、アメリカでは『はだしのゲン』が翻訳され、それと同時に、核兵器廃絶に向けた動きが出てきたり、被爆者のグループがアメリカで初めて発言したり、そういったことがほぼ同時に起こった時期だったんです』

炎が子どもを焼かない世界に―「死んだ女の子」の祈り
2009年08月10日 (月) 08:43 | 編集
自分が死に至る大けがをしているどころか、死んだことさえわからぬ一瞬の凄まじさ。魂がばたばたと逃げ回れば、死体がむくっと起き上がる異様さ。

被爆者の語る真実を聴かれて、皆様はどう思われただろうか。
ナガサキ―被爆者の魂の声を聴け! 伊藤明彦さんの遺志

私は、コメント欄でご紹介いただいた元ちとせの歌う「死んだ女の子」という歌が、とてもリアルに聞こえた。

ナガサキ―被爆者の魂の声を聴け! 伊藤明彦さんの遺志
2009年08月09日 (日) 09:02 | 編集
今日は、長崎原爆忌。
被爆者の声」というサイトがある。

伊藤明彦さんという方が、全国を歩いて集めた被爆者の体験を聞くことができる貴重なサイトだ。このサイトがどのようにできたのか、『神から遣わされた「現代の語り部」』という記事に詳しく書かれていた。

伊藤明彦さんが8歳のとき、長崎に原爆が投下された。
田舎に疎開していて直接被爆は免れたが、8月下旬に長崎に戻って「入市被爆者」となった。

争うため産まれてきた子ども達はこの世界にいない
2009年08月08日 (土) 10:12 | 編集
明日9日は長崎原爆忌ですね。
8月に入って戦争の記事が続いておりますが、癒しがほしくなりました。(戦時中は、そういうホッとする時間もなかった…)

『PLANETES』という歌がありました。
私が伝えたいメッセージと同じ。
聴いていて涙があふれました。

涙は心を洗い、勇気をくれますね。
黒石ひとみ&Hitomi さん、素晴らしい歌をありがとう。

オキナワ〜戦争と自律―会社を辞めた父の思い
2009年08月07日 (金) 11:56 | 編集
沖縄からメールが届きました。
許可を得て掲載させていただきます。

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沖縄県宜野湾市に「佐喜眞美術館」という小さな美術館があります。

沖縄戦の図」という絵が常設されています。

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