いじめ自殺事件の背景にあるもの
ネットで幾つか記事を見て感じたことを書こうと思う。以下は真実を追究するものではない。「ジパン」というとある国のフィクションとして読んでいただきたい。
【生活破壊】-----------------------------------------------
・離婚率2・49(全国平均2・15、県内平均1・98)と結婚した半分が離婚しているS市。
・就学援助の受給率は33・2%(全国平均の2・5倍)で、3人に1人の子どもが援助を受けているS市。
・全国平均の2倍の生活保護人員を抱えるS市。
・交通事故死者の3倍の自殺者が出ており、心疾患の死亡率が全国平均より四割高いことも、隠れた自殺者といわれているS市。
結婚、修学、就業の全てに渡って「生活破壊」されているS市。
【行政破壊】-----------------------------------------------
地元S市を救うために、時の権力A内閣はE市長を後押しした。20年間で総事業費155億円の血税を投じる社会教育複合施設の建設に乗り出したのである。これで向こう20年間の雇用が確保できる…。
それは、トイレは壊れ壁ははがれ落ちた老朽校舎で、用紙代からトイペ代まで父母から徴収している学校現場を放置したまま、わざわざ既設の文化会館、婦人会館、中央公民館を取り壊してつくるという市民生活には全く無縁なハコモノ計画だった。その上、施工は地元業者を排除してA内閣の身内が支社長をしているM商事に決めた。
私たちの血税を使って、市民生活及び地元経済に還元するのではなく、大手企業を潤すためのハコモノ作りに走った。行政が手足となってしまった。誰の?…頭はない(ポリシーがないのだから)。
ともあれ、A内閣の目標通り、破壊された生活を立て直す「生活維新」ではなく、虚ろな「美しい国」作りに走ったのである。
【学校破壊】-----------------------------------------------
E市長の下、学校現場でもハコモノ押しつけ計画が立案された。「教科教室学校」を作ろうというものだ。教科教室とは、クラスを解体して子どもが教科の時間ごとにあの教室この教室へと大移動するというもの-それを中学校でやろうということだ。大義名分は前K首相が日本全土に提示した「自己責任」だ。
自己責任とは、決して“上に立つ者”が使ってはいけない言葉だ。
例えば上司自らが使えば「俺は部下のやったことの責任は取らないよ」という意味になるし、親が使えば「俺は子供の面倒を見ないよ」ということだ。先生が使えば、「私は生徒を責任持って見ない」ということに他ならない。
つまり、「自己責任」とは責任者が責任を取らなくてよいことを「許可」した言葉なのである。それをジパンというこの国は、あろうことか一国の首相が恥もなく「自己責任」とのうのうと言ってしまった。「私は首相だが、国民の面倒は見ない」と宣言したのである。信じられない。
この言葉はKという人間の器の小ささを証明したものに過ぎず、それを選んだジパンという国の小ささを示したに過ぎないのだが、何しろ言ってしまったのが「首相」という役職に就いているときだった。その言葉が広まるにつれ、見事に社会は無責任社会と化していった。大人社会は子供を育てる能力を失った。未だかつて、将来の自国に対する責任を放棄した国は歴史上に存在しないだろう…。
さて、その「自己責任」を大義名分とし、ハコモノ押しつけのために中学校改革をやらかそうとしたのだから、学校が荒れるのも当然の結果だった。移動するだけで教員は余裕を失い、学校は荒れ始め、用地買収に失敗して計画が頓挫しても計画に反対したベテラン教師は飛ばされて、コントロールを失った学校は荒廃していった。
【人間破壊】-----------------------------------------------
そういう最中の05年4月13日、中3女生徒が学校内で首をつって自殺した。
いじめは“公認の事実”だった。
しかし、時の権力に振り回され、生活も行政も学校も破壊された大人は無力だった。
子どもたちに責任ある背中を見せることができなかった。
その上、育成責任を放棄したのである-「自己責任」という言葉で!
子どもたちは大人をなめた。
同時に、大人に見捨てられた子どもたちは、すさんだ心のストレスのはけ口を求めた。
恐らくターゲットは誰でもよかったのだろう。
この荒んだS市という社会に逃げ場がなかった女の子は、天国へと逃げた。
「死んだらもういじめられないですむ」
【モラル破壊のスパイラル】------------------------------------
人は、その社会のモラルを示す指標だ。
モラルの高い人、低い人がいるわけではない。
モラルの高い環境、低い環境があるだけだ。
その環境に応じて人は動く。生物は環境に適応するからね…残念ながら、もしくは当然ながら「人間は環境の動物」なのだ。
ジパンの大人達がいかに心を亡くしているのか、そのサンプルが下記だ。
(「忙しい」=心を亡くすと書くので、「亡」の字を使っている)
・S市の教育長
「(遺書が)ちょっとよく読めなかった、眼鏡も持ってきてなかったんで」(笑いながら)
・元校長
「担任から情報が上がってこなかった」「因果関係は分からない」
全校保護者会で亡くなった女生徒を 「人間関係が上手でなかった」 と評した
人々が心を失っていることを示す現象が下記だ。
女生徒が亡くなった翌日に、女生徒が所属していた吹奏楽部が 「新入生歓迎演奏会」
約700人の学校で告別式に参列した生徒はわずか30人、弔辞の言葉も無し。
その後も隠蔽し続ける大人達…
そこで、子どもたちは何を学ぶのか。
その子どもたちが大人になって、S市にどのような未来が訪れるというのか?
【“心ある”親に告ぐ】------------------------------------
ジパンに住む人々へ-。
中にいるとわからないと思うが、遠くから見るとその国は二極分化している。
心の残っている人々と心を亡くした人々と。
亡くした人々の群れの中にいると、自分の方がおかしいのではないかと思うことだろう。
しかし、あなたは間違っていない。
その国は、子供を小さい頃から洗脳するシステムを作り上げている。
そのシステム(社会の仕組み)に我が子を合わせる必要はない。踊らされてはいけない。
我が子を「役割ロボット」として育てるのではなく、「人」として育てよ。
我が子を守ることができるのは、今や親だけだ。あなたが、最後の砦なのだ。
「死にたい」というメモは、机の上にあった写真立ての中から発見したという。
我が子は、サインを発している。
サインを見逃さず、どうか受け止めてあげてほしい。
そして、そのための心の余裕と強さを持ってほしい。