「親の操り人形」からの離脱
女の子は、支配する母親の下 ハラッシー(人の道具となる人間)となった。
二人が出逢ったとき、何か同じにおいを感じた。
監獄の囚人が街で出逢ったような感じだろうか。
相手を救うことが、囚われの身の自分を救うことになるのでは…無意識が惹かれあった(意識上では、自分が母親に囚われているなんて思っていないからね)
夫婦生活が始まった。
かつて母親の道具となっていた妻は、夫から道具にされてもさほど違和感を感じなかった。
夫は(親への無意識の)怒りを妻に向けて吐き出し始めた。
母親から吐き出されることになれていた妻には、どこか馴染んだ感覚だった。
おかしい…
本音が顔を出しかけると、自分の中に棲む母親が「あんたがおかしい」と叩き潰した。
やはり、おかしい…
子供がおかしくなり始めた…しかし、それは全てが自分のせいに思えた。矜恃などなかった。
が、苦しさにたまりかねてカウンセラーに話を聞いてもらったとき、
自分がおかしいのではない、自分の住んでいる世界がおかしいのだと知った。
もう一つ知ったことがある。
落ち着いて、安心できる場所があるんだ…
私を傷付けない、すべてを受け入れてくれる場所がある…
この世にそういう世界があることを知らなかった
母親という異空間から、夫という異空間へ…私は、支配と服従以外の世界を知らなかったんだ…
私の中に「生きる意欲」と「意志」が宿った
夫は、義母の操り人形だった
私は、母の操り人形だった
私たちを舞台で踊らせていたのは、母と義母という黒子だった
夫に心なく、私の身体が思うように動かないのは、操られていたからなんだ…
私が本当に闘わなければならない相手は、目の前の心ない人形ではなかった
黒子で見えなかったけれど、私を操っているあなたこそが闘う相手だったのだ
操り人形に「意志」が宿ったとき、とたんに操りにくくなった
黒子達は大あわてで、あれやこれやと意志を奪いに来た
しかし、カラクリが見えた今、もう怖くはない
気づいてしまい心を持ってしまった人形は、もはや操ることはできない
これまでは、操られないと生きられないと思っていた
が、人形は、操られなくても、自分の心で動けることがわかってしまった
とても辛いけれど、とても簡単なこと
私はハサミを取り出し、自分と母をつなぐコントロールの糸を静かに切る
あぁ…上を見上げると、母にもまた糸がついている。そして、祖母にも、曾祖母にも…
そうか、運命の糸がつながっていたんだ
ゴメンね。私は、我が子を自由に羽ばたかせたい。
この舞台は、私が踊る舞台じゃない。
私は、人間として生きる
だから、ただ静かに舞台から下りていきます。
そこには、狭い舞台の上とは比べものにならないくらい広い、広い世界が待っている。
・「PLUTO」~ゼペットじいさんも操り人形