薬害エイズ事件(3)-失われた30年
2008/03/06(Thu) Category : 社会事件簿
長い長い闘いだったと思う。そして、闘いは続く。
「エイズ年表」及び 「薬害エイズ年表」によると
1964 血液の自給体制の確立を閣議決定しておきながら
1975 厚生省は原料血液の輸入を決定
1978 元厚生省薬務局長がミドリ十字の副社長に天下りし、血友病に対する濃縮製剤が発売される
1982 毎日新聞、「『免疫性』壊す奇病、米で広がる」と日本で最初のエイズ報道。安部英帝京大教授は既にこのときエイズを示唆している。
1983 米で血液製剤の危険性が指摘され、FDAは加熱処理を勧告。加熱製剤を行うトラベノール社が厚生省に陳情したにもかかわらず厚生省は却下。トラベノール社が血液製剤の回収措置を取ったと厚生省に報告したにもかかわらず放置。厚生省は血液の全面輸入禁止を打診するが安部英帝京大教授が反対。
1984 安部英教授が血友病患者の血液をアメリカに送り検査し、23人の感染を確認するもこのあと8ヶ月間公表せず
1988 血液の国内自給促進を決議
1992 濃縮製剤原料を日本での献血でまかなう体制になる
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64年に「血液の自給体制の確立」を閣議決定しておきながら、その体制の第一歩ができたのは、92年である。実に30年近い年月が空しく費やされた。
この30年を切り取ってみよう。
安倍英という“血友病の権威”が血友病者という“マーケット”を押さえ、そこで天下り官僚と製薬メーカーが甘い汁を吸おうとした-産官学一体となった儲けの構造-それが問題の本質ではないのか。なんともつまらない、ちっぽけな構造だ。その構造を守るために、600人以上の命が奪われた。
社会(産官学)は、人の命を救うためにある。が、
社会(産官学)が、人の命を奪っている。
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この全ての背景にあるのは、「国際分業」だ。
私が農業経済学科の時に学んで、最も違和感を感じた国際分業論。
うまく言いくるめられているようで、私のハートは「No!」と言っていた。
比較優位のモノを作って輸出し、比較劣位のモノを輸入せよ-それが国際分業論だ。
人は経済合理的に行動するから、全世界を自由主義にして自由経済で競争させればよい-と、ノー天気な経済学者は考えた。
が、人は経済合理的に行動しない。
その上、心理学的にいえば、国の「自律」を奪い、全世界を「共依存」に巻き込んでいく。
そこにはびこるのは、互いを「道具」にする人間関係だ。
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主義・主張に惑わされず、自分の目で歴史と我が町をしっかりと見つめるとよい。
かつて、町や村は人々が助け合っていた共同体だった。
しかし、人々は共同体から引きはがされ、企業のコマとして団地やら社宅やらに再編されていった。
株主資本主義になって、その企業からも共同体的側面が払拭され、たんに現世利益を追求する集団となった(刹那的文明になるのも当然だ)。
さらに、モノ余りとなり、モノを売って稼ぐのではなく、頭を使って金で金を稼ぐマネーゲームの時代となった。
(先頭を行くアメリカはとうの昔に、人を殺す戦争自体がビジネスだ →今、ようやく変わろうとしているが…)
こうして、
かつて自律しつつ助け合っていた人々は、
互いを利用する人々となり、さらには、
互いを「道具」とする共依存へと落ち込んでいく
今や、それらの社会的雰囲気が家族まで侵しており、
「家族」という血縁集団においてさえ、親が子を道具にする共依存が広く深く蔓延している
これだけ自律できない人々や心を失った人々が蔓延してくると、
ヒトラーのような人物が首相になるのはいとも簡単なことだった
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国際分業と「自給率の低下」はセットだ。
極端に言えば、日本は工業製品を輸出するために、食料も血液も買わなければならなかったのである。
そして、それら自分たちの身体が直接摂取するのものにウイルスや毒が入っているわけだ。
個別の騒動を、一体いつまで繰り返すのだろう…。
「現実」を見よう!
すでに「結果」は出ている。
世界中の食べ物を居ながらにして食べられる→それが、幸せか??
私は、ニンジンの味がする地場のニンジンを、顔見知りの農家から手に入れて食べる方が遙かに幸せだ。
その上、世界の穀倉は大規模収奪農業で表土流出し、砂漠化が進んでいる。
加えて、輸出も輸入も、ともにCO2(温暖化ガス)をまき散らし、ゴミもまき散らす。
一体どこまで人類は、理屈をつけ我を通し続けつつ破滅に向かうのだろう。
まるで、理論武装して他を蹂躙し続けるハラッサーそのものだ。
ハラッサーに虐げられて怒りを蓄積してきた地球が、そのうち大爆発を起こすよ。
■メモ「不作為の罪」-みなさん、自分の持ち場でできることをきちんと行動に移しましょう。
『薬害エイズ事件で元厚生省生物製剤課長の松村明仁被告(66)を有罪とした最高裁決定は、「何もしなければ罪にはならない」という官僚の事なかれ主義への厳しい断罪となった。個人への刑罰があり得ることを示した最高裁の判断は、官僚一人ひとりに責任の自覚を強く迫ったといえる』
『薬害は、サリドマイドやスモンからC型肝炎まで、何度も根絶が誓われてきた。それなのに繰り返される一因は、いったい誰が責任をとるのか分からないシステムの中で、官僚の逃げ得が許されてきたためだ』
『「猛省」したはずの薬害エイズ事件の後も、薬害C型肝炎問題で、厚労省は感染患者リストを隠ぺいし、発覚後も対応の遅れが批判を浴びた。国民の命に直結する官庁なのに、変わらない体質が指摘された』
【2008年3月5日東京新聞:『事なかれ』許さず】
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『有罪には高いハードルがあった。不作為が違法となるには「すべきだったこと(作為義務)」が特定される必要がある。だが官僚は一般に「どんな職務に取り組むか」に関し、幅広い裁量を持つ。まして松村被告は、診察した医師でも汚染された血液製剤を出荷した製薬会社幹部でもなく、被害の現場からは遠かった』
『この難題に、最高裁は2審判決を基本的に踏襲して決着を付けた。汚染製剤で感染したエイズ患者が多数亡くなりかねない「重大な危険」があるのに、患者や医師は汚染製剤を見分けられず感染を防げない。国の承認を得ているから製薬会社も出荷を続ける。つまり国だけが薬害拡大を防ぎ得る立場にあり、裁量の余地なく製剤の回収指示などをすべきだったと判断した』
【2008年3月4日毎日新聞:「不作為は犯罪」明確化】
【ご参考】
薬害エイズ事件(1)-国と闘い国を動かした母
薬害エイズ事件(2)-10年前の日記
ラーメンが食べられなくなる日
地産地消を進めよう
道路問題は政治を国民の手に取り戻す象徴
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1975 厚生省は原料血液の輸入を決定
1978 元厚生省薬務局長がミドリ十字の副社長に天下りし、血友病に対する濃縮製剤が発売される
1982 毎日新聞、「『免疫性』壊す奇病、米で広がる」と日本で最初のエイズ報道。安部英帝京大教授は既にこのときエイズを示唆している。
1983 米で血液製剤の危険性が指摘され、FDAは加熱処理を勧告。加熱製剤を行うトラベノール社が厚生省に陳情したにもかかわらず厚生省は却下。トラベノール社が血液製剤の回収措置を取ったと厚生省に報告したにもかかわらず放置。厚生省は血液の全面輸入禁止を打診するが安部英帝京大教授が反対。
1984 安部英教授が血友病患者の血液をアメリカに送り検査し、23人の感染を確認するもこのあと8ヶ月間公表せず
1988 血液の国内自給促進を決議
1992 濃縮製剤原料を日本での献血でまかなう体制になる
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64年に「血液の自給体制の確立」を閣議決定しておきながら、その体制の第一歩ができたのは、92年である。実に30年近い年月が空しく費やされた。
この30年を切り取ってみよう。
安倍英という“血友病の権威”が血友病者という“マーケット”を押さえ、そこで天下り官僚と製薬メーカーが甘い汁を吸おうとした-産官学一体となった儲けの構造-それが問題の本質ではないのか。なんともつまらない、ちっぽけな構造だ。その構造を守るために、600人以上の命が奪われた。
社会(産官学)は、人の命を救うためにある。が、
社会(産官学)が、人の命を奪っている。
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この全ての背景にあるのは、「国際分業」だ。
私が農業経済学科の時に学んで、最も違和感を感じた国際分業論。
うまく言いくるめられているようで、私のハートは「No!」と言っていた。
比較優位のモノを作って輸出し、比較劣位のモノを輸入せよ-それが国際分業論だ。
人は経済合理的に行動するから、全世界を自由主義にして自由経済で競争させればよい-と、ノー天気な経済学者は考えた。
が、人は経済合理的に行動しない。
その上、心理学的にいえば、国の「自律」を奪い、全世界を「共依存」に巻き込んでいく。
そこにはびこるのは、互いを「道具」にする人間関係だ。
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主義・主張に惑わされず、自分の目で歴史と我が町をしっかりと見つめるとよい。
かつて、町や村は人々が助け合っていた共同体だった。
しかし、人々は共同体から引きはがされ、企業のコマとして団地やら社宅やらに再編されていった。
株主資本主義になって、その企業からも共同体的側面が払拭され、たんに現世利益を追求する集団となった(刹那的文明になるのも当然だ)。
さらに、モノ余りとなり、モノを売って稼ぐのではなく、頭を使って金で金を稼ぐマネーゲームの時代となった。
(先頭を行くアメリカはとうの昔に、人を殺す戦争自体がビジネスだ →今、ようやく変わろうとしているが…)
こうして、
かつて自律しつつ助け合っていた人々は、
互いを利用する人々となり、さらには、
互いを「道具」とする共依存へと落ち込んでいく
今や、それらの社会的雰囲気が家族まで侵しており、
「家族」という血縁集団においてさえ、親が子を道具にする共依存が広く深く蔓延している
これだけ自律できない人々や心を失った人々が蔓延してくると、
ヒトラーのような人物が首相になるのはいとも簡単なことだった
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国際分業と「自給率の低下」はセットだ。
極端に言えば、日本は工業製品を輸出するために、食料も血液も買わなければならなかったのである。
そして、それら自分たちの身体が直接摂取するのものにウイルスや毒が入っているわけだ。
個別の騒動を、一体いつまで繰り返すのだろう…。
「現実」を見よう!
すでに「結果」は出ている。
世界中の食べ物を居ながらにして食べられる→それが、幸せか??
私は、ニンジンの味がする地場のニンジンを、顔見知りの農家から手に入れて食べる方が遙かに幸せだ。
その上、世界の穀倉は大規模収奪農業で表土流出し、砂漠化が進んでいる。
加えて、輸出も輸入も、ともにCO2(温暖化ガス)をまき散らし、ゴミもまき散らす。
一体どこまで人類は、理屈をつけ我を通し続けつつ破滅に向かうのだろう。
まるで、理論武装して他を蹂躙し続けるハラッサーそのものだ。
ハラッサーに虐げられて怒りを蓄積してきた地球が、そのうち大爆発を起こすよ。
■メモ「不作為の罪」-みなさん、自分の持ち場でできることをきちんと行動に移しましょう。
『薬害エイズ事件で元厚生省生物製剤課長の松村明仁被告(66)を有罪とした最高裁決定は、「何もしなければ罪にはならない」という官僚の事なかれ主義への厳しい断罪となった。個人への刑罰があり得ることを示した最高裁の判断は、官僚一人ひとりに責任の自覚を強く迫ったといえる』
『薬害は、サリドマイドやスモンからC型肝炎まで、何度も根絶が誓われてきた。それなのに繰り返される一因は、いったい誰が責任をとるのか分からないシステムの中で、官僚の逃げ得が許されてきたためだ』
『「猛省」したはずの薬害エイズ事件の後も、薬害C型肝炎問題で、厚労省は感染患者リストを隠ぺいし、発覚後も対応の遅れが批判を浴びた。国民の命に直結する官庁なのに、変わらない体質が指摘された』
【2008年3月5日東京新聞:『事なかれ』許さず】
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『有罪には高いハードルがあった。不作為が違法となるには「すべきだったこと(作為義務)」が特定される必要がある。だが官僚は一般に「どんな職務に取り組むか」に関し、幅広い裁量を持つ。まして松村被告は、診察した医師でも汚染された血液製剤を出荷した製薬会社幹部でもなく、被害の現場からは遠かった』
『この難題に、最高裁は2審判決を基本的に踏襲して決着を付けた。汚染製剤で感染したエイズ患者が多数亡くなりかねない「重大な危険」があるのに、患者や医師は汚染製剤を見分けられず感染を防げない。国の承認を得ているから製薬会社も出荷を続ける。つまり国だけが薬害拡大を防ぎ得る立場にあり、裁量の余地なく製剤の回収指示などをすべきだったと判断した』
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