機能不全家族の事例
*前項で紹介した機能不全家族(家庭)の事例を挙げてみます。
■小1の女児の不登校
「最近学校に行きたがらず、自分にくっついて離れようとしない」という悩みを抱えた母親。
父親不在で子どものことにはノータッチ。母親は家庭内のすべての責任を引き受け、緊張と不安のストレスの中にいました。
子供にとって安全基地の本体は母親。
自分が復活できる安全基地そのものに不安があるのですから、子供は外に行っている場合ではありません。その間に何かあったらどうしよう…不安が募ります。つまり、子供が学校に行こうとしないのは、「外」に問題があるのではなく「内」に問題があったからです。
処方箋はシンプル。
母親の「心のコップ」が空になればいい。
つまりは、夫に気持ちを聴いてもらうこと。
このケースでは、毎週ファミレスで2時間夫に妻の話を聴いてもらう時間を作ってもらいました。
ルールはひとつ-「アドバイスをしないこと」。
結果は→妻の心が軽くなり、母親が落ち着いてくれば子供はもう見守っている必要はなくなって、自分の世界へ集中することができるようになります。
不登校は治りました。
このように、子どもの問題行動は家族がどこかおかしいよと教えてくれているのです。
【ご参考】 しがみついて離れない子
■19歳両親鉄アレイ殺害事件
中学教師の父親と二十四の瞳と言われるくらいの小学校教師の母親。
そして、エリートでなければ認めないという厳しさをもった祖父。
夫婦二人が同じ価値観であれば、子供は太刀打ちできません。
さらに、3名も価値を共有していれば子供に逃げ場はありません。
少年は優等生で頑張り続けエリート高校に進学しますが、欠席が増えてニート状態になります。すると母親は教師を辞め、ニュージーランドに別荘を購入して少年と妹の3人で生活を始めました。
さて、このお母さんの行為、子供はどう思うでしょうか?
<Thinking Time>
そう、重たいですね。
彼は両親に敷かれたレールの上を走り続け、疲れ果てて今はただ休みたいだけです。にもかかわらず、リハビリのレールまで敷かれたのです。その先には復帰というレールが見えています…。
少年は「自分の人生にどこまでも介入してくる両親を亡き者にする以外に自分の生きる道はない」と思い詰めて親を殺しました。
事件を起こした子供の言葉は、いつも真実を言っています。
【ご参考】 奈良母子放火殺人事件―「お膳立て症候群」の悲劇
■歯科医師家妹バラバラ殺人事件
これは、歯科医を復興したいという母親の人生脚本が、全ての家族を道具にした結果起こった事件だと私は見ています。
家業を守るために生活が手段となる本末転倒現象はよく見られます。
母親は、自らが家業復興のための第一の手(道具)となりました。
自らを道具とする人は関わる人間全てを道具にします。
いわば、自分の人生脚本に沿って演じる舞台の登場人物として夫も子供もいるのです。
生まれた男児2人は両親の経営する歯科医院をそれぞれ継ぐ後継としてのみ育成され、末子亜澄さんは継ぐべき医院もなく女性であるため、この家には居場所がありませんでした。
唯一許された存在の仕方は、ストレスのはけ口として兄達から殴る蹴るの暴行を受けることだったのです。それに耐えられずに、寮付きのバイトを探してキャバクラ勤めをするわけですが、3浪して苦しんでいる次兄には面白くありません。
次兄は、「歯科にあらずんば人にあらず」というような家庭の中で歯科以外の夢を持つことは許されず、亜澄さんは人間扱いされない家庭の中で外に夢を求めざるを得ませんでした。
こうして「夢を許されざる者」と「夢にすがらざるを得ない者」との対立は激化し、事件は起きたのです。
2人の本当の願いは、ただあるがままの自分を親から認めてもらうこと。そして…食卓を囲んで、ただ「普通の団らん」がしたかったのです。家族が笑顔で、他愛もない話に花を咲かせる…ただ、それだけのことでした…。
家庭であれ会社であれ、たった一つの価値観で染め上げようとすると、そこはサティアンとなります。そして、帰依者とそうでない者との間で必ず対立が生じます。
19歳の事件もそうですが、一つの絶対価値で統一することは愚かなことなのです。
また、普通の組織は全て何らかの目的を持っています。
しかし、家族はそれぞれが違う目的を持ち、でも互いに気にならず縛り合わず、そして気持ちは受け止め合って共存しています。
家族こそが最も自由なコミュニティであり、かつコミュニティの真の姿なのです。
【ご参考】 短大生遺体切断事件の家族心理学
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