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岡山突き落とし事件-「父子カプセル」が招いた悲劇

2008/04/05(Sat) Category : 少年犯罪・家族事件簿
「人を殺せば刑務所にいける。誰でもよかった」

また、「誰でもよかった」である。

常々言っていることだが、「人を殺したい」とか「誰でもいいから殺したい」というときは、「自分の親」を殺したいときなのだ。いい加減に気づいてほしい。

気づけば、なぜ親を殺したいのか考え始めるだろう。
そして、原因がわかれば何らかの手を打ち始めるだろう。
少なくとも、自分と無関係な他人の人生を奪う結果にはならないはずだ。

18歳少年よ。
君は、假谷さん、假谷さんの妻および子供の将来、そして、假谷さん側、奥さん側のご親族、ご友人の方々…それら全ての人間の人生を奪ったのだ。


--------------------------------------------------------
昨日、スーパーモーニングに18歳少年の父親が出ていた。
ある“におい”を感じた。無意識に「真綿の支配」をしている親に感じるにおいだ。

自分がやっていることの本質に気づかないまま生きている人間の空虚感を漂わせていた。18歳少年は、この父親から逃げ出したかったのだろう-そう、思った。



--------------------------------------------------------
以下は、「週刊朝日」(4/11号)および「女性セブン」(4/17号)を読んでの事件の背景についての推測である。なぜ書くかと言えば、このような親は実に多いからだ。

窒息しかかっている子ども達を沢山見てきた。
その子ども達(今は大人でも)が、自分の苦しさを理解するための何らかの参考になればという思いからだ。

訳がわからず苦しいだけだと、「衝動」が自分を突き動かしてしまう。
しかし、理解することで気づきが生まれ、気づけば「衝動」はおさまって「行動」に変わる。

犠牲者が犠牲者を生んでいる。
この「犠牲の連鎖」を断ち切りたい。

この事件を借りて申し訳ないが、このようなこともあり得るというケースとして取り上げたい。
(従って推測は、真相を究明するために行うものではないことをお断りしておく)





■父子密着-------------------------------------

『5時頃に仕事を終えると息子に電話します。息子は駅まで迎えに来てカバン持ってくれる。『なに食べる?』と話し合いながら買い物に行くんです。夜は同じ部屋で布団を並べて寝る。修学旅行や合宿以外は毎晩で、土日は必ず24時間一緒に過ごす。安心感を与えたいと思っていた』

『優しい息子で、背中が痛いときは薬を塗ってくれるし、肩が凝るとたたいてくれる。僕が怪我したときは、「家庭の医学」を読み、「酒とタバコ、どちらかはやめて」とよく言ってくれた』

ゾッとした。

ナンダコレハ…まるで新婚夫婦ではないか……。

父子家庭なのか?
いや、母親がいた。朝8時から夜12時までパートだという…つまり、いるが、いない。



■母親疎外-------------------------------------

15歳上の兄(33歳)は、大学に進学して独立し家庭を持っている。
なぜ、15年も経って2人目を作ったのか。

長男がサナギの時期を経て、自分の人生に出て行き始めるときである。
次男を作ったときは、まだバブルもはじけておらず余裕もあったのだろう。

「妻とは性格が反対」だとこの父親自ら言っている。そして、
『子育てに関しては、家内に口を出させませんでした』とも言っている。

なるほど…
この父親は寂しかったのではないか。

『男の子ですし、お父ちゃん子やから、自然と僕によってくるんです』
-と、父親は言っているが、そうし向けたのではないか。

折しも、次男が生まれて間もなくバブルははじけ、自分の支えであったはずの大工をやめて職を転々。さらに、次男が5歳の頃に阪神大震災にあって引っ越しをする…「仕事」「金」「家」など、自分を支える精神的支柱を失って、この父親に残ったものは次男だけだったのではないだろうか。



■存在不安-------------------------------------

「存在不安」を持つ人間にとって子供は麻薬だ。
常に自分を見てくれるし、自分を求めてくれるからだ。
子供が、自分の存在を「保証」してくれるのである。

もしかすると、長男が自立に向かうときに、「夫婦連合」のできていないこの父親は寂しさを感じたのではないだろうか。そのため、自分を求めてくる子供がほしくて15年もの時を経て子供を作ったのではないか。

これまでも多々見てきたが、「存在不安」を持つ親は、わが子を自律できないように育てる。
それは難しいことではない。「禁止令」を与え続ければよい。

例えば次のような事例がそうである。
「自画像で自分の手を描き忘れる子供」


親が子供の事にあれこれ口や手を出すことは、「それは親がやるからお前が自分で考えたりやったりしてはダメだ」という禁止令を与えていることに他ならない。言い換えれば、親に依存させるようにし向けていくのである。

当然、子供は自分に自信を持てないままに大きくなる。その様子を見て親は心配する。そして、ここが怖いところなのだが…、親は心配することによって「わが子のことで心配している自分の存在」を感じているのである。

つまり、「我心配する。故に我あり」なのだ。



■イルカ人間-------------------------------------

私は「イルカ人間」と呼んでいる。
(私のブログでは、「カニ」とか「イルカ」とか出てくるが、非難するために用いているわけではなく、イメージとして分かりやすいように用いています)

イルカは、短い音を連続的に発し(クリック)、物体からの反響(echo:エコー)を受け止めて物体からの距離や自分の位置を確かめる。これをエコーロケーション(echolocation:エコロケーションとも)、日本語では反響定位(はんきょうていい)と言う。

いつぞやのテレビで、兄弟とかけっこをして猛スピードで階段を駆け上がる黒人の少年を見た。なんと彼は盲目であった。しかし、まるで目が見えているのと同じようで、何の障害もない。
秘密は、彼のクリック音にあった。始終クリック音を出しているのだ。彼は、反響定位していたのである。

反響定位の本質は、そこに物体があることを確認することではない。
「ここに自分がいる」ことを確認することにある。

つまり、「心配する」ことで自分の存在を感じることができる。
なぜ、それが「我思う」ではなく「我心配する」なのか。

それは、心配することによって「対象」が発生するからだ。
自分の存在を認知してくれる対象を巻き込むことが出来る。

対象の側から言えば、心配されることで巻き込まれてしまうのである。
こうして、ターゲットとなった人は、誰であれ彼であれ、「心配性」の人の舞台に引き釣り出されることになる。



■メビウスの輪-------------------------------------

ここに、心配する親と自律できない子供の「メビウスの輪」ができあがる。
どこまで行っても逃れることのできない無限ループだ。

親はわが子を「道具」にしていることに気づかない。
そして…道具にされた人間は、「怒り」を溜め込み続けていく。



■隠れた布石-------------------------------------

「小学校時代、襟が破れたシャツをいつも着ていた」(同級生)
「中学時代、いつも黄ばんだシャツを着て汗かきだから、周りに「臭すぎ」と嫌がられていたよ」(同級生)

これらの様子は、母親が次男から完全に疎外されていたことがわかる。
この父子関係の中に、母親が介入する余地がもはやなかったことを伺わせる。

『夕食は父親が作り、少年と二人で食べる日々』
『朝8時から夜12時までパート』ということ自体、母親の居場所が家の中にはなかったということを示唆している。

子供にとって安全基地の本体である母親から疎外されているのだから、少年が安定するはずもない。
そして、衣服のそのような様子も、同級生が言っているように、いじめを惹起する誘因となっただろう。



■禁止令-------------------------------------

次男が転校した先で、肥えてることを理由にいじめられて外に出なくなった時、父親は
『“しんどかったら、学校から帰って来い。家におり”っていうたんです。いじめがエスカレートして自殺されたら困るから、僕はそういいました』
-「しんどければ外に出てはいけない」という禁止令を発令した。

『いじめられてシュンとしていたときは、心配で心配で僕が仕事を休んでそばにおったこともありました』
-「お前は俺が傍にいなければダメだ」という禁止令である。

『子供が休みの日は勉強してるか、僕と散歩に行くか。一人で自由に遊ばせなかったですね。変なやつに引っかかって、いじめにあわないかと心配していました』
-上記プラス「お前は一人で自由に行動してはダメだ」という禁止令である。

『中学でもイジメが続いて、息子が自殺すると思ったので、常に一緒におることにした。“守り”を多くして、息子には『変なこと付き合ったらあかん』『父ちゃんが帰る夕方の時間までに帰れよ』と厳しくしつけた』
-「自分の許可なく人と接するな」「自分より遅く帰ってはならない」という禁止令である。

そして父親は、
『仕事終わりには必ず少年に電話をかけ、残業があるかないか、いつ帰るかを伝えた』
-常に自分の存在を意識させている。そして、上記の禁止令によって、自分とリンクした行動を暗に取らせるのである。その結果、先に見た「忠犬ハチ公」のような行動を次男が取るようになったのだ。



うざい!

重苦しい!!

それが、少年の心の叫びだったのではないだろうか。



■真綿の支配-------------------------------------

しかし、少年にはそのことが明確になってこない。
なぜなら、「お前のことが心配だから」というメッセージが父親の禁止令の裏に張り付いているからだ。

このブログをお読みになっている方はお分かりだろう。
つまり、「あなたのためなのだから異議申し立てを禁ず」という「第二次禁止令」が、同時に発令されているのである。

そう、「心配する」というのは、実に巧妙な「ダブルバインド(二重拘束)」なのである。そして、このダブルバインドに遭うと、どの人間もがその命令通りに動かざるを得なくなってしまう。

少年は、DVやモラハラを受けているのと全く同じハラスメントを受け続けていたのである。私は、このような一見支配に見えない支配を「真綿の支配」と呼んでいる。


ハラッサーとは、「人を道具にする人間」のことだ。
少年の無意識は、自分が親の道具として扱われていることを知っている。
「人間の尊厳」を奪われたときにわき起こる感情-「怒り」

その怒りが、静かに、しかし、確実に蓄積されていった…。



■塞がれた逃げ道-------------------------------------

少年は、この「監獄」から脱獄したかった。
しかし、この監獄は24時間の看守付きである。

彼は大学に進学することで逃げようと考えたと思う。
親という監獄からの離脱(←「情緒的離脱」と言う)のために遠方の大学に進学することがある。

しかし、父親はこう言った。
『東大はお金持ちで由緒ある家柄の人でないと入れないと僕は思っている。「うちは貧乏。どんなに天才でも東大には入れへん」と息子に言ったことがある』

逃げ道を塞いだのである。

「俺はお前を手放さないよ」と、宣言したのに等しい。

少年は「第三次禁止令」(逃げ道を塞ぐ命令や状況)を発令された。


ここに、
第一次禁止令
第二次禁止令
第三次禁止令

その全てが揃った。

少年は、逃げ場を失った。



■蓄積された感情の爆発-------------------------------------

彼は、男性(假谷さん)を突き飛ばした。

少年が突き飛ばしたかったのは、

自分にどこまでもまとわりついてくる父親だったのではないかと思う。

そして、人を殺してまでも刑務所に行きたかったのは、どこまでもどこまでもまとわりついてくる父親の魔の手から逃れるためだったのだろう。

彼は、ハラッサーから逃れる女性が警察に保護申請するように、警察に保護してもらいたかったのではないだろうか。





もう、精神鑑定だの、心神耗弱だので誤魔化すのはやめてほしい。

日本社会全体が、「人の心」に注目してほしい。

物質文明はもういらない。





假谷国明さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。








「禁止令」「ダブルバインド」の詳細については下記をご覧ください。
「精神の生態学」~ベイトソンのダブルバインド理論の詳細




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こうちゃん様

問題は、この父親の行動の中に息子の気持ちがあったかどうかということかなぁと思います。

>『いじめられてシュンとしていたときは、心配で心配で
>僕が仕事を休んでそばにおったこともありました』
・・・息子はそれを望んでいたのでしょうか?

『親であれば、子供がいじめられているという事実は、耐えがたいものです。
「自分は君の味方だ」ということは伝えたいです。 』
・・・親としては当然の思いですが、一番つらいのはいじめられている本人です。息子にとっては、そんな親の気持ちが重たいかもしれません。

記事の中にある父親の行動は、どれも見守るということにはなっていないのではないかと思いました。 
口を出さずに見守るということは、行動するより辛いことです。
けれど、子どもには親にも負けないほどの自己解決能力が備わっています。その能力を奪ってはいけないと思います。
それが『禁止令』ということかなぁと思います。

僭越ですが、本当の母親になりたいと日々格闘する私の思いです。

 

こうちゃんさんへ
>『いじめられてシュンとしていたときは、心配で心配で
>僕が仕事を休んでそばにおったこともありました』
というのは、この父親が常日頃から発している禁止令の一部の例として上げているのではないでしょうか?
禁止令を出さない、息子に執着しない人であればこういった行為も心配の範疇で済むのでしょうが、この父親の場合はこの行為も息子を自分の懐の中へ繋ぎ止めておく手段だったということでは?
本当に心からの心配であるか、それとも自分に繋ぎとめておくための言葉だったのか。
この父親の場合は後者なのでは。

私の身近にも同じように息子息子と言い、自分はいい父親をやっていると思い込んでいる人がいました。
いじめられ、不登校児で30歳になるまで定職に付くことができなかった息子を自身が数年前に経営者となった会社へ入社させ、
周りの従業員とは一切接触させないよう、バリケードを張り、息子も一心に父親の背中に付いて回っていました。
書くと長くなるので詳しくは書けませんが、他者が何を言おうが、自分のやっていることは正しいと思っている人で、もうそりゃ息子への執着心は半端なく凄かったです。
また息子もけなげに父親だけを見ていたっけ・・・。

こうちゃんさんが実際そのような人と会ったことがないので、この記事に書かれていることが理解できないのかも?
そんな感じがしました。

 

Re: 禁止令 (回答いただけないようなので追伸)

何度考えても禁止令じゃないと思うので追伸です。

やはり、こういう記事のような決め付けが怖いのだと思います。
子供は逮捕され、親はきっとあなたの記事に反論なんてしないでしょう。
安心して「禁止令」などど書ける状況なわけですが、こんな簡単に結論めいたものを書いてはいけないと思います。

いろいろな議論はあってしかるべきと思います。
しかしあなたはプロのカウンセラーです。
これが禁止令だというなら、説得力のある説明をしなければならない立場にあります。
忙しいという理由だけで書きっぱなしというのは、いかにも卑怯です。
返事ができないなら、プロとしてこのような記事は書くべきではないと思います。
たくさんのコメントを見ているとわかりますが、すでにあなたの影響を受けている人が何人かいます。
Webにプロとして記事(日記でもなんでも)を書くということは、そういう責任も背負うということです。

 

禁止令

この事件は私もすごく気になっているのですが、禁止令に関して少し違和感を感じたのでコメントします。

>『いじめられてシュンとしていたときは、心配で心配で
>僕が仕事を休んでそばにおったこともありました』
>-「お前は俺が傍にいなければダメだ」という禁止令
>である。

これは本当に禁止令なのですか?
親であれば、子供がいじめられているという事実は、耐えがたいものです。
「自分は君の味方だ」ということは伝えたいです。
この父子関係は確かに変だとは思います。
でも、いじめられたとき家におったこともありました、っていうことは、いなかったこともあったということでしょう。
つまり、かなり深刻な時のみそういうこともあったということと理解します。
この程度のことなら、親として、してあげて当然と思うのですが、どうでしょうか?
子供が本当に助けを必要としているときでも、学校に行かせ、自分で解決させたほうがよいのでしょうか?
是非、回答をお願い致します。

 

ご回答、ありがとうございました。

ご回答くださり、本当にありがとうございました。
じっくり噛み締めながら読ませていただきました。

世代間連鎖が「タテ糸」で、発達障害も含めた個人の資質、時代、社会、宗教などの様々な要因が「ヨコ糸」になって、似ているけども決して同じではない模様の入った織物が紡がれ続けていく、というイメージが頭に浮かびました。

確かに『大切なことは、様々な個性が生きやすい社会か生きにくい社会か』ですね。それさえ実現できれば、「福祉」なんて言葉は社会と同義語になって必要なくなるのではないかと思います。

私の回避性人格障害(?)は1年ほど前に自力で克服しました(したと思っています)。父も母も、やり方はともあれ私を大切に思ってくれていた、と今では理解しています。
両親を「許す」ことでラストになると思っていたのですが、さらに深く原因を探る旅に出てしまい、今回先生のブログにたどり着いた次第です。

最近、ボーエンの「家族評価」という本を読みました。家族のうちの誰かが世代間連鎖の仕組みを知って「自律」するための努力を始めると、その人が引き金となって家族全体の自律が進んでいく、と書かれていました。
知識は勉強することで得られますが、個人が自律するためには自己と対話して、自分を知るという作業が必要です。これが難しい!
しかし『あぁ自分らしい、いい人生だった。そう思って死ぬことができ』るよう、自己覚知を進めていきたいと思っています。

最後に一言。先生の行ってらっしゃる活動は、現代社会が抱えている数多くの問題の根幹・本質へのアプローチであると思います。いつか多くの人がそのことに気づき、語り合い、未来を希望あふれるものと心から信じて歩んでいける日が来ることを心から願っています。
私も微力ながら頑張ります!!

 

クインテットさんへ

問題へのアプローチはいろんな方法があると思います。
何事にも素因と環境因があり、素因がどのように花開くかは環境による影響が大きいと考えています。その環境因の一つに世代間連鎖もあると思います。

また、素因に関わる脳の構造などは一人一人全員が違うと思っておりますので、いわゆる“普通”というのは存在しないというのが私の感覚です。あるのは個性の違いだけです。発達障害のお子さんも見ておりますが、発達障害も一つの個性です。大切なことは、様々な個性が生きやすい社会か生きにくい社会かと言うことだけです。

また、親子関係の中から後天的に性同一性障害になった事例があったり、アスペルガーであったが故に世代間連鎖から免れることができたという事例もあります。「人生あざなえる縄のごとし」で、何がよくて何が悪いのかなどと決めることはできません。

また、遊び人で財産を食い尽くしたかのような先々代が連鎖を断つ第一歩を記しており、先代の行為が二歩目を記しているかのような事例もあります(もちろん、ご本人はそういう思いで人生を生きられたわけではないでしょう。世代間連鎖は、このような大きな見方をすることもあります)。世間や家族から一般的に肯定的にはとらえられないことも、違う様相が見えてくると三代目の自分の役割などが見えてきたりします。

いろいろな観点からトータルで人生を眺めてみればよいと思います。
いろいろな見方をすることで、自分に対する洞察が深まるでしょう。

深めて何をするか?
結局は、自分の気持ちを大事にして生きることができるようになれば、他からどう見えてもそれが最高の人生ではないかと思います。(最後に到達するところが“ゆるし”であれば、そこがゴールかもしれませんね…)

死ぬときに、「あぁ自分らしい、いい人生だった」―そう思って死ぬことができれば、それでいい。
そういう観点から、もう一度自分がやろうとしていることを振り返ってみられてはいかがでしょうか。

 

テレビであのお父さんを見たときに、
なんと言うか、すごく哀しくなった。
なんで中学生とか、高校生のおしゃれしたい盛りの子に、自分のお古のおじさん服を着せているのか。
そんな状況でも、文句も言わずに来た子...。
それでも、進学も貧乏だからさせてやれない、と。
進学したかったら、自分で働くようにと、
職安に行くことを勧められ...。

で、通り魔のような事件が起こると、
「こんなことしてはいけないよ。」と
噛んで含めるように、息子に言ったとか...。

本当に信頼し合った親子なら、「こんなことはしない」って言うのは、
口に出さずとも分かっているはず...。

このオヤジは、そんなことも分からないまま、
息子を育てているつもりになり、息子は、
そんな基本的な信頼さえもない親から、
これまで庇護されてきたことに気づいたのかもしれない、と思った。

それは、「こんなことはしてはいけない」という、それまでは自明だったことに対して、
却って息子を送り出すエールになったかもしれない...。

たった一人、自分に愛情らしきものを
注いでくれた人間が、自分を全く信頼していなかった、
理解していなかった、という絶望...。

このオヤジは、ペットを飼えば良かったんだ。

ペットは、ある意味優れているから、それさえも
許せる器がある。

人間には、自我があり、ペットにはなれない。
それが人間の素晴らしさだ。

 

発達障害との関連は?

初めてコメントいたします。
この18歳の少年は確かアスペルガー障害があると報道されていたと思います。

そこで質問させてください。
子供か片親(あるいは両親)のどちらか、あるいは両方に発達障害があった場合、家族システムズ理論の世代間連鎖は継承されるのでしょうか?

私も家族間の世代を超えたしがらみに関心を持ち、現在勉強しています。この問題に関心を持ち始めたのは、私自身の回避性人格障害とも思える「生きにくさ」を克服したいと思ったからです。
いろいろ調べていくうちに、妹が自閉症なだけでなく(これは前から自明)、父がアスペルガー、夫がADHDらしいことがわかりました。
子供が発達障害で通常の認知ができないケース(いわゆる育てにくい子供)だったり、親の認知が歪んでいる場合、世代間連鎖のみで問題を理解してよいものだろうかと今悩んでいます。お考えをご教授頂きたく、お願い申し上げます。

 

追伸
一番 言いたかったのは・・

こういった記事が

「学校の図書館や 身の回りで読めるチャンスを
今 苦しんでいる子ども達に 与えてほしいな」
そういう環境が作られるといいな。 

ということを 言いたかったのでした。
文章が長くなり、失礼いたしました。

 

犯罪者の気持ちが分かる気がする&お願いと希望

この文章を読んで 身につまされる思いがしました。

この18歳少年と (真実は本人にしか分からないことなので もしかしたら、とでしか言えませんが)
同じような親子関係を築いて育った私には、
この少年の気持ちが 分かるような気がします。

私は このような 一見支配に見えない支配「真綿の支配」の中にあった中学・高校時代
(悲しいことに最近になって 原因がわかりましたが)
当時は その原因が分からず、もどかしくて苦しくて・・
周りにS0Sを出しましたが 理解してもらえない
(家庭もまぁまぁ裕福で 何の不満があるの? としか理解してもらえない)
孤独な状況下にありました。

 
私は 毎日毎日、来る日も来る日も、
親を殺すか 自分を殺すか 
と 考えるところにまで 追い詰められていました。

そして 実際にそのとき 自殺や殺人を犯さなかったのは 
夜中に包丁を握り締めていたのにもかかわらず 
ただ、 怖くて 実行するまでには 至れなかっただけ、 
ただ それだということ。


私はただ、 紙一重のところで 殺人という犯罪を犯さなかった人間です。


本来ならば できることなら大切にしたい家族。
殺意を抱く気持ちと同時に、
こんなことしか考えられない自分を
強く責める気持ち との葛藤の中にいました。

 
最近になって あの当時の苦しかった理由の原因が
少しずつ分かってきたような 気がします。

家を出、親から離れて11年 
今になってようやく気づきました。   やっぱり
「私はただ、 自分の意思をもった 1人の 人権のある人間になりたかっただけなんだ」
ということに。

ところが、
幼かった自分にとって 世界は学校と家庭だけでしかなく
(さらに度重なる転勤 という友人達との別れ新たな環境など 悪い状況も重なり)
「真綿の支配」の中にいる自分は
自分で決断する判断に 自信が持てません。

「真綿の支配」の中に入り込んでいること すら、
気づきもしないのです。

今となっては当たり前のことが  当時は支配されすぎて 
「私はただ、 自分の意思をもった 1人の 人権のある人間になりたい」と 思うことさえ
間違った考えなのでは 、 とも そのときは、感じていたのです。

判断能力は、 ありませんでした。



 当時の私の 一番の、 間違った解釈は、

 『自分が至らない人間がからこそ、それが一番の苦しい原因なんだ。』

 と 感じていたこと。


そのことに 気づかないで(悪い言い方をすると)洗脳状態の中にいることで
自分の心の本当に痛い部分がどこなのか
当時の私には分からなかったのではないか と、今にしては 思います。

私の希望としては・・

『当時の私に このような記事が読めていたら、
SOSの場所を 探しあてることが 出来たのでは』ないか。

また そうできたら、どんな違った人生が
あっただろうか、とも考えます。

『当時の私に、このような記事があれば』 
親を含めての カウンセリングを受けに行くこともできたかもしれない。

私は自殺や殺人や犯罪の 根本となる原因が
少なからず このような心理状態と 「母子カプセル」のような閉鎖された社会のなかで
なにかしらの心のひずみでおきている場合もあるのではないか
とも 思うのです。

   『 「真綿の支配」 の 一番の、問題点』 は、

     親からの肉体的虐待 とは違い、 はっきりと 目に見えるものではないため、 
     「本人がSOSを発しても そう簡単には 相手に伝わりにくい」、
     という点に あると思うのです。  
     そして 相手に間違った解釈をされると ただの怠慢、に しか、見られない
     と いう点。   


お願があります。

私は専門家ではない ということもあり
具体的に 私に何ができるかということが 思いつきません。

私は・・

     同じように 今、 苦しんでいる子供たちが 

     当時 私が  気づきたかったけど気づけなかったこと
     SOSをだせる場所が ある、ということを

     『気づけるようになる機会が与えられる状況』が
     作れる方法、

そういう方法を どうか 考えてみていただけないでしょうか!

『このような記事が読めるだけでも! 十分、きっかけになると、私は 思います。』 

SOSの場所はかならずある、ということに
今 苦しんでいる子供たちが 気づける社会になることを
強く望んでいます。
また 殺人や自殺の少なくなる社会になることを 心から望んでいます。



最後まで 読んでくださって  ありがとうございました。



 

 

カウンセラーの立場

カウンセリングについて、疑問というか少しお怒りを持ってらっしゃる上記のコメントについてですが、
世の中にはいろんな人がいるので
ある人に対しては、とてもよく効く方法もあれば、ある人には効かない方法もあると思うんです。
それは、薬でも、健康療法でもなんでもそうだと思います。要は、個人差もあることだし、本人が本人にとってどれだけ自分と向き合うことになるかのきっかけ作りだと思うのです。

不思議がる少年さんが感じられていることは、繊細で敏感な感じ方をされているという印象があり、おっしゃってる意味が分からなくもないし、すべてが間違っているとまでは思いません。

カウンセリングもひとつの方法だと思うので、それから、何か助けられること、そして自分自身が考えられるきっかけになればいいと思うんですよ。

カウンセリングによって助けられて
自律された方もたくさんいらっしゃるだろうし、逆に依存してしまった方もいらっしゃるだろうし。

要は、疑問や怒りをぶつける前に
少し自分をみつめて、一呼吸をおかれたらいかがでしょう。それができれば、誰も苦労しないんですけどね。

もともとの上記トピックですが
父子カプセルだったんですね・・。

私の元旦那も、父子と母子カプセルの中に居た人だったので
それはそれは、怒りがすごかったですよ・・・。
こんなことなら、他人ではなく、自分の怒りの本体にぶつければよいのに、って思うけど、それができないから、他人にいっちゃうんですよね・・。なんというか・・。本当に。切ないくらいに、なんともやるせないことです。

 

カウンセラーが悩みを作る…?

いくつか記事を拝読してましたが、原因を知ることってそんなに大切なことでしょうか?

先生の仰る理屈は分かりますが、どうしても先生の発言には「何か一つの幸せのイメージ」に寄りかかってる気がしてきます。

原因などというのは無数に存在していていますよね。それを存在不安や親(自分の中の)という「とてつもなく大きな枠」に当てはめているように感じます。

確かに「人を殺したい」「自殺したい」というなら、その人には他人や自分を殺す必要があるのでしょう。私なんかは「だったら殺せばいい」と思っています。他人も自分も。
ただ、その殺し方に工夫が必要なんだと私なんかは考えます。それはその人がきっと「自分の今のアイデンティティ」を殺したいんだと私なんかは思うからです。

と、いう風に書いていくとこれはただの分析です。

先生のブログを読みますと分析だけは上手なようですが、その知識をカウンセリングの現場でついつい披露してしまっているのではないか?という気がかりを感じます。目の前の人は先生の経験したケースや知識は特に聞きたくないと思います。それで安心できる人は割と幸せだとすら思っています。

「原因を定めることは、カウンセラーが新たなる悩みを生み出している事」のように思います。
「人の不幸せでご飯を食べている」カウンセラーという職業は、大いに矛盾を孕んだ職種ですが、どうも先生の「原因追求型」のお話は私にとっては違和感を感じます。

世代間連鎖などという考え方も分かりますが、それで救われる人は、まだ幸せだと思います。
なんだか結局さいごは現状の辻褄を合わせただけで、カウンセラー自身が自己満足してしまうようなそんな雰囲気を先生の文章を読んで感じます。

ある精神科医が「カウンセリングなんてのは心の弱い人が受けるものですよ」と言い切ってまして、私は「その発言はどうかな?」と首を傾げはしましたが、先生をはじめカウンセラーのポジティブさにもどうも首を傾げてしまいます。

生と死は双子の真理であると私なんか思いますが、どうも先生の論理は「生」だけの論理のような気がしまして、そうなると先の精神科医の発言も一理あるように思えてきます。

つたない文章ですが、ここ数日そういった疑問がどうしても消えないものですからコメントさせて頂きました。長文失礼いたしました。

 

ここまで可愛がるもの?

この事件 発生時から気になっておりました。謝罪の記者会見での父親を見る限りでは「なぜこんな子が?」というのが第一印象。56歳で派遣社員?不景気が原因なのか?はたまた世の中が悪いのか?疑問だらけ。後日の新聞記事等でわかってくるであろうと思い 今に至ります。
はじめ、この事件は「世の中が悪い?」と思い続けましたが、こんな父子関係なんだとは思ってもいませんでした。過保護にも限界あり?そんな印象 母親の存在はなんだろう?家族とは?そんな疑問ばかりで頭がおかしくなりました。よく考えてみれば、いくらイジメされていたとはいえ高校生にもなって休日は父と24時間一緒!には驚かされます。私も息子との時間は楽しいですが、24時間一緒が続くと親も子も嫌になりますよね。ここまで“監視”する親、された子ども、疑問だらけです。時間が掛かってもいいから、この父子の関係 もっと知りたい そしてこれからに活かして生きたいです。
中尾英司さんへ 余談ですが私のブログのURLが変更になりました。お忙しい日々かと思われますが、リンクの変更をして頂いたらうれしい限りです。これからもよろしくお願いします。

 

かわいがって何が悪い。

この家庭と我が家は似ているなと思いました。タイトルは姑さんの言葉ですが、彼女は複数の孫の一人だけかわいがります。夫も独り占めのように娘をかわいがりました。娘が泣き叫びながら話してくれたのは、自分が孤独なこと、この家はなんにも楽しくない。といったことでした。お父さんにかわいがられているから、いいとおもっていた私が馬鹿でした。お父さんがひっついていて、自分の思うように、つまり、道具になっていたんですね。幸い、対外的な仕事も入り、後ろ向き、結局母親の言う仕事についていたから、自分の意思が入ってなかったからだろうけど、その仕事に、前より向かうようになってきました。
 わかっていたつもりがなんにもわかっていなかったのですが、離婚も覚悟で立ち向かえて、よかったです。
 無意識というのは知らずしらずで、づっと続いてしまうので、こわいですね。
 ここで勉強していたのが役にたってます。娘がきずかせてくれたのだけど。理解することができました。ありがとうございます。聴くということが大切なのも痛感です。

 
    
 
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