岡山突き落とし事件-「父子カプセル」が招いた悲劇
また、「誰でもよかった」である。
常々言っていることだが、「人を殺したい」とか「誰でもいいから殺したい」というときは、「自分の親」を殺したいときなのだ。いい加減に気づいてほしい。
気づけば、なぜ親を殺したいのか考え始めるだろう。
そして、原因がわかれば何らかの手を打ち始めるだろう。
少なくとも、自分と無関係な他人の人生を奪う結果にはならないはずだ。
18歳少年よ。
君は、假谷さん、假谷さんの妻および子供の将来、そして、假谷さん側、奥さん側のご親族、ご友人の方々…それら全ての人間の人生を奪ったのだ。
--------------------------------------------------------
昨日、スーパーモーニングに18歳少年の父親が出ていた。
ある“におい”を感じた。無意識に「真綿の支配」をしている親に感じるにおいだ。
自分がやっていることの本質に気づかないまま生きている人間の空虚感を漂わせていた。18歳少年は、この父親から逃げ出したかったのだろう-そう、思った。
--------------------------------------------------------
以下は、「週刊朝日」(4/11号)および「女性セブン」(4/17号)を読んでの事件の背景についての推測である。なぜ書くかと言えば、このような親は実に多いからだ。
窒息しかかっている子ども達を沢山見てきた。
その子ども達(今は大人でも)が、自分の苦しさを理解するための何らかの参考になればという思いからだ。
訳がわからず苦しいだけだと、「衝動」が自分を突き動かしてしまう。
しかし、理解することで気づきが生まれ、気づけば「衝動」はおさまって「行動」に変わる。
犠牲者が犠牲者を生んでいる。
この「犠牲の連鎖」を断ち切りたい。
この事件を借りて申し訳ないが、このようなこともあり得るというケースとして取り上げたい。
(従って推測は、真相を究明するために行うものではないことをお断りしておく)
■父子密着-------------------------------------
『5時頃に仕事を終えると息子に電話します。息子は駅まで迎えに来てカバン持ってくれる。『なに食べる?』と話し合いながら買い物に行くんです。夜は同じ部屋で布団を並べて寝る。修学旅行や合宿以外は毎晩で、土日は必ず24時間一緒に過ごす。安心感を与えたいと思っていた』
『優しい息子で、背中が痛いときは薬を塗ってくれるし、肩が凝るとたたいてくれる。僕が怪我したときは、「家庭の医学」を読み、「酒とタバコ、どちらかはやめて」とよく言ってくれた』
ゾッとした。
ナンダコレハ…まるで新婚夫婦ではないか……。
父子家庭なのか?
いや、母親がいた。朝8時から夜12時までパートだという…つまり、いるが、いない。
■母親疎外-------------------------------------
15歳上の兄(33歳)は、大学に進学して独立し家庭を持っている。
なぜ、15年も経って2人目を作ったのか。
長男がサナギの時期を経て、自分の人生に出て行き始めるときである。
次男を作ったときは、まだバブルもはじけておらず余裕もあったのだろう。
「妻とは性格が反対」だとこの父親自ら言っている。そして、
『子育てに関しては、家内に口を出させませんでした』とも言っている。
なるほど…
この父親は寂しかったのではないか。
『男の子ですし、お父ちゃん子やから、自然と僕によってくるんです』
-と、父親は言っているが、そうし向けたのではないか。
折しも、次男が生まれて間もなくバブルははじけ、自分の支えであったはずの大工をやめて職を転々。さらに、次男が5歳の頃に阪神大震災にあって引っ越しをする…「仕事」「金」「家」など、自分を支える精神的支柱を失って、この父親に残ったものは次男だけだったのではないだろうか。
■存在不安-------------------------------------
「存在不安」を持つ人間にとって子供は麻薬だ。
常に自分を見てくれるし、自分を求めてくれるからだ。
子供が、自分の存在を「保証」してくれるのである。
もしかすると、長男が自立に向かうときに、「夫婦連合」のできていないこの父親は寂しさを感じたのではないだろうか。そのため、自分を求めてくる子供がほしくて15年もの時を経て子供を作ったのではないか。
これまでも多々見てきたが、「存在不安」を持つ親は、わが子を自律できないように育てる。
それは難しいことではない。「禁止令」を与え続ければよい。
例えば次のような事例がそうである。
「自画像で自分の手を描き忘れる子供」
親が子供の事にあれこれ口や手を出すことは、「それは親がやるからお前が自分で考えたりやったりしてはダメだ」という禁止令を与えていることに他ならない。言い換えれば、親に依存させるようにし向けていくのである。
当然、子供は自分に自信を持てないままに大きくなる。その様子を見て親は心配する。そして、ここが怖いところなのだが…、親は心配することによって「わが子のことで心配している自分の存在」を感じているのである。
つまり、「我心配する。故に我あり」なのだ。
■イルカ人間-------------------------------------
私は「イルカ人間」と呼んでいる。
(私のブログでは、「カニ」とか「イルカ」とか出てくるが、非難するために用いているわけではなく、イメージとして分かりやすいように用いています)
イルカは、短い音を連続的に発し(クリック)、物体からの反響(echo:エコー)を受け止めて物体からの距離や自分の位置を確かめる。これをエコーロケーション(echolocation:エコロケーションとも)、日本語では反響定位(はんきょうていい)と言う。
いつぞやのテレビで、兄弟とかけっこをして猛スピードで階段を駆け上がる黒人の少年を見た。なんと彼は盲目であった。しかし、まるで目が見えているのと同じようで、何の障害もない。
秘密は、彼のクリック音にあった。始終クリック音を出しているのだ。彼は、反響定位していたのである。
反響定位の本質は、そこに物体があることを確認することではない。
「ここに自分がいる」ことを確認することにある。
つまり、「心配する」ことで自分の存在を感じることができる。
なぜ、それが「我思う」ではなく「我心配する」なのか。
それは、心配することによって「対象」が発生するからだ。
自分の存在を認知してくれる対象を巻き込むことが出来る。
対象の側から言えば、心配されることで巻き込まれてしまうのである。
こうして、ターゲットとなった人は、誰であれ彼であれ、「心配性」の人の舞台に引き釣り出されることになる。
■メビウスの輪-------------------------------------
ここに、心配する親と自律できない子供の「メビウスの輪」ができあがる。
どこまで行っても逃れることのできない無限ループだ。
親はわが子を「道具」にしていることに気づかない。
そして…道具にされた人間は、「怒り」を溜め込み続けていく。
■隠れた布石-------------------------------------
「小学校時代、襟が破れたシャツをいつも着ていた」(同級生)
「中学時代、いつも黄ばんだシャツを着て汗かきだから、周りに「臭すぎ」と嫌がられていたよ」(同級生)
これらの様子は、母親が次男から完全に疎外されていたことがわかる。
この父子関係の中に、母親が介入する余地がもはやなかったことを伺わせる。
『夕食は父親が作り、少年と二人で食べる日々』
『朝8時から夜12時までパート』ということ自体、母親の居場所が家の中にはなかったということを示唆している。
子供にとって安全基地の本体である母親から疎外されているのだから、少年が安定するはずもない。
そして、衣服のそのような様子も、同級生が言っているように、いじめを惹起する誘因となっただろう。
■禁止令-------------------------------------
次男が転校した先で、肥えてることを理由にいじめられて外に出なくなった時、父親は
『“しんどかったら、学校から帰って来い。家におり”っていうたんです。いじめがエスカレートして自殺されたら困るから、僕はそういいました』
-「しんどければ外に出てはいけない」という禁止令を発令した。
『いじめられてシュンとしていたときは、心配で心配で僕が仕事を休んでそばにおったこともありました』
-「お前は俺が傍にいなければダメだ」という禁止令である。
『子供が休みの日は勉強してるか、僕と散歩に行くか。一人で自由に遊ばせなかったですね。変なやつに引っかかって、いじめにあわないかと心配していました』
-上記プラス「お前は一人で自由に行動してはダメだ」という禁止令である。
『中学でもイジメが続いて、息子が自殺すると思ったので、常に一緒におることにした。“守り”を多くして、息子には『変なこと付き合ったらあかん』『父ちゃんが帰る夕方の時間までに帰れよ』と厳しくしつけた』
-「自分の許可なく人と接するな」「自分より遅く帰ってはならない」という禁止令である。
そして父親は、
『仕事終わりには必ず少年に電話をかけ、残業があるかないか、いつ帰るかを伝えた』
-常に自分の存在を意識させている。そして、上記の禁止令によって、自分とリンクした行動を暗に取らせるのである。その結果、先に見た「忠犬ハチ公」のような行動を次男が取るようになったのだ。
うざい!
重苦しい!!
それが、少年の心の叫びだったのではないだろうか。
■真綿の支配-------------------------------------
しかし、少年にはそのことが明確になってこない。
なぜなら、「お前のことが心配だから」というメッセージが父親の禁止令の裏に張り付いているからだ。
このブログをお読みになっている方はお分かりだろう。
つまり、「あなたのためなのだから異議申し立てを禁ず」という「第二次禁止令」が、同時に発令されているのである。
そう、「心配する」というのは、実に巧妙な「ダブルバインド(二重拘束)」なのである。そして、このダブルバインドに遭うと、どの人間もがその命令通りに動かざるを得なくなってしまう。
少年は、DVやモラハラを受けているのと全く同じハラスメントを受け続けていたのである。私は、このような一見支配に見えない支配を「真綿の支配」と呼んでいる。
ハラッサーとは、「人を道具にする人間」のことだ。
少年の無意識は、自分が親の道具として扱われていることを知っている。
「人間の尊厳」を奪われたときにわき起こる感情-「怒り」
その怒りが、静かに、しかし、確実に蓄積されていった…。
■塞がれた逃げ道-------------------------------------
少年は、この「監獄」から脱獄したかった。
しかし、この監獄は24時間の看守付きである。
彼は大学に進学することで逃げようと考えたと思う。
親という監獄からの離脱(←「情緒的離脱」と言う)のために遠方の大学に進学することがある。
しかし、父親はこう言った。
『東大はお金持ちで由緒ある家柄の人でないと入れないと僕は思っている。「うちは貧乏。どんなに天才でも東大には入れへん」と息子に言ったことがある』
逃げ道を塞いだのである。
「俺はお前を手放さないよ」と、宣言したのに等しい。
少年は「第三次禁止令」(逃げ道を塞ぐ命令や状況)を発令された。
ここに、
第一次禁止令
第二次禁止令
第三次禁止令
その全てが揃った。
少年は、逃げ場を失った。
■蓄積された感情の爆発-------------------------------------
彼は、男性(假谷さん)を突き飛ばした。
少年が突き飛ばしたかったのは、
自分にどこまでもまとわりついてくる父親だったのではないかと思う。
そして、人を殺してまでも刑務所に行きたかったのは、どこまでもどこまでもまとわりついてくる父親の魔の手から逃れるためだったのだろう。
彼は、ハラッサーから逃れる女性が警察に保護申請するように、警察に保護してもらいたかったのではないだろうか。
もう、精神鑑定だの、心神耗弱だので誤魔化すのはやめてほしい。
日本社会全体が、「人の心」に注目してほしい。
物質文明はもういらない。
假谷国明さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。
「禁止令」「ダブルバインド」の詳細については下記をご覧ください。
・「精神の生態学」~ベイトソンのダブルバインド理論の詳細