文京区無理心中事件~苦悩する2代目の方へ
2008/04/08(Tue) Category : 少年犯罪・家族事件簿
3月28日、文京区小石川の製本工場兼経営者宅で経営者の江成征男容疑者(42)が祖父母、妻、子供を殺傷する無理心中事件があった。殺されたのは、江成三男さん(74)、その妻の敏子さん(70)、嫁の伸子さん(37)の3人。小学2年の長男(8)と二男(4)が重傷。小学6年の長女(12)は逃げて無事。
報道によると、江成容疑者は約20年前、父が脳梗塞(こうそく)で半身不随になったのをきっかけに会社を取り仕切るようになり、従業員5人でチラシ製作を行っていたが、『最近は出版不況で、廃業、移転した工場も多く、跡地は次々にマンションに変わっている。親しい人もどんどん引っ越して相談する友人もいなかったのかも』(近所の製本業者(69))
江成容疑者は次のような問題を抱えていた。
1,売り上げの約3割を占める製本会社が4月に移転
2,約2割を占める別の製本会社が4月末に廃業
3,自宅北側に建設予定のマンションから工場の騒音に苦情がくるだろうことを気にしていた
4,取引先の近くに工場を移転する計画だったが父親の反対で断念
5,両親ともに体調が悪く、介護のストレスを周囲に漏らすこともあった
つまり、収入は半減し、実の父から移転反対と退路を断たれ、
経営者として5人の従業員の家族の生活を抱え、
父親としてこれから教育費のかかる子を抱え、
子として介護の必要な老親を抱え、
地域住民として将来の苦情不安を抱え…
全てを一人で背負い込んで、そしてパンクした…
私は、「家業」を持つ2代目のお宅にお邪魔することもよくある。
やはり、一人で全てを背負い込んでいることが多い。
多くの場合、その方達の両親(初代)は存在不安を持つ人だ。
存在不安を持つ父親(初代)は自分が安心できる居場所=「子宮」を作る。
ビジネスとしての事業というよりも、子宮としての起業であることが多い。
存在不安を持つ人は、子宮を作ったからといって安心できない。
それは人工子宮であるため、絶えず維持する必要があるからだ。
そのため、子宮の維持がその人の人生そのものになる。
初代にとって、家族は全員子宮維持のための道具である。
自分が死ぬ1秒前まで、自分の存在不安と向き合いたくはないのだ。
だから、子宮の維持は絶対命題なのである。
家族はその運命に巻き込まれていく。
子供は長じるにつれ自分の夢をあきらめ、家業を継ぐことを受け入れていく。
自分の気持ちを抑えて、父親の手となることを受け入れるうちに、「器」としての生き方が身についていく。すべてを受け入れ、抱え込んでいく生き方だ。
征男容疑者は、穏和で怒ったことがないという。
私も、生まれてこの方55年間怒ったことがないという方のカウンセリングをしたことがある。
その方も、「器」として生きてこられた方だった。
怒りとは、尊厳を傷つけられたときにわき起こる感情である。
「器」として生きている人は、人ではなく道具として生きているために、怒りが湧かないのである。
しかし、無意識に怒りは溜め込まれている。
その方は8時間語り尽くした最後の方で「怒り」が吹き出した。
生まれて初めての怒り-それは、自分の親への怒りだった。その日から、その人は人間に戻り始めた…。
恐らく…「三男(みつお)」というからには、父親は三男(さんなん)だったのだろう。
そして、三男だから“三男”という名付け方を見れば、愛情を十分にもらえていないと思われる。
まして、跡取り以外は「後は野となれ山となれ」の世代。自分の子宮は自分で作るしかなかった。
そして征男容疑者は、父が半身不随になったため、否応なしにその子宮の維持をすることになった。これは異議申し立てを禁ずる「第二次禁止令」が発令されたに等しい。自分の人生を歩こうにも歩けなくなったのである。江成容疑者はそれ以降、借り物の人生を歩かされたといってよいかもしれない。とても苦しいことである。
「危機」という字は、「危」が「機」であることを示している。危(ピンチ)は機(チャンス)なのである。
不況は、実は征男容疑者が、自分の手に人生を取り戻すチャンスだった。
しかし、父親は反対した。当然だろう。父親はこの「子宮」の中で生を終えることを願っている。この時、逃げてはいけないという「第三次禁止令」が発令された。退路が断たれたのである。
征男容疑者が自分の感情を育てていれば、何らかの道があったかもしれない。
自分の背骨ができているからだ。
しかし、器として生きている人は背骨ができていない。自律できない…。
事業の将来性はなく
しかし、自律はできず、
そして、退路は断たれ…
もはや「死」しか、残された逃げ道は見えなかったのかもしれない。そして、借りものの人生に疲れ果てたのかもしれない。
全員を道連れにしたことが、いろいろと言われているが、道具となって生きている人は、どこか感情が摩耗している…。
子供に問題があってお伺いした所が、苦悩する2代目の家だった。
初代の仏壇にお参りして話をさせてもらった。
お父さんは一代でよくここまで築かれましたね。
そして、みんなに看取られて幸せな人生だったと思います。
でも、その影には息子さんの支えがあったんですよ。
息子さんは、よく頑張ってこられたと思います。褒めてあげてください。
これまで息子さんは、この家業を守るために懸命に頑張ってこられました。
しかし、お父さんが生きていた頃は「子宮」でしたが、今は「お墓」です。
そのお墓を守るために、ご家族が苦労されています。かわいいお孫さんまで…。
ご家族は皆、十分に尽くされたと思います。
これから息子さんは「親の子」の立場から、「子の親」の立場に変わります。
そして、お父さんにできなかったことを代わりにやってくれるんです。
それは、自分の人生を生きることです。
自分を超えた息子さんを褒めて、そして見守ってあげてください。
…親の遺言より大事なものは、気持ちを受け止めあえる生活をすることです。
報道によると、江成容疑者は約20年前、父が脳梗塞(こうそく)で半身不随になったのをきっかけに会社を取り仕切るようになり、従業員5人でチラシ製作を行っていたが、『最近は出版不況で、廃業、移転した工場も多く、跡地は次々にマンションに変わっている。親しい人もどんどん引っ越して相談する友人もいなかったのかも』(近所の製本業者(69))
江成容疑者は次のような問題を抱えていた。
1,売り上げの約3割を占める製本会社が4月に移転
2,約2割を占める別の製本会社が4月末に廃業
3,自宅北側に建設予定のマンションから工場の騒音に苦情がくるだろうことを気にしていた
4,取引先の近くに工場を移転する計画だったが父親の反対で断念
5,両親ともに体調が悪く、介護のストレスを周囲に漏らすこともあった
つまり、収入は半減し、実の父から移転反対と退路を断たれ、
経営者として5人の従業員の家族の生活を抱え、
父親としてこれから教育費のかかる子を抱え、
子として介護の必要な老親を抱え、
地域住民として将来の苦情不安を抱え…
全てを一人で背負い込んで、そしてパンクした…
私は、「家業」を持つ2代目のお宅にお邪魔することもよくある。
やはり、一人で全てを背負い込んでいることが多い。
多くの場合、その方達の両親(初代)は存在不安を持つ人だ。
存在不安を持つ父親(初代)は自分が安心できる居場所=「子宮」を作る。
ビジネスとしての事業というよりも、子宮としての起業であることが多い。
存在不安を持つ人は、子宮を作ったからといって安心できない。
それは人工子宮であるため、絶えず維持する必要があるからだ。
そのため、子宮の維持がその人の人生そのものになる。
初代にとって、家族は全員子宮維持のための道具である。
自分が死ぬ1秒前まで、自分の存在不安と向き合いたくはないのだ。
だから、子宮の維持は絶対命題なのである。
家族はその運命に巻き込まれていく。
子供は長じるにつれ自分の夢をあきらめ、家業を継ぐことを受け入れていく。
自分の気持ちを抑えて、父親の手となることを受け入れるうちに、「器」としての生き方が身についていく。すべてを受け入れ、抱え込んでいく生き方だ。
征男容疑者は、穏和で怒ったことがないという。
私も、生まれてこの方55年間怒ったことがないという方のカウンセリングをしたことがある。
その方も、「器」として生きてこられた方だった。
怒りとは、尊厳を傷つけられたときにわき起こる感情である。
「器」として生きている人は、人ではなく道具として生きているために、怒りが湧かないのである。
しかし、無意識に怒りは溜め込まれている。
その方は8時間語り尽くした最後の方で「怒り」が吹き出した。
生まれて初めての怒り-それは、自分の親への怒りだった。その日から、その人は人間に戻り始めた…。
恐らく…「三男(みつお)」というからには、父親は三男(さんなん)だったのだろう。
そして、三男だから“三男”という名付け方を見れば、愛情を十分にもらえていないと思われる。
まして、跡取り以外は「後は野となれ山となれ」の世代。自分の子宮は自分で作るしかなかった。
そして征男容疑者は、父が半身不随になったため、否応なしにその子宮の維持をすることになった。これは異議申し立てを禁ずる「第二次禁止令」が発令されたに等しい。自分の人生を歩こうにも歩けなくなったのである。江成容疑者はそれ以降、借り物の人生を歩かされたといってよいかもしれない。とても苦しいことである。
「危機」という字は、「危」が「機」であることを示している。危(ピンチ)は機(チャンス)なのである。
不況は、実は征男容疑者が、自分の手に人生を取り戻すチャンスだった。
しかし、父親は反対した。当然だろう。父親はこの「子宮」の中で生を終えることを願っている。この時、逃げてはいけないという「第三次禁止令」が発令された。退路が断たれたのである。
征男容疑者が自分の感情を育てていれば、何らかの道があったかもしれない。
自分の背骨ができているからだ。
しかし、器として生きている人は背骨ができていない。自律できない…。
事業の将来性はなく
しかし、自律はできず、
そして、退路は断たれ…
もはや「死」しか、残された逃げ道は見えなかったのかもしれない。そして、借りものの人生に疲れ果てたのかもしれない。
全員を道連れにしたことが、いろいろと言われているが、道具となって生きている人は、どこか感情が摩耗している…。
子供に問題があってお伺いした所が、苦悩する2代目の家だった。
初代の仏壇にお参りして話をさせてもらった。
お父さんは一代でよくここまで築かれましたね。
そして、みんなに看取られて幸せな人生だったと思います。
でも、その影には息子さんの支えがあったんですよ。
息子さんは、よく頑張ってこられたと思います。褒めてあげてください。
これまで息子さんは、この家業を守るために懸命に頑張ってこられました。
しかし、お父さんが生きていた頃は「子宮」でしたが、今は「お墓」です。
そのお墓を守るために、ご家族が苦労されています。かわいいお孫さんまで…。
ご家族は皆、十分に尽くされたと思います。
これから息子さんは「親の子」の立場から、「子の親」の立場に変わります。
そして、お父さんにできなかったことを代わりにやってくれるんです。
それは、自分の人生を生きることです。
自分を超えた息子さんを褒めて、そして見守ってあげてください。
…親の遺言より大事なものは、気持ちを受け止めあえる生活をすることです。