プロフィール
 

中尾英司

Author: 中尾英司
Doing(させる,働きかける)ではなく、Being(共にある,見守る)―半歩あとから


カウンセリング申込み要領

中尾真智子ブログ

ホ・オポノポノ to IC―
「ごめんね」「ゆるしてね」
「ありがとう」「愛している」

 
ピックアップ目次
最近の記事+コメント
 
 
カレンダー(月別)
 
01 ≪│2017/02│≫ 03
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 - - - -
 
カテゴリ
 
 
全ての記事を表示する
RSSフィード
 
 

田中休愚と富士山大噴火

2008/04/12(Sat) Category : 人物
最近、やたら地震が多いですが…(尋常ではありません)


1707年、富士山が大噴火。
噴煙は昼を夜にし、最大3mもの灰が小田原に降り積もった。

川底が上がった酒匂川は氾濫し、人々は流民となって村を捨てた。
当時、政治は各藩毎に行われていたが、一藩でどうにかできる惨事ではなかった。

そこで、連邦政府(江戸幕府)は、小田原藩の救済に乗り出す。
日本初の国税を徴収し、その各藩から集めた金を用いて酒匂川の堤防工事を行おうとした。

ところが、工事の元請け豪商達はその金を着服し、孫請けに耐震偽装のような手抜き工事をさせてお茶を濁す。当然、大雨で堤防はいともたやすく決壊し甚大な2次災害を引き起こした。

田中休愚は怒り、「民間省要(みんかんせいよう)」で幕府を批判した。
「酒匂川の工事では、金が空しく豪商のものとなり、将軍の慈愛も民衆までは届いておりません」

その批判を聴いた時の将軍徳川吉宗は、田中休愚を小田原立て直しのプロジェクトリーダーに抜擢する。「まず彼がなすところを試みるべし」

休愚は試行錯誤を繰り返しながらも、やがて二重三重の策を凝らした堤防建設に邁進する。
しかし、堤防の維持管理で周囲の町村がもめる。そこで、将軍から託された金で祭りを行い、人々の気持ちを近づけ、管理体制を整えていった。





しかし、堤防完成の6年前、休愚は病に倒れ、後継は休愚の娘婿である蓑笠之助に託された。蓑笠之助は、火山灰土でも育つ強い作物サツマイモの普及にも努めた。

当時、サツマイモ(馬鈴薯)を食べると死ぬという俗説が流布されていた関東で、時の権威新井白石さえも反対したサツマイモを研究し、「蕃薯考」として本に著し普及を計ったのが青木昆陽。

その昆陽に注目した奉行が大岡越前にその本を啓上し、越前より徳川吉宗に提案がなされ、かくして、国策として馬鈴薯栽培プロジェクトが承認されていた。そのサツマイモに注目したのが蓑笠之助だったのである。

かくして農民達は村に戻り初め、76年にわたる復興事業は終わる…。



【その時歴史は動いた第312回「富士山大噴火~幕府・復興への闘い~」を見て】





いやぁ、なんだか嬉しいなぁ。
しみじみと嬉しい。

嬉しいヒントがこのストーリーには沢山詰まっている。


<続く>





「人」が開放定常系組織を創る
「富士山大噴火」に見る望ましい国のあり方



関連記事
 
Comment0  |  Trackback0
 
 

Trackback

 

Trackback URL :
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

 
 

Comment

 
    
 
Home | Top ▲
 
はじめにお読み下さい
 

読まれる上での留意点
自分を取り戻す方法総目次
*全記事リンクフリーです

 
ブログ内検索
 
Google

Web このブログ
 
会場でお会いしましょう(^^)
風化させまいカレンダー
 
 
著作
わが子を守るために
記事
写真/動画集はこちら↓
 
 
お問い合わせなどあれば↓
 

名前:
メール:
件名:
本文:

 
ブックマークに追加
 
 
月齢
 
Today's Moon phase
 
↓このパーツを設置すると14本の苗木を植えられます
QRコード
 
QRコード