「DVサイクル」に巻き込まれる基本構造
1,親に気持ちを受け止めてもらえなければ存在不安を持つ
2,この「存在不安からの逃走」が、その後の人生の全てとなる
3,不安を持つ人は、安心できる居場所を探すか創ろうとする
4,結果、居場所を創るパワーを持つ人間と居場所を探す人間が出逢う
5,互いに天涯孤独を感じる者同士なので、強烈に惹かれ合う出逢いとなる
6,しかしそれは、投影した自分の姿を相手の中に見ているわけで、相手を救うということは自分を救うこと-つまり、自分のために相手を利用している(自己投影)。ここに、互いを道具にし合う「共依存」の関係が成立する。
7,ここで、ハラッサー(人を道具にする人間)とハラッシー(人の受け皿となる人間)は性別で決まるのではなく、親子関係の中で培われてきた姿勢で決まってくる。
8,ただ、男性に経済シフトしている社会構造なので男性がハラッサーになりやすい。
9,婚約や結婚など関係が確定してくるとハラッサーは怒りを出し始める。なぜなら、感情は受け止める相手を確保できると出てくるからだ。
10,ハラッシーは受け皿として鍛えられているので、この人おかしいとピンと来ないか、我慢してしまう。
11,さらに理不尽な目に遭っても「自分が悪い」「自分が選んだのだから耐えなければいけない」と思ったりする。なぜか?自分がたった一人放置される恐怖の方が怖いのである(そもそも自分の存在不安から逃れるために一緒になっている)
12,受け続ければ暴力はエスカレートするので、さすがに別居すると、今度は暴力から逃れることのできた安心できる空間の中で、過去からの感情が出てくるようになる。特に、小さい頃に感じた不安衝動が「今」出てくるが、それを相手と別れたくない衝動なのだと自分が勘違いしてしまうため、再びハラッサーの元へ戻る。
13,そして、一人で自分の存在不安と向き合うよりはましだという潜在意識が自分をごまかし、一緒にいる間は、やられた恐怖が薄れ希望をつなごうとする(たとえそれがライオンであっても、猛獣と同じ檻にいる恐怖よりも、一人になる孤独の恐怖の方が上→それくらい人は、「孤独からの逃走」をする)。
14,暴力を受け続ける中で、やがてセルフエスティーム(自尊心)やセルフエフィカシー(自己効力感)は失われ、身動きがとれなくなって閉塞状況に追い込まれていく。
15,出口なしの状況下で「心のコップ」には相手の感情が注ぎ込まれ続け、同時に怒りが溜まり続けている(怒りとは、人間の尊厳を奪われたときにわき起こる感情だから)
16,やがて、表面張力ギリギリで保っているような心理状況に近づいていくと、顔が怒っているような顔、さらには無表情になっていく。
17,そこに、何かポツンとささいな出来事が起こったときに、心のコップの感情が一挙にあふれ出す。この時は感情の津波に呑まれて理性で行動を制御できない。これが「キレる」という状態である。このときに、事件や事故が起こる。
事件は、特にこの17の部分の出来事や心理に注目する。
そして、責任能力があったとか心神耗弱とかの言い合いとなる。
それはもはや、極端に言えば有罪にするか無罪にするかというけりをつける上での議論でしかない。そこを議論しても真実は見えてこない。
真実は1~16までの間-その全てが真実なのである。
【追記】
なお、上記は「存在不安」を基点にした見方です。実際はこれに、「人生脚本」や「謎解きゲーム」が加わってきます。
たとえば、
・親の受け皿であり続けようとする脚本
・親よりも不幸になることによって親に認められようとする脚本
・父に虐待されている自分を見捨てた母に絶望しないために、第三者に虐待されることを演じ続けるゲーム
・どこまで酷い目に遭えば母は助けてくれるのかを探るためにエスカレートしていくゲーム
・・・等
「だめんずうぉーかー」をする人が事件に巻き込まれないためには…
『このような男性に惹かれる傾向があるなら、自分が親にどう育てられてきたか。恋人を作る前にまず、親子関係の棚卸しをすることです。自分が変われば、選ぶ男の人も変わってくる。心が自律すれば今よりもっと、素敵な人と出会えるはずです』
【独女通信/モラハラ男と独女の泥沼恋愛(後編)】より。
【追記:ご参考】
・依存を断つときは、3日―2週間―3ヶ月―3年:DVサイクル、モラ親からの離脱編