井上康生-自律を勝ち得た柔道人生
2008/05/04(Sun) Category : 人物
フジテレビの「ザ・ノンフィクション」で井上康生選手の柔道人生を見た。
疲れもあって半分うつらとしつつ、見るともなく見ている感じだったが、
あ、父親を背負っているな…
あ、父親が変わったな…
あ、堕ちてふっきたな…
とポツンポツンと思いが湧きながら
父の言葉に苦笑する井上選手
強気の言葉を言う井上選手
じっと物思いに沈む井上選手
その時々の映像が印象に残っていた
そして、
最後の大会に望む姿を見たとき、
不意に急激に感情がこみ上げて、ボロボロ泣いてしまった
あー、何も背負わず、自分のために柔道を楽しんでいる
そう感じて、涙があふれて止まらなかった。
よかったなー、よかったなー、
自分のために柔道ができてよかったなー…
最後は、思い残すことのない自分の柔道ができて
笑顔で引退することができて
本当によかったなー
言葉にすると、そう言う思いが私を満たしていた。
そして、心からホッとした…。
私の場合、いつものことなのだが、“不意”にくるのである。
直前まで冷静だったはずなのに
一挙に来て、気づいたら涙があふれている
心が何か感じたら、考える間もなく体が反応している感じだ
あとで、あれこれとそのこみ上げてきた気持ちの正体を探すことになる。
---------------------------------------------------------
5歳で柔道をはじめ、10歳で父を背負って石段を往復して父を本気にさせて以降、家族を巻き込んだ柔道人生を突き進んでいく。
しかし、
「康生に2位は似合わない」と言った母を99年6月(享年51)に亡くし(享年51)、
共に柔道をやって支えていた兄も05年6月に急逝(享年32)。
「もうこれ以上犠牲を出したくない」と言っていた康生氏のつぶやきの中に、全てが込められていたような気がした。
負けることが許されない柔道日本。その中でも、勝つことを宿命づけられた康生氏。「日の丸」を背負う重圧は一人で耐えきれるものではなかっただろう。彼は、母や兄が共に背負ってくれたことを実感したから、あのように言ったのではないだろうか。
康生氏は糖尿病を患う父を心配するように言っていた。
今父がどうにかなったら、柔道を続けている意味はない、と。
彼は、5歳の時から父を背負い続けていたのだ。
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04年アテネ五輪で敗れ、続く05年の嘉納杯で右大胸筋断裂の大けがをして弱きになる康生氏は、その父に支援を求める。もはや心の支えが必要だった。
しかし、父の言葉は重かった。
画面を通してからも、思うようにならない息子への苛立ちや心配が伝わってくる。それが息子の自信を失わせていく。
「辛い」「木」を見る「親」であることの、いかに難しいことか。
わが子を信じて、ただ見守ることがどんなにし難いことか。
だから、父は自ら離れた。
身近にいて見ているのが辛ければ去るしかない。それに、伝えるべきは全て伝えてあった。
見放されたかのような康生氏は、次々に負けてどん底に堕ちる。
それを支えたのは、結婚したばかりの妻だった。
その間父親は、自分こそが弱気になってしまっていたことを悟る。彼は、父「親」になった。
一方、康生氏は、失うものがなくなって吹っ切れたのだろう。鮮やかに必殺の内またで一本勝ちを決めていった。
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子が優秀ないい子でいる内は、親は「親」になれない。
子が苦しむ姿を共に苦しんで見守る中で、はじめて「親」になれる。
一方、背負ってきた父が自ら背をおりて去ったことで、はじめて子は自分自身と向き合うことができた。子は「自律」したのである。
そして、その背景には、祈るように見守っていた妻の姿がある。
彼はいろいろな心の発達課題を乗り越えて、大会に臨んだ。
それはもはやご褒美だったのではないか。
彼は、最後の試合を楽しんだのではないだろうか。
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背負うものがあるから強くなれる―そういう側面もあろう。しかし、必ず無理が来る。
何より、背負い背負われる関係の中で自律はできない。
背負うのは自分の思いだけで十分。
自分の体は、「自分の気持ち」お一人様の乗り物なのだ。
彼は、それで十分強くなれることを最後に見せてくれた。
そして、あの笑顔が充実とは何かを教えてくれた。
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2日、彼は引退を表明した。
「本日をもって第一線から退く決意をいたしました。5歳から始めて、柔道にすべての情熱を注いできました。わが柔道人生に悔いはなし、という気持ちです」
「自律」を勝ち得ることが、人生の勝利である。
心から、おめでとうを言いたい。
そして、しばらくゆっくりしてほしいと思う。
お疲れさまでした。
ありがとう。
疲れもあって半分うつらとしつつ、見るともなく見ている感じだったが、
あ、父親を背負っているな…
あ、父親が変わったな…
あ、堕ちてふっきたな…
とポツンポツンと思いが湧きながら
父の言葉に苦笑する井上選手
強気の言葉を言う井上選手
じっと物思いに沈む井上選手
その時々の映像が印象に残っていた
そして、
最後の大会に望む姿を見たとき、
不意に急激に感情がこみ上げて、ボロボロ泣いてしまった
あー、何も背負わず、自分のために柔道を楽しんでいる
そう感じて、涙があふれて止まらなかった。
よかったなー、よかったなー、
自分のために柔道ができてよかったなー…
最後は、思い残すことのない自分の柔道ができて
笑顔で引退することができて
本当によかったなー
言葉にすると、そう言う思いが私を満たしていた。
そして、心からホッとした…。
私の場合、いつものことなのだが、“不意”にくるのである。
直前まで冷静だったはずなのに
一挙に来て、気づいたら涙があふれている
心が何か感じたら、考える間もなく体が反応している感じだ
あとで、あれこれとそのこみ上げてきた気持ちの正体を探すことになる。
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5歳で柔道をはじめ、10歳で父を背負って石段を往復して父を本気にさせて以降、家族を巻き込んだ柔道人生を突き進んでいく。
しかし、
「康生に2位は似合わない」と言った母を99年6月(享年51)に亡くし(享年51)、
共に柔道をやって支えていた兄も05年6月に急逝(享年32)。
「もうこれ以上犠牲を出したくない」と言っていた康生氏のつぶやきの中に、全てが込められていたような気がした。
負けることが許されない柔道日本。その中でも、勝つことを宿命づけられた康生氏。「日の丸」を背負う重圧は一人で耐えきれるものではなかっただろう。彼は、母や兄が共に背負ってくれたことを実感したから、あのように言ったのではないだろうか。
康生氏は糖尿病を患う父を心配するように言っていた。
今父がどうにかなったら、柔道を続けている意味はない、と。
彼は、5歳の時から父を背負い続けていたのだ。
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04年アテネ五輪で敗れ、続く05年の嘉納杯で右大胸筋断裂の大けがをして弱きになる康生氏は、その父に支援を求める。もはや心の支えが必要だった。
しかし、父の言葉は重かった。
画面を通してからも、思うようにならない息子への苛立ちや心配が伝わってくる。それが息子の自信を失わせていく。
「辛い」「木」を見る「親」であることの、いかに難しいことか。
わが子を信じて、ただ見守ることがどんなにし難いことか。
だから、父は自ら離れた。
身近にいて見ているのが辛ければ去るしかない。それに、伝えるべきは全て伝えてあった。
見放されたかのような康生氏は、次々に負けてどん底に堕ちる。
それを支えたのは、結婚したばかりの妻だった。
その間父親は、自分こそが弱気になってしまっていたことを悟る。彼は、父「親」になった。
一方、康生氏は、失うものがなくなって吹っ切れたのだろう。鮮やかに必殺の内またで一本勝ちを決めていった。
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子が優秀ないい子でいる内は、親は「親」になれない。
子が苦しむ姿を共に苦しんで見守る中で、はじめて「親」になれる。
一方、背負ってきた父が自ら背をおりて去ったことで、はじめて子は自分自身と向き合うことができた。子は「自律」したのである。
そして、その背景には、祈るように見守っていた妻の姿がある。
彼はいろいろな心の発達課題を乗り越えて、大会に臨んだ。
それはもはやご褒美だったのではないか。
彼は、最後の試合を楽しんだのではないだろうか。
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背負うものがあるから強くなれる―そういう側面もあろう。しかし、必ず無理が来る。
何より、背負い背負われる関係の中で自律はできない。
背負うのは自分の思いだけで十分。
自分の体は、「自分の気持ち」お一人様の乗り物なのだ。
彼は、それで十分強くなれることを最後に見せてくれた。
そして、あの笑顔が充実とは何かを教えてくれた。
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2日、彼は引退を表明した。
「本日をもって第一線から退く決意をいたしました。5歳から始めて、柔道にすべての情熱を注いできました。わが柔道人生に悔いはなし、という気持ちです」
「自律」を勝ち得ることが、人生の勝利である。
心から、おめでとうを言いたい。
そして、しばらくゆっくりしてほしいと思う。
お疲れさまでした。
ありがとう。