水戸両親鉄アレイ殺害事件
2008/05/20(Tue) Category : 少年犯罪・家族事件簿
【週間東洋経済「子ども格差」特集「家族を追い詰める国」日本】②
■「お膳立て症候群」の悲劇
2004年11月24日、19歳の少年が寝ていた両親を鉄アレイで殴り殺した。この両親も、まさか自分がそういう目に遭うとは思いも寄らなかったはずである。次項の図にあるとおり優秀な両親および子ども達だった。一見、どこにも非の打ち所がないように見える家庭のどこに事件の芽が潜んでいたのだろうか。
私の相談者にも、外では優秀な先生、医師、会社員の方がいるが、その優秀さの背景には自分の親に認められたいというドライバー(無意識に自分を駆り立てるもの)が働いていることも多く、配偶者選びから子育てに至るまで、親のお眼鏡にかなうように行動していることがある。
事件の家も厳しく監視する祖父の下で、両親は家庭でも完璧な教師を続けていたのではないだろうか。
『体が小さく、大人しく控えめで真面目だった』と近所の人が言っている。これも体や行動に表れたサインである。現在では、愛情不足が発達を疎外することが「愛情遮断症候群」として知られている。また、大人しいことも厳しい親の下でまま見られることだ。つまり、子どもの心身が萎縮しているのである。

子どもは思春期になると親離れの「脱愛行動」をし始める。
しかし、親が子離れできない場合、家出したり不良とつき合ったり、故意に親との間を断つ「情緒的離脱」を始める。姉達が県外の大学を選んだのも合法的な離脱と言えるだろう。
姉二人の進学は、少年と妹への無言のプレッシャーになったことだろう。
特に長男である少年へのプレッシャーがきつかったことは想像に難くない。
私がお伺いしている不登校の子達は、親の期待に応えようとして、敷かれたレールを懸命に走り続けて疲れ果てた健気な子ども達ばかりだ。少年も妹も、中学で力尽きたのだろう。エリート高校に進学するも欠席が増えて、やがて不登校となり、ついにニート状態になった。
すると母親は教師を辞め、ニュージーランドに別荘を購入して少年と妹の3人で生活を始めた。
この母親の行動をどう感じるかが、わが子を救えるかどうかの分かれ目となる。
少年と妹は、今はただ休みたいだけなのだ。
にもかかわらず、親は放っておいてくれず、リハビリのレールを歩かせようとした。しかも、仕事を捨て別荘まで購入したということは有無を言わせないということである。自ら退路を断ち、親の言うことを聞かせようとしたのである。
あらゆることに先回りしてお膳立てされ、後はその上を走らされるだけの人生が“自分の人生”と言えるだろうか。
自分の人生は、自分で自分の行動を選択したときにはじめてスタートする。
この少年は、ただ親のシナリオの上を走らされ、くたくたになった。
しかしゆっくりと休むことも許されず、この先もずっと親の敷くレールから逃れられないと思ったとき
『自分の人生にどこまでも介入してくる両親を亡き者にする以外に自分の生きる道はない』―これが、少年の言葉である。
私は、子どもの言葉は、いつも真実を言っていると感じる。
<続く>
■「お膳立て症候群」の悲劇
2004年11月24日、19歳の少年が寝ていた両親を鉄アレイで殴り殺した。この両親も、まさか自分がそういう目に遭うとは思いも寄らなかったはずである。次項の図にあるとおり優秀な両親および子ども達だった。一見、どこにも非の打ち所がないように見える家庭のどこに事件の芽が潜んでいたのだろうか。
私の相談者にも、外では優秀な先生、医師、会社員の方がいるが、その優秀さの背景には自分の親に認められたいというドライバー(無意識に自分を駆り立てるもの)が働いていることも多く、配偶者選びから子育てに至るまで、親のお眼鏡にかなうように行動していることがある。
事件の家も厳しく監視する祖父の下で、両親は家庭でも完璧な教師を続けていたのではないだろうか。
『体が小さく、大人しく控えめで真面目だった』と近所の人が言っている。これも体や行動に表れたサインである。現在では、愛情不足が発達を疎外することが「愛情遮断症候群」として知られている。また、大人しいことも厳しい親の下でまま見られることだ。つまり、子どもの心身が萎縮しているのである。

子どもは思春期になると親離れの「脱愛行動」をし始める。
しかし、親が子離れできない場合、家出したり不良とつき合ったり、故意に親との間を断つ「情緒的離脱」を始める。姉達が県外の大学を選んだのも合法的な離脱と言えるだろう。
姉二人の進学は、少年と妹への無言のプレッシャーになったことだろう。
特に長男である少年へのプレッシャーがきつかったことは想像に難くない。
私がお伺いしている不登校の子達は、親の期待に応えようとして、敷かれたレールを懸命に走り続けて疲れ果てた健気な子ども達ばかりだ。少年も妹も、中学で力尽きたのだろう。エリート高校に進学するも欠席が増えて、やがて不登校となり、ついにニート状態になった。
すると母親は教師を辞め、ニュージーランドに別荘を購入して少年と妹の3人で生活を始めた。
この母親の行動をどう感じるかが、わが子を救えるかどうかの分かれ目となる。
少年と妹は、今はただ休みたいだけなのだ。
にもかかわらず、親は放っておいてくれず、リハビリのレールを歩かせようとした。しかも、仕事を捨て別荘まで購入したということは有無を言わせないということである。自ら退路を断ち、親の言うことを聞かせようとしたのである。
あらゆることに先回りしてお膳立てされ、後はその上を走らされるだけの人生が“自分の人生”と言えるだろうか。
自分の人生は、自分で自分の行動を選択したときにはじめてスタートする。
この少年は、ただ親のシナリオの上を走らされ、くたくたになった。
しかしゆっくりと休むことも許されず、この先もずっと親の敷くレールから逃れられないと思ったとき
『自分の人生にどこまでも介入してくる両親を亡き者にする以外に自分の生きる道はない』―これが、少年の言葉である。
私は、子どもの言葉は、いつも真実を言っていると感じる。
<続く>