「考える」という病
しかし、存在不安を持つ子ども達は否応なく考え始める。
親はなぜ、
私の気持ちを聴こうとしないのか。
私を受け止めようとしないのか。
私を見ようとしないのか。
親はなぜ、
一方的に自分を押しつけてくるのか。
怒りばかりぶつけてくるのか。
私を蔑むのか。
私は、
やっかいものなのか。
いらない存在なのか。
私が悪いのか。
そう考える私がおかしいのか。
私は、
なぜ生まれてきたの?
存在って何?
愛って何?
考える
考える
考える
……
宇宙について博識な小学児童-彼は懸命に自分の生きる枠組みを知ろうとしていた。否、自分の住む世界を構築しようとしていたのかもしれない。
哲学書を読む中学生-彼は、毎日感情を「解体」する言葉を探していた。もはや、感情を少しでも解体してバラさなければ、心のコップがギュウギュウで入りきらないのだ…
思考が次から次へとチェーンシンキングしていく女性。何かに納得するまで落ち着くことができない。
様々な人がいた。ボーッとしたり、空想癖だったりするのも、頭のどこかで自分の存在について茫漠と考えていたりする。
みな、痛ましいほどに、切ないほどに、健気に、
自分の存在に確証を与えるための“作業”を一瞬一瞬している……
しかし、
考えても考えても
答えは遠ざかっていく
当然のことだ。
「存在」は、
考えるものではない。
感じるものだからだ。
抱きしめてもらって、我が身の存在を感じ
聴いてもらって、我が心の存在を感じる…
鬼束ちひろ「流星群」 歌詞
貴女が触れない私なら 無いのと同じだから
抱きしめてもらえるだけで、人はこんなにも心からの笑顔になれるのに……
ただ、それがないだけで…
無意識に存在不安と闘う人達の懸命に生きる切なさが胸に迫り
この歌を聞いて涙があふれた…
人は皆、どこかに存在不安を抱えている。
だから、互いの存在を保証してあげるために
抱き合おう
聴きあおう
一人でもできる
自分を抱きしめよう
自分の心を受け止めよう
そうして 自律したとき
抱き合える人が現れる
ハグされたい