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「考える」という病の回避方法

2008/06/06(Fri) Category : アダルトチャイルド
「知・情・意」と言う。
意(意識)が、知(思考)の方を向いているときは、情(感情)は出てこない。
意を情に向けたときに、気持ちはわき出してくる。

つまり、皮肉なことに、考えている間は自分の気持ちは置きざられている。だから、考えるのをやめて、意識を五感や気持ちに向けよう
「下手な考え休むに似たり」

そして、気持ちで行動することが自分を育てることになる




だが、どうしても考えてしまう人に、「考えるな」と言っても難しい。
「考えない、考えない」と考えてしまったりする。

とくに、
聴かれず抱きしめられず、心も体も孤独の中に放置され、
押しつけにあって自分の心まで封印して感じることもできず、
考えることで生き延びてきた人にとっては難しい。

考える=存在すること…「我考える、故に我あり」だからだ。
つまり、考えないことは、そのまま存在不安に直結することになってしまう。
だから、思考を手放せない。





ところが、やっかいなことがある。
自分の考えと思っているが、インナーペアレンツやアダプティッドチャイルド(AC)に支配されていることが多いのだ。

インナーペアレンツとは、親子の関係の中で内在化されたドライバーやストッパー(禁止令)である。アダプティッドチャイルドとは、その親の言うことに従おうとする、親に愛されたい子どもの部分である。

インナーペアレンツは、「やれ」と言ったり、「やるな」と言ったりしてACを翻弄する。
気持ちで動きたいフリーチャイルド(FC)が闘おうとするが、インナーペアレンツ+AC連合軍の前に疲れ果て、鬱になったり、辛い現実から逃れるために依存に走ったり、いっそ気持ちを封印して思考にしがみついてしまったりするわけだ。





しかし、インナーペアレンツ+AC連合軍に支配された思考は、どうしても自己否定の方向に向いてしまう。だから、闘いに敗れてしがみついた思考は、時に迷路にはまりこんでしまうのだ。そして、生き延びるために考え続けてきたはずなのに、いつの間にか自己否定的なことばかり考えていたりする。

いつも同じところをグルグル回っているうち、脳の回路にも癖ができるだろう。だから、その癖をなくしていかなければならない。そのためにも、考える癖をなくしていく必要があるのだ。





では、どうするか。たとえば、
拭き掃除や片付け、草いじり、犬などの散歩、買い物など、この時間になったらこれをやろうという決め事を作っておいて、その時間になったら考えるのをやめて体を動かすことにするのもよい。

また、編み物、ジグソーパズルやコラージュ、粘土遊びや書道、絵など、無心に取り組めて形になるものも達成感があってよいと思う。

私は、鉄釜の風呂焚きが何も考えない癒しの時間だった。
島田洋七さんもがばいばあちゃんの家の釜の前で長い時間を過ごしたそうだが、何となくわかる気がする。
パチパチと薪のはぜる音、煙のにおい、揺らぐ炎、大気の感じ、それらの全てが癒してくれた。無心の時間だったと思う。

日常生活のシーンから、これらの作業が奪われた現代人は、頭では「ラクで便利」と思っているけど、実はどんどん追い詰められている(バカだね、文明人 --;)。




日常の中に、考えない作業の時間を取り戻したい。








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いつもブログを拝見しています。ありがとうございます。

私は四六時中考え続けていて、そんな思考回路に辟易しています。うんざりです。掃除や家事などをしている間はやや緩和しますが、したい事をしている時は、ぴったり静かになり、今この瞬間に集中できます。(今、静かです)

でも、厄介なことに、したい事を始めようとすると、思考(IP?)が大暴れします。過去のイヤな記憶に飛んだり、まだ起きてもいない未来に飛んだりして、気忙しい思考に「今」や「気持ち」をかき消されてしまいそうになります。思考は恐怖と不安を大勢引き連れて、私を「今」じゃないどこかへ追いやり、弾圧しようとします。それらに惑わされて、ぐすぐすしていると、次第に気持ちが疲弊していきます。そして、そんな思考に屈してしまい、したい事を先延ばしにすることが多いです。悔しいです。

でも、勇気を持って、したい事ができたとき、(思考は結果の良し悪しにこだわりがちですが)結果がどうであっても、本当に嬉しいです。

今日もぐるぐる思考に囚われていましたが、ふと夏の暑い陽射しを感じて、「あ、今を生きていなかった。生きるために生まれてきたのに、それって、何だかもったいないなあ」と気づくことができました。

 

この時間になったらこれをやる、と決めて
ともかく立ち上がって動くと、スッキリして
満足できる
生まれて
初めて感じている毎日です。
虚しさはどこへ行ったのかしら、、

2010年にコメントしていた自分が
この記事のコメント欄に残っていて
あのときは、凄く辛かったのを覚えています。
でも人は変われるんだなと
身をもって感じています。
今も、消えたくなったり怖かったり寂しかったり
毎日くるくる入れ替わりますけど
越えられるんだろうなと
信じます。

 

考える事を優先した結果、知の部分では大人っぽいけど
情の部分では子供っぽいというアンバランスさが出来るのでしょうか?

子供の頃から螺旋迷宮の中で迷子になっており
歳を取る毎に迷宮がより複雑化していってる気分です…

 

考える人

考えるばかりで
泥沼にはまります。
胃がいたみます。

 

体と心すべてで感じています

50年間生きてきましたが、そのほとんどを考え続けてきたと言えます。
ボーとした時間を過ごしていると、心の中でに親の「何のんびりしているんだ!」という声が聞こえ、とたんに落ち着かなくなる。私を駆り立てる声を無視することができず、訳もなく忙しく過ごしていた。
そんな生活の中でひとつも満足感も幸福感も得られない私は自分に「なぜ?」と、問い続け、草臥れ果てていた。

中尾さんが家に来てくれた日からすべてが変わった。
居間にあった大量の子育て本を処分し、大好きなインテリアや手芸の本にした。
片付け、土いじり、拭き掃除、絵を描く、針仕事などなど、毎日毎日やりまくった。快い疲れ。そして充足感としみじみとした幸せを感じている自分がいた。
私は「考える」ことをしなくなり、「感じる」ことばかりをしていたのですね。
今はこころとからだ全部で「感じたい!」と望んでいる私がいます。
本も映画もあらゆることの嗜好が変わりました。

中でも一番変わったことは・・・
「スキンシップ!」
ためらいなくできるようになりました!
あんなに「ハグされたい」と思っていた私が、娘をハグし、夫をハグし、ハグされる中で、深い深い心の安らぎを感じています。

「感じること」
ステキです!

 

はじめまして

いつも拝見させていただいています。
私の兄弟がうつで何年も
苦しんでいます。
とにかく、何事も考えに考えて
しまい、先に進めないようです。
「思いグセ」がついているような、
そんな気がします。
何か、打ち込める事が
見つかるといいのですが。
ヒントになることを
沢山このブログから
いただいています。
感謝しています!

 
    
 
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