「考える」という病の回避方法
意(意識)が、知(思考)の方を向いているときは、情(感情)は出てこない。
意を情に向けたときに、気持ちはわき出してくる。
つまり、皮肉なことに、考えている間は自分の気持ちは置きざられている。だから、考えるのをやめて、意識を五感や気持ちに向けよう
「下手な考え休むに似たり」
そして、気持ちで行動することが自分を育てることになる
だが、どうしても考えてしまう人に、「考えるな」と言っても難しい。
「考えない、考えない」と考えてしまったりする。
とくに、
聴かれず抱きしめられず、心も体も孤独の中に放置され、
押しつけにあって自分の心まで封印して感じることもできず、
考えることで生き延びてきた人にとっては難しい。
考える=存在すること…「我考える、故に我あり」だからだ。
つまり、考えないことは、そのまま存在不安に直結することになってしまう。
だから、思考を手放せない。
ところが、やっかいなことがある。
自分の考えと思っているが、インナーペアレンツやアダプティッドチャイルド(AC)に支配されていることが多いのだ。
インナーペアレンツとは、親子の関係の中で内在化されたドライバーやストッパー(禁止令)である。アダプティッドチャイルドとは、その親の言うことに従おうとする、親に愛されたい子どもの部分である。
インナーペアレンツは、「やれ」と言ったり、「やるな」と言ったりしてACを翻弄する。
気持ちで動きたいフリーチャイルド(FC)が闘おうとするが、インナーペアレンツ+AC連合軍の前に疲れ果て、鬱になったり、辛い現実から逃れるために依存に走ったり、いっそ気持ちを封印して思考にしがみついてしまったりするわけだ。
しかし、インナーペアレンツ+AC連合軍に支配された思考は、どうしても自己否定の方向に向いてしまう。だから、闘いに敗れてしがみついた思考は、時に迷路にはまりこんでしまうのだ。そして、生き延びるために考え続けてきたはずなのに、いつの間にか自己否定的なことばかり考えていたりする。
いつも同じところをグルグル回っているうち、脳の回路にも癖ができるだろう。だから、その癖をなくしていかなければならない。そのためにも、考える癖をなくしていく必要があるのだ。
では、どうするか。たとえば、
拭き掃除や片付け、草いじり、犬などの散歩、買い物など、この時間になったらこれをやろうという決め事を作っておいて、その時間になったら考えるのをやめて体を動かすことにするのもよい。
また、編み物、ジグソーパズルやコラージュ、粘土遊びや書道、絵など、無心に取り組めて形になるものも達成感があってよいと思う。
私は、鉄釜の風呂焚きが何も考えない癒しの時間だった。
島田洋七さんもがばいばあちゃんの家の釜の前で長い時間を過ごしたそうだが、何となくわかる気がする。
パチパチと薪のはぜる音、煙のにおい、揺らぐ炎、大気の感じ、それらの全てが癒してくれた。無心の時間だったと思う。
日常生活のシーンから、これらの作業が奪われた現代人は、頭では「ラクで便利」と思っているけど、実はどんどん追い詰められている(バカだね、文明人 --;)。
日常の中に、考えない作業の時間を取り戻したい。
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