残業ゼロかつ仕事効率がアップした職場改革
2008/06/08(Sun) Category : 会社・改革
ある職場に、それまでなかった新たな権限を与えるにいたるストーリーです。
■プロローグ---------------------------------------------------
その事業所にも当然間接部門があった。そこに着任した私は、着任した日に自分の机が用意されていないことに驚いた。
なるほど…最初から「敵」である。
ま、私の会社生活のスタートの時に比べれば、かわいいものだった。
なにしろ、赴任してあてがわれた社宅は何の整備もされていなかった。畳は古畳、壁はカビだらけ…。しかし、当時の世間を知らない私は、自分でペンキを買ってきて漆喰の壁塗りをやったものだ。
後に自分が人事の厚生をするようになって、どうやらあれは男の嫉妬から来るいじめだったようだと気づく。何しろ、私は新入社員でありながら結婚していた。新人のくせに寮ではなく、いきなり社宅である。当時そこには、適齢期を超えた人事担当者がいた…。
まぁ、相手がどのような手で来ようが、こちらは柔軟に自分のなすべきことをするだけである。余計な感情が湧かないから、入り口がどのようになっていてもスムーズに入っていける。
この時も、もう一人同時に着任した年配の方と2人でたんたんと自分たちの机を運んだ。
■起--------------------------------------------------------
次に驚いたのは、そこにいた4人の女子社員が、朝「おはようございます」もなく、帰りも黙って帰る。机の引き出しはあけっぱなしで、ゴミ箱は溢れている。部署の内も外も雑然としていて、極めつけは言葉遣い。そこの課長とのやり取りは、それはそれは刺々しいものだった。
「躾がされていない」と相方は深く嘆息したが、私は観察した。
課長から指示を受けた仕事は4人で分担してアッという間に片付けてしまう。その素早さも驚嘆ものだった。このアンバランスはいったい何なのか。
しばらく見ていてわかった。
「あぁ、彼女達は躾されていないどころか、実によく躾けられている」
女性陣は、その職場で何が評価され何が評価されないか良く見極めていた。
言われたことをすぐやる「優秀な手足」であることが求められているのであり、整理整頓などしても何ら評価されないことを知っていた。むしろ、そういうことをやっていれば、「言われたことはやったのか」と問われるだけなのだ。求められていないことをやった場合、評価されないどころかクレームさえくるのである。
「考えるな、言われたことだけを言われたとおりに速やかにやれ」
それが課長(ボス)のメッセージであり、女性陣は、この職場の在り方に特化したプロなのだった。気持ちも聴いてもらえないどころか人として扱われない女性陣が怒りを溜め込み、刺々しい職場になっていたのも無理はなかった。
そして、この分では私の言ったことなど、その課長が反対すれば何もなされないだろうことが予想された。
まぁ…このことも以前経験済みだった。ある事業所の人事部門の立て直しに行ったとき、あろうことか、上司の人事課長にことごとくはしごを外されたことがあった(そこを乗り越えたから、この仕事が回ってきたのだが)。
■承--------------------------------------------------------
ここでよくあるパターンは、自分一人で仕事を抱え込んでにっちもさっちもいかなくなるか、過労で鬱になったりするパターンだ。
私は、彼女達の話を聞き、心に飢えがあること、同期入社の他の女子社員と比べて、何の専門性もない雑用係の自分たちに劣等感を抱いていることを知った。
そこで、そこの事業所の社員サービスの向上になるからと上司である課長を説得して、人事諸規則の考え方や運用の勉強会を開始した。
一緒に勉強することなど、入社して既に何年も経つのに初めてのことである。
最初は一体何をさせられるのか、と敵意の眼の中で始まった。ディスカウントされ続けている子ども達だから、警戒するのも無理はなかった。
が、3ヶ月を過ぎる頃から変化の兆しがみえてきた。この兆しを捕まえて、私は自分がやってきた人事諸規則のケーススタディに加えて、経理に応援を頼み、経理事務の勉強会を開始した。経理の協力を得て若手社員が来たこともあって軌道に乗り始めようとした。
■転--------------------------------------------------------
矢先、課長からクレーム。
「用事を頼みたい時に勉強会などで不在だと困る。そこまでする必要はないから、やめてくれ!」
自分の思うように支配したい課長にとっては、部下が知恵をつけるのは好ましくない。手足に自律されては困るのである。
しかし、これは上司命令である。
一時中断となった。
この時、面白いことが起こった。
事情を知らない女性陣から、「次はいつやるんですか」と督促がきたのである!
■結--------------------------------------------------------
そこで、ゲリラ戦法をとることにした。
女性陣にも経理にも事情を話し、課長が出張等で不在となる時に実施することにしたのだ。女性陣は、集中力を見せてみるみる実力をつけていった。
…半年後、人事諸規則と経理の知識を身につけた女性陣は、様々なケースに的確に伝票処理できるようになり、なんと伝票ミスがその事業所を預かっていた人事部門よりも少なくなってしまった。
こうして、統計的に実力が証明された結果、それまで人事部門が持っていた旅費審査などの機能を、経理のお墨付きを得て移管することができたのである。
こうして私は、総務人事機能の移植という使命の第一歩を踏み出すことができたわけである。
■エピローグ---------------------------------------------------
女性たちは主体的に動き始めた。
声は明るく、動作は軽く、受け答えはメリハリが利いてはっきりとしてきた。
さらに、問題課長が異動となると、一切の無駄が無くなった。
毎日3時間も(!)会社にいる時間が少なくなった上に、仕事は滞ることが無くなったどころか、先手を打てるようになったのである。有給もばんばん使うようになった。
「毎日3時間」の違いは、当時の私の家庭生活にも多大な影響を及ぼした。
出勤前に妻の話を聞く余裕ができ、夕方、子供の習い事の迎えに行くことが出来るようになった。夕食も家族一緒にとることが出来るようになり、疎遠であった子供たちが少しずつ戻ってきた。
そして、子供たちがテレビのドラマを熱心に解説をしてくれるのを聞きながら、「ああ、父親とも一緒に見たかったんだな」と改めて思い知らされた。「寝る前に一つ童話でも読んでやるか」、そういう気持ちも湧いてきた。
当時の私は、つくづく思った。
『社員研修を組み立てるとき、感動の共有を念頭に置く。それが、組織への連体感をもつ最善の方法であるからだ。が、一歩家庭という組織へ戻った場合、俺は"感動の共有"ということを全くないがしろにしていた。これでは、我が家への一体感が生まれるはずもない』
こうして、私は人を育て権限を委譲して仕事を任せることによって、自分は、いざ転機を迎える時に最も支えとなるもの―すなわち、家族との信頼関係作り(という自分がやるべき仕事)ができるようになったのである。
誰しも自分が成長したいと思っている。
活き活きと職場で楽しく働きたいと願っている。
その心をつかめば、組織を変えていくことはできる。
自分一人が頑張っても倒れるだけ。
そこにいる人達もともに成長してもらうという意識で臨めば、人はついてきます。
【追記】
この事例で分かることは、権限を委譲したら、人が生き返り、仕事はきめ細かくなり、時間にも余裕ができ、コストは下がる-いいことずくめと言うことだ。
地方分権にした場合も同じことが言えるだろう。
政治家同士が争っていては、霞ヶ関に踊らされるだけだ。
霞ヶ関を解体すること―それが、政治家が一致協力して、まず第一番にやるべき事だろう。
仕事を手放す (仕事中毒の方へ)
■プロローグ---------------------------------------------------
その事業所にも当然間接部門があった。そこに着任した私は、着任した日に自分の机が用意されていないことに驚いた。
なるほど…最初から「敵」である。
ま、私の会社生活のスタートの時に比べれば、かわいいものだった。
なにしろ、赴任してあてがわれた社宅は何の整備もされていなかった。畳は古畳、壁はカビだらけ…。しかし、当時の世間を知らない私は、自分でペンキを買ってきて漆喰の壁塗りをやったものだ。
後に自分が人事の厚生をするようになって、どうやらあれは男の嫉妬から来るいじめだったようだと気づく。何しろ、私は新入社員でありながら結婚していた。新人のくせに寮ではなく、いきなり社宅である。当時そこには、適齢期を超えた人事担当者がいた…。
まぁ、相手がどのような手で来ようが、こちらは柔軟に自分のなすべきことをするだけである。余計な感情が湧かないから、入り口がどのようになっていてもスムーズに入っていける。
この時も、もう一人同時に着任した年配の方と2人でたんたんと自分たちの机を運んだ。
■起--------------------------------------------------------
次に驚いたのは、そこにいた4人の女子社員が、朝「おはようございます」もなく、帰りも黙って帰る。机の引き出しはあけっぱなしで、ゴミ箱は溢れている。部署の内も外も雑然としていて、極めつけは言葉遣い。そこの課長とのやり取りは、それはそれは刺々しいものだった。
「躾がされていない」と相方は深く嘆息したが、私は観察した。
課長から指示を受けた仕事は4人で分担してアッという間に片付けてしまう。その素早さも驚嘆ものだった。このアンバランスはいったい何なのか。
しばらく見ていてわかった。
「あぁ、彼女達は躾されていないどころか、実によく躾けられている」
女性陣は、その職場で何が評価され何が評価されないか良く見極めていた。
言われたことをすぐやる「優秀な手足」であることが求められているのであり、整理整頓などしても何ら評価されないことを知っていた。むしろ、そういうことをやっていれば、「言われたことはやったのか」と問われるだけなのだ。求められていないことをやった場合、評価されないどころかクレームさえくるのである。
「考えるな、言われたことだけを言われたとおりに速やかにやれ」
それが課長(ボス)のメッセージであり、女性陣は、この職場の在り方に特化したプロなのだった。気持ちも聴いてもらえないどころか人として扱われない女性陣が怒りを溜め込み、刺々しい職場になっていたのも無理はなかった。
そして、この分では私の言ったことなど、その課長が反対すれば何もなされないだろうことが予想された。
まぁ…このことも以前経験済みだった。ある事業所の人事部門の立て直しに行ったとき、あろうことか、上司の人事課長にことごとくはしごを外されたことがあった(そこを乗り越えたから、この仕事が回ってきたのだが)。
■承--------------------------------------------------------
ここでよくあるパターンは、自分一人で仕事を抱え込んでにっちもさっちもいかなくなるか、過労で鬱になったりするパターンだ。
私は、彼女達の話を聞き、心に飢えがあること、同期入社の他の女子社員と比べて、何の専門性もない雑用係の自分たちに劣等感を抱いていることを知った。
そこで、そこの事業所の社員サービスの向上になるからと上司である課長を説得して、人事諸規則の考え方や運用の勉強会を開始した。
一緒に勉強することなど、入社して既に何年も経つのに初めてのことである。
最初は一体何をさせられるのか、と敵意の眼の中で始まった。ディスカウントされ続けている子ども達だから、警戒するのも無理はなかった。
が、3ヶ月を過ぎる頃から変化の兆しがみえてきた。この兆しを捕まえて、私は自分がやってきた人事諸規則のケーススタディに加えて、経理に応援を頼み、経理事務の勉強会を開始した。経理の協力を得て若手社員が来たこともあって軌道に乗り始めようとした。
■転--------------------------------------------------------
矢先、課長からクレーム。
「用事を頼みたい時に勉強会などで不在だと困る。そこまでする必要はないから、やめてくれ!」
自分の思うように支配したい課長にとっては、部下が知恵をつけるのは好ましくない。手足に自律されては困るのである。
しかし、これは上司命令である。
一時中断となった。
この時、面白いことが起こった。
事情を知らない女性陣から、「次はいつやるんですか」と督促がきたのである!
■結--------------------------------------------------------
そこで、ゲリラ戦法をとることにした。
女性陣にも経理にも事情を話し、課長が出張等で不在となる時に実施することにしたのだ。女性陣は、集中力を見せてみるみる実力をつけていった。
…半年後、人事諸規則と経理の知識を身につけた女性陣は、様々なケースに的確に伝票処理できるようになり、なんと伝票ミスがその事業所を預かっていた人事部門よりも少なくなってしまった。
こうして、統計的に実力が証明された結果、それまで人事部門が持っていた旅費審査などの機能を、経理のお墨付きを得て移管することができたのである。
こうして私は、総務人事機能の移植という使命の第一歩を踏み出すことができたわけである。
■エピローグ---------------------------------------------------
女性たちは主体的に動き始めた。
声は明るく、動作は軽く、受け答えはメリハリが利いてはっきりとしてきた。
さらに、問題課長が異動となると、一切の無駄が無くなった。
毎日3時間も(!)会社にいる時間が少なくなった上に、仕事は滞ることが無くなったどころか、先手を打てるようになったのである。有給もばんばん使うようになった。
「毎日3時間」の違いは、当時の私の家庭生活にも多大な影響を及ぼした。
出勤前に妻の話を聞く余裕ができ、夕方、子供の習い事の迎えに行くことが出来るようになった。夕食も家族一緒にとることが出来るようになり、疎遠であった子供たちが少しずつ戻ってきた。
そして、子供たちがテレビのドラマを熱心に解説をしてくれるのを聞きながら、「ああ、父親とも一緒に見たかったんだな」と改めて思い知らされた。「寝る前に一つ童話でも読んでやるか」、そういう気持ちも湧いてきた。
当時の私は、つくづく思った。
『社員研修を組み立てるとき、感動の共有を念頭に置く。それが、組織への連体感をもつ最善の方法であるからだ。が、一歩家庭という組織へ戻った場合、俺は"感動の共有"ということを全くないがしろにしていた。これでは、我が家への一体感が生まれるはずもない』
こうして、私は人を育て権限を委譲して仕事を任せることによって、自分は、いざ転機を迎える時に最も支えとなるもの―すなわち、家族との信頼関係作り(という自分がやるべき仕事)ができるようになったのである。
誰しも自分が成長したいと思っている。
活き活きと職場で楽しく働きたいと願っている。
その心をつかめば、組織を変えていくことはできる。
自分一人が頑張っても倒れるだけ。
そこにいる人達もともに成長してもらうという意識で臨めば、人はついてきます。
【追記】
この事例で分かることは、権限を委譲したら、人が生き返り、仕事はきめ細かくなり、時間にも余裕ができ、コストは下がる-いいことずくめと言うことだ。
地方分権にした場合も同じことが言えるだろう。
政治家同士が争っていては、霞ヶ関に踊らされるだけだ。
霞ヶ関を解体すること―それが、政治家が一致協力して、まず第一番にやるべき事だろう。
仕事を手放す (仕事中毒の方へ)