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加藤智大容疑者の心の闇(2)-絶対零度の孤独

2008/06/12(Thu) Category : 少年犯罪・家族事件簿
加藤智大容疑者の心の闇

■絶対零度の孤独

一人で孤独に生きている人も多いだろう。甘えるな、という人もいるだろう。誰でも一人にもかかわらず、そういう思い方をするお前がねじ曲がっているのだ、と。

しかし、一見普通に生活している人の中に潜む「虚無」を私はたくさん見てきた。明確な死の意識はなくても、どこか、「いつ死んでもいい」「死ねないから生きているだけ」という空気を本人が無意識のうちに持っていらっしゃる方も多くいた。
そして、究極の孤独にいる人が自殺、もしくは殺意を抱くことを、これまでの家族カウンセリングの経験から私は実感している。

それらの人に共通するのは、「あるがままの自分が受け止めてもらった経験」(受け止められ体験)がないということである。

親が自分が認められることに精一杯で子供のことを省みない、
親が自分の価値観を子供に押しつける、
親が子供を自分の感情のはけ口に使っている、あるいは、
親が子供にしがみつく、
親が子供を乗っ取ろうとする

…パターンは様々あれど、子供の側から見て共通するのは、自分の気持ちを受け止めてもらったことがない、あるいは言える状況にはなかった、ということだ。
形はいろいろあれど、本質的には親から見捨てられた子ども達は、荒れた人生になる。

誰しも親に認められたい。なぜなら自分の創造主だからだ。
特に母親は、たった一人でこの世に放り出された自分とこの世を結ぶ拠点である。その親があるがままの自分を受け止めてくれるから孤独ではなくなり、後ろ盾を得て自信もつくのである。
しかし、その親が自分を認めてくれなかったら、さらには見捨てたら…。そこに、自分の存在不安と究極の孤独が待っている。




「気持ち」とは「自分」そのものである。その気持ちを聴いてもらえなかったということは、親の前では自分は存在していないということだ。
親は目の前にいるのに、その親に自分の本当の姿は見えないのだ。少年A(酒鬼薔薇)が感じたように、自分は「透明人間」なのである。これほど苦しいことはない。
いるのにいないのだ。

「無視」とは、ディスカウントする(人として認めない)行為である。
殴る、蹴るもディスカウントする行為であり、 ディスカウントの最たる行為が殺人だ。無視は、精神的殺人といってもよい行為なのだ。

自分が透明人間になってしまうと、自分が何をどのようにしていようと人が気づいてくれない。このどうしようもない孤独を、私は「あなたの子どもを加害者にしないために」の中で「絶対零度の孤独」と呼んだ。
加藤智大容疑者もまた、少年Aと同じような「絶対零度の孤独」の中にいた。

「絶対零度の孤独」の中にいる人は、
気持ちを受け止めてもらえず「心のコップ」が満杯である苦しさ。そして、
目の前にいるのに認知してもらえない苦しさ。
片や爆発、片や飢餓-この2つの苦しさを抱えて生きることになる。
それが、なにか息苦しいことの本質だ。


そして、無意識のうちに自分を親に認めさせたいだけで生きるようになる。その行動の全てで、「私はここにいるよ。早く見つけて!」と、叫んでいるのだ。



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無駄だ

そんな叫びをあげたところで誰も聞こうともしないだろう

甘えるな、お前がおかしいんだ、と

 

いつ死んでもいい

私が先生にカウンセリングをお願いしたときも、面々とメールに綴ったのは『いつ死んでもいい』『私は死んでもいい人間だから』という思考が離れない苦しさでした。
ニュースでいくつか見た加藤容疑者の書き込みに「みんな俺を無視する」というような『透明』感をひしひしと感じるものがありました。

自分自身をモノとして扱われることしか知らない容疑者、心のコップが限界を迎えたとき…周囲の人間をも『モノ』として同じ目に合わせてやろうという大殺戮だったのでしょうか。
この犯罪のすさまじさを見るたび、加藤容疑者も『殺され』続け、そして自らを『殺し』続け、心の中は血の海だったのかと思います。

決して許すことのできない犯罪に手を染める前に自分の内面への『気づき』が訪れる機会はなかったのか…心をえぐられる思いで報道を見ています。

 
    
 
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