「秋葉原通り魔 弟の告白」(前編)-2.家庭という「完全統制区域」
では、どのような日常だったのか。
『子供のころしかられた加藤容疑者が、玄関前に閉め出され、泣き叫ぶ声を聞いた住民も少なくない。真冬の極寒の中、薄着で外にいる姿も目撃されている。「しつけか、虐待か分からなかった」(ある住民)』【6月10日 スポーツ報知】
以下は週刊現代による弟さんの証言である。
★『母は常に完璧なものを求めてきました』------------------------------
―作文は一文字でも間違えたり、汚い字があると、そこを修正するのではなく、それをゴミ箱に捨てて最初から書き直しだという。一つの作文に1週間…。日勤教育の現場を思い出した。
このやり方は、抵抗が無意味であることを思い知らせ、相手を自分の思い通りの手足にしようとするときに用いられるやり方だ。その最たるものが人を人を殺すことのできるマシンに作り変えていく軍事教練であろう。
★『自由にモノを買うこともできませんでした』--------------------------
―本を買うにも何を買うかのチェックが入り、買ったら感想文を書かなければならなかった。その他のものも許可を得る必要があったので、弟は『モノを欲しがるということ自体しなく』なったそうだ。
何かをする度にチェックが入るということは、「自分の判断で行動するな」→「私の命令以外で行動するな」という禁止令である。気持ちのままに行動できなくなり、“気持ち”と“行動”が乖離していくため、自分の背骨ができない。そして、“行動”は親の指示に従うようになり、操り人形となっていく。
私がかつて強烈なパワハラに遭った時に身動きできなくなっていった状況にも似ています。
・パワハラ管理職の実態―こうして部下は潰される
・ダブルバインドによる「操り人形症候群」
★『テレビは1階に1台ありましたが、見るのは禁止でした』--------------
―「ドラえもん」と「まんが日本昔ばなし」以外は、加藤智大容疑者は高2になるまで見たことがなかった。 高2まで続くとは、驚くべき情報管制である。支配者は、自分以外の価値観に触れさせないように情報をコントロールするが、家庭内がまるで戦時下のように徹底した管理がなされていたことがわかる。
★『ゲームは土曜日に1時間だけというのがルールでした』----------------
―ゲームは時間で終われるものではない。これでは、走っている途中にいきなり柵を置かれて前につんのめったような感じになって、ドライブがかかりっぱなしのイライラした状況に置かれることになる。
また、自分なりにけりをつけなければ達成感を得られないので、永遠に不全感の中に置かれることになり、いつまでたっても“次”に進むことができない。
加えて、圧倒的な権力に対して何もできない自分の無力感。
このように、イライラした衝動、自己不全感、無力感を味あわされることになる。
★『漫画や雑誌なども読んだことがありませんでした』-------------------
―テレビと同じく外部からの情報遮断である。また、漫画や雑誌は、テレビ以上に自分の世界を作りやすい。この母親は、子どもたちが自分の優秀な手足となることを望んでいるのであって、子どもたちが自律することを望んではいない。“手足”が、自分の思いや意志や価値観を持っては困るのである。
★『友達を家に呼ぶことも友達に家に行くことも禁止されていました』--------
―このおかげで、弟は『こうしたルールの多くがどこの家庭でも行われているものと思いこんでいました』。友人は多様な価値観を知る第一歩であるため、支配者は排除しようとする。ここには、「人とつながるな」というはっきりした禁止令が現れている。
彼が衝撃と共に自分の家庭や中学が異常だったことを知るのは、高校に入ってからである。
★『母は男女の関係に関しては過剰なまでの反応を見せました』-----------
『異性という存在は、徹底的に排除されていました』
―『異性という存在』は、自我の発達に最もインパクトを与える。だから、子を手足にしようと思っている親にとっては、もっとも排除すべき存在である。この母親は、兄に来た女の子からの年賀状を『見せしめのように冷蔵庫に貼られ』、弟は、来たハガキを『バンッとテーブルにたたきつけて、「男女交際は一切許さないからね」』と言われている。
(子どもを自律させたくない家庭では、形を変えてこのようなことが行われています)
そして、極めつけは次の場面だ。加藤智大容疑者が中1の時である。
『食事の途中で母が突然アレに激高し、廊下に新聞を敷き始め、、その上にご飯や味噌汁などのその日の食事を全部ばらまいて、「そこで食べなさい!」と言い放ったんです。アレは泣きながら新聞紙の上に積まれた食事を食べていました』
父も黙っているばかりで助け船も出さず、弟も横目で見ながら食べ続けている。この状況から、父親も母親の軍門に下っていたことがわかる。
男子にとって父親は生き方モデルであると同時に、子どもにとって父親は社会人代表(社会人モデル)でもある。ここで子どもたちは、権力に対して何もできない生き方モデルと、人権を蹂躙されても救ってくれない社会のあり方を見ることになった。
なぜ、そこまで服従することになったのかは次項。
【追記】
次に行く前に、どのような親の言動が生きづらい子どもを作ってしまうのか、下記をお読みいただければ幸いです。加藤被告の家だけが特殊だったのではないことがわかると思います。
・生きづらい人(1)-生きづらい子を作る親の特徴
・「餓鬼人間」-存在承認に飢えた鬼
【その他参考】
・日本という「完全統制区域」
・家庭というアルカトラズ(監獄)
・ハラスメント・スクール
・モラ母からの離脱