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「秋葉原通り魔 弟の告白」(前編)-2.家庭という「完全統制区域」

2008/06/17(Tue) Category : 少年犯罪・家族事件簿
【秋葉原通り魔事件】

では、どのような日常だったのか。

『子供のころしかられた加藤容疑者が、玄関前に閉め出され、泣き叫ぶ声を聞いた住民も少なくない。真冬の極寒の中、薄着で外にいる姿も目撃されている。「しつけか、虐待か分からなかった」(ある住民)』【6月10日 スポーツ報知】

以下は週刊現代による弟さんの証言である。

★『母は常に完璧なものを求めてきました』------------------------------

―作文は一文字でも間違えたり、汚い字があると、そこを修正するのではなく、それをゴミ箱に捨てて最初から書き直しだという。一つの作文に1週間…。日勤教育の現場を思い出した。
このやり方は、抵抗が無意味であることを思い知らせ、相手を自分の思い通りの手足にしようとするときに用いられるやり方だ。その最たるものが人を人を殺すことのできるマシンに作り変えていく軍事教練であろう。



★『自由にモノを買うこともできませんでした』--------------------------

―本を買うにも何を買うかのチェックが入り、買ったら感想文を書かなければならなかった。その他のものも許可を得る必要があったので、弟は『モノを欲しがるということ自体しなく』なったそうだ。
何かをする度にチェックが入るということは、「自分の判断で行動するな」→「私の命令以外で行動するな」という禁止令である。気持ちのままに行動できなくなり、“気持ち”と“行動”が乖離していくため、自分の背骨ができない。そして、“行動”は親の指示に従うようになり、操り人形となっていく。
私がかつて強烈なパワハラに遭った時に身動きできなくなっていった状況にも似ています。
パワハラ管理職の実態―こうして部下は潰される
ダブルバインドによる「操り人形症候群」



★『テレビは1階に1台ありましたが、見るのは禁止でした』--------------

―「ドラえもん」と「まんが日本昔ばなし」以外は、加藤智大容疑者は高2になるまで見たことがなかった。 高2まで続くとは、驚くべき情報管制である。支配者は、自分以外の価値観に触れさせないように情報をコントロールするが、家庭内がまるで戦時下のように徹底した管理がなされていたことがわかる。



★『ゲームは土曜日に1時間だけというのがルールでした』----------------

―ゲームは時間で終われるものではない。これでは、走っている途中にいきなり柵を置かれて前につんのめったような感じになって、ドライブがかかりっぱなしのイライラした状況に置かれることになる。
また、自分なりにけりをつけなければ達成感を得られないので、永遠に不全感の中に置かれることになり、いつまでたっても“次”に進むことができない。
加えて、圧倒的な権力に対して何もできない自分の無力感。
このように、イライラした衝動、自己不全感、無力感を味あわされることになる。



★『漫画や雑誌なども読んだことがありませんでした』-------------------

―テレビと同じく外部からの情報遮断である。また、漫画や雑誌は、テレビ以上に自分の世界を作りやすい。この母親は、子どもたちが自分の優秀な手足となることを望んでいるのであって、子どもたちが自律することを望んではいない。“手足”が、自分の思いや意志や価値観を持っては困るのである。



★『友達を家に呼ぶことも友達に家に行くことも禁止されていました』--------

―このおかげで、弟は『こうしたルールの多くがどこの家庭でも行われているものと思いこんでいました』。友人は多様な価値観を知る第一歩であるため、支配者は排除しようとする。ここには、「人とつながるな」というはっきりした禁止令が現れている。
彼が衝撃と共に自分の家庭や中学が異常だったことを知るのは、高校に入ってからである。



★『母は男女の関係に関しては過剰なまでの反応を見せました』-----------
 『異性という存在は、徹底的に排除されていました』

―『異性という存在』は、自我の発達に最もインパクトを与える。だから、子を手足にしようと思っている親にとっては、もっとも排除すべき存在である。この母親は、兄に来た女の子からの年賀状を『見せしめのように冷蔵庫に貼られ』、弟は、来たハガキを『バンッとテーブルにたたきつけて、「男女交際は一切許さないからね」』と言われている。
(子どもを自律させたくない家庭では、形を変えてこのようなことが行われています)





そして、極めつけは次の場面だ。加藤智大容疑者が中1の時である。

『食事の途中で母が突然アレに激高し、廊下に新聞を敷き始め、、その上にご飯や味噌汁などのその日の食事を全部ばらまいて、「そこで食べなさい!」と言い放ったんです。アレは泣きながら新聞紙の上に積まれた食事を食べていました』

父も黙っているばかりで助け船も出さず、弟も横目で見ながら食べ続けている。この状況から、父親も母親の軍門に下っていたことがわかる。
男子にとって父親は生き方モデルであると同時に、子どもにとって父親は社会人代表(社会人モデル)でもある。ここで子どもたちは、権力に対して何もできない生き方モデルと、人権を蹂躙されても救ってくれない社会のあり方を見ることになった。

なぜ、そこまで服従することになったのかは次項






【追記】
次に行く前に、どのような親の言動が生きづらい子どもを作ってしまうのか、下記をお読みいただければ幸いです。加藤被告の家だけが特殊だったのではないことがわかると思います。

生きづらい人(1)-生きづらい子を作る親の特徴
「餓鬼人間」-存在承認に飢えた鬼





【その他参考】
日本という「完全統制区域」
家庭というアルカトラズ(監獄)
ハラスメント・スクール
モラ母からの離脱



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こちらのブログの「ブータンと養老猛」では、「ブータンは昔の日本のよう。一人一人みな違う顔をしている。」と紹介されています。 元元、自主性・個性性が濃厚な日本人です。 何故、元元の我々が、自主性・個性性が希薄とされたかというと言い訳の為で、 日本の社会は理解が有って

病院、学校、福祉施事業等は一般にも受け入れられ、外務宮内裁判官等々政府高官にも信者が多く、優しく道徳的で子供も大人も幸せそうで…なのに、教化が全く進展しない言い訳がないと、教化する意味が無い。自分達が神を信じる意味もあやふやになります。
そこで、日本人は自主性・個性性が希薄という欠陥があるから、個人が自ら考えて神を信じることが出来ず、信仰を告白しても信仰が弱く、自主性・個性性が弱いから集団的に行動し愛想笑いをするだけの不幸な人達ということにしました。
嘘です。
同調圧力をかけるだけで組織的な集団行動を長期間取れる訳ないんで、人其れ其れという認識を構成員が持っていなければ、集団や組織は維持出来ません。
自主性・個性性が希薄なら隣や植民地でやったように信じる損得を見せつければ、教化は進展するし、濃厚なら、同じ神を信じましょうと言っても、何でも信心するのはいいことですねと言われちゃう。
ともあれ、不幸な日本人を救済する為に、日本人の自主性・個性性を希薄にしている農村共同体的思考や慣習伝統等の日本の諸々を破壊してあげなくちゃいけないと宣伝したり強制したりと。
そうして見境無く破壊されていった日本の色々なものの中には、日本人の自主性・個性性を濃厚にしていたものがあったはず。
自主性・個性性が希薄な方が、自己主張や他者への同調強要は強いんじゃないの?
自主性・個性性が濃厚なら我々と同じ神を信じると言ってます。

女奴隷とその子を追い出せと、性奴隷を認める珍しい神ですから、植民地教化は、現地女性を現地男性の庇護下から解放し、命の大切さを説いて妊娠出産調整を禁じ、無制限に混血児の養育負担を現地社会に押し付け、現地社会組織を破綻させるところから始めます。
教理上、女は神の似姿である男のために作られた存在ですから、関連女性運動は信者男性の為の運動で、運動の個々の担い手の善意や考えとは無関係に教理がそう。

性奴隷を認めますから、女奴隷に自分の子を産ますことにより奴隷を増やせました。
儒教の原理は、子は平等で、母の身分と長幼で序列が在り、子孫を残すのは男子で、父系同族内婚禁止。
隣は儒教原理に根本的に反する従母奴婢法が在って、主人は婢に子を産ませて奴婢を増やせました。

お隣の教化は珍しい歴史と珍しい神の出会いで、急速に進展した為、素質優秀で、信者は強い信仰を持ち、日本信者を指導して、我々を悔い改めさせる使命を持つ人々とされています。

 

元々、自主性・個性性の希薄な日本人だが
かつての日本は農村共同体社会であったため、個々人宅が閉鎖的になり、そこで特定の親が暴走することもなかったが

日本人が戦後、従来通り人間性が未熟で、自主性も無いまま
生活単位だけ核家族化で分断され、テレビやメディアに洗脳され見事に分断統治された結果。

この馬鹿母親も、己自身にも自主性が無いからこそ、ブランド志向のごとく、学歴至上主義に陥り、子供を自己所有物化し、一様に意味不明なスパルタ虐待を犯した。

児童虐待はれっきとした犯罪。
はっきり言えば、この馬鹿母親に代表される児童虐待母親は
言わば『宮崎勤の女バージョン』と言える。
幼児虐待、我が子の虐待に快感を覚える辺り、動物的な恐ろしい残虐性を有している。

そして、さらに恐ろしいのは
母親が幼児や我が子を虐待しても、何ら罪に問われない社会環境にある。

ここまで、日本に悪質な女性(母親)が増えた背景には、某国による『男女分断工作』があるのだろうが、元々メスの方が『自分より弱い相手に対して徹底的に暴力を振るう』という動物的な狂暴性を雪の証拠でもある。

 

殺人を起こすなんて最低だし、人間のクズ以下
だけど、そのクズを創り上げたのは・・・
無差別殺人なんて極悪非道な事をしなければ
多くの命を無差別に奪わなかったら
きっと、ニュースに報じられて皆同情するのかな
どちらにしろ、家庭環境って大事なんだなと思った
といっても、全員が全員というわけじゃないけど
「あれ」呼ばわり時点等で家族自体にゾッとした

 

新聞紙の上にご飯をばらまきそれを食べさせるなんて。どうしたらそんなことが出来るんでしょう?何に怒ったのかは知りませんがその物事に注意をしたりするなら躾ですがわざわざ廊下でそんなことするのって考えられません。子供に人権はないの?父親も母親も信じられない。

 

興味深い記事でした

加藤被告の死刑はやむを得ないだろう。
ただ、この親にもなんらかの刑事罰が与えられるべきだ

加藤被告のねじれた精神を生み出したのは、母親の異常さと父親の無関心、ここに尽きるのでしょう。
加藤被告も不幸な家庭に生まれて可哀想でしたね、あなたが100%悪いわけではないこと分かってます。
しかし加藤被告の起した結果は死をもって償うしかないのでしょう。

 

ツイッターからきました。
この全体主義世界は、ひとつの家庭の話だけなのでしょうか、
今の日本全体がこうなってきているような気がしてなりません。

 

ボクも似た様な感じでした。

あるサイトからここへ来ました。
ここまでひどくないですが、うちの母親も似た感じでした。

正直、
中学生の頃はどうやって母親を殺すか毎晩考えていました。
今はそんなことはなく、両親ともに良好な関係ですが。

恐らく、
何らかの理由で、この母親は良かれと思って、この様な教育をしたのでしょうが(事実、うちの母親もそう言っている)、どうして、この教育が良いと思ったのでしょうか。
ただ単に、子供に八つ当たりしていただけの可能性もありますが。

 

>しん

何が大麻事件?頭大丈夫?

 

これって、軍が兵隊を育て上げるための訓練に似てますね。

 

家庭崩壊

私の家も崩壊しています。
私が2歳の時に両親が離婚、母が家を出ました。
子供の頃から貧乏で、洋服はいつもボロでした。
父親は外面がよく、内弁慶でしょっちゅう祖母や祖父に
怒鳴っていました。
私はその怒鳴り声が嫌で嫌で、子供部屋でいつも耳を
ふさいでいました。
父は日頃のストレスを祖母、祖父にぶつけいているよう
でした。
父はお金を稼ぐことが下手で、当時小学生だった私にまで
金をせびってくることがありました。
金の要求は祖父にはしょっちゅうしていました。

父は姉よりも私に期待していました。どういうわけか
私は中学生の頃から人よりも成績がよかったからです。
なにかにつけてOOは頭がいいからと言われてきました。
そのせいで、大学を選ぶ時も期待にこたえなきゃと思い
たいして興味のなかったIT業界に就職してしまいました。
私が就職してしばらくはよかったのですが、私が家を出て
結婚して出産した後ぐらいから、父の仕事(自営業)が
減ったせいか、父が私や姉に金をたかるようになりました。
私や姉がもらってきたボーナスを欲しがり、しぶしぶ渡すと
また次も要求してくるようになりました。
私がそれが嫌でたまらなかった。
私はもう別の家庭を持っているのだから、その家族の為に
貯金したかったからです。
私がお金を渡すのを拒むと、「借金返済できないから一家心中
しないといけない」と脅迫してくる始末。
最近、連絡はほとんどとっていません。
もう親とは縁を切りたいです。

 

信じられない

よく大麻事件で済みましたね。
下手をすればこの母親が殺されていてもおかしくないですね。
とても非現実な世界です。

 

単純に危険だから規制が必要だというのではなく
人を殺すためにつくられたというコンセプトが規制に値するのだと思います。

 

ありがとうございます

週刊誌のいうことなので、
弟さんからしてみたら「そんなこといってない」てこともあるんでしょうけど
親に心の闇を強く感じます。

現代の記事をはじめてみたので、参考になりました、ありがとうございます。

 

読ませていただきました

 今この事件はお茶の間を多くにぎわせていて、あらゆるバラエティ番組でも頻繁に取り上げられています。
 この事件を皮切りに例のダガーナイフも取締りが始まっています。
 あるタレントなどは上から背伸びするような口調で「ナイフなんてものがあるからいけない」とも言っていました。
 この手の事件を聞いては特番で犯人を槍玉に挙げるたび、思うことがあります。
 「犯罪に使われるからといって、なんでもかんでも規制すれば済む話なのだろうか?」
 みもふたも無いことを言えば人は簡単に死にます。
 毎年交通事故で人は死んでいます。毎年何らかの形で人は殺されます。
 毒であったり鈍器であったりあるいはアイスピックやバーベキューの焼き串であったり。
 人を殺すのは道具ではなく人間であり道具には何の罪もありません。
 なのにすべての元凶が道具のせいであるかのように規制が始まっています。過去も今も、きっとこれからもこれは続きます。
 今回規制の始まっているダガーナイフは、日本刀と同じように人殺しの道具であると同時に、美術的価値の高い一面もっています。
 「危険だから」の一くくりで規制をかけるのは、文化をいたずらに衰退させるに過ぎないと思っています。
 まさに上記のことが国家単位で始まろうとしているのだと危機感を抱いています。
 もし可能であるなら、ご意見をお聞かせください。

 
    
 
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