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「秋葉原通り魔 弟の告白」(前編)-3.怒れる絶対君主

2008/06/17(Tue) Category : 少年犯罪・家族事件簿
【秋葉原通り魔事件】

『母が食事を告げると3人が部屋から降りてきて無言で食卓を囲み、また各々の部屋に帰る。そんな毎日です』

―食卓の風景はその家族を現すというが、血の通わない光景である。1階に住む母親が、2階の個室に別々に暮らす夫と子どもに『食事を告げる』。まさに、囚人を呼ぶ看守のごとくだ。夫婦連合もできていなければ、父子の間に世代間境界もないことが分かる。

このように、二人の大人がいるのに、その関係が対等ではなく、片方が完全に従属している場合、子どもたちは従わざるを得なくなる。ことに、男の子にとって父親は自分たちのモデルだ。そのモデルが黙って従っているのだから、自分たちも黙って従わざるを得ないのである。こうして、母親の権力は絶大なものになっていく。

母親が絶対権力を持っていたことを示すのが、前項の、加藤容疑者がまるで犬畜生のように扱われた事件である。彼は絶対権力者の前で、兄弟にも、父親(世間代表)にも救われることなく、泣きながら惨めに食べ続けざるを得なかった…。

彼はこの時、親からも世間からも捨てられたのだ。





ではなぜ、夫婦の間でここまでの権力格差がついたのだろうか。
私のこれまでの家族カウンセリング体験から言えば、これほどの迫力で子をレールに乗せようとする場合、その母親の中には優秀な子どもに育てて自分の親から「自分が認められたい」という飢餓(=欲求)のあることが多い。

そして、このような承認欲求を持つ人は、あるがままの自分を親に認めてもらっていないことへの「怒り」も必ず持っている。その怒りを躾などの大義名分の下に子どもに吐き出すのである。

この怒りは、表面的に分かりやすいものではない。が、この内在化している怒りは日常の細部で出てくる。特に怒りを持った者同士というのは、直感的にどちらの「怒りの量」が大きいのかが分かるのである。恐らく父親は、妻の怒りの量のすさまじさに気づき、臆したのであろう。だから、子どもの防波堤にはなり得なかった。せめて妻に黙って借金までして子どもの資金援助をするくらいだった。

つまり、夫婦間の圧倒的な権力格差の背景にあるのは、内在化された「親への怒りの量」の格差である。そして、夫が引き受けないほどの妻の凄まじい怒りを、子どもたちは一身に浴びて育つことになる。





これは、同記事からではないが、加藤智大容疑者は小学生のころから「北海道大学の工学部に行きたい」と、伯父に将来の夢を話していたという。-もはやこのこと自体がおかしいだろう。これをおかしいと思わなかった人は要注意かもしれない。

小学生自らが、このような希望を述べるはずがない。私など、いつも自分がやりたいことばかりを追いかけてきたので、高3の夏になるまで大学名は東大、早慶、九大(九州だったから)くらいしか知らなかった(つまり、よく聞く名前だけということ)。
論外かもしれない私の話は置くとしても、小学生でこのようなせちがらい“夢”を述べるとは、弟さんが言うとおり、よほど「洗脳」がきつかったことの証拠のように思える。

恐らく母親は、自分のシナリオを持ち、その舞台上で夫や子どもを踊らせようとしたのではないだろうか。私は、弟が妹を殺した「短大生遺体切断事件」の武藤家の母親の姿勢を思い出した。





武藤家の母親も、船場吉兆の「ささやき女将」も、そして、加藤智大容疑者の母親も、皆、親からあるがままの自分を、無条件に愛されたかった人達なのだろう…。
短大生遺体切断事件の家族心理学(1)-家庭環境
船場吉兆に見るモンスターマザーの支配型

その人たちの中でも、小さな女の子が「お母さん愛してよ、抱きしめてよ」と泣いているはずである。

哀しい。

愛情飢餓の連鎖に気づいてほしい。


そして、

自分と闘うことを決意してほしい。
 

犠牲者を出す前に。






以上の解釈は、弟さんの告白を読んだ上での一つの解釈だ。
皆様も、それぞれ自分で読まれてみるとよいだろう。



ただいつも思うこと。それは、

「親は子どもを自分の道具にしてはいけない」

ということだ。



そのためには、人は親になる前に、自分の親との問題を解決していなければならない(理想はね…)。

結婚式は「親子別れの儀式」、
白無垢は「生まれ変わり」の象徴なのだから…。
(追記:私も白のタキシードでしたが、男女ともに生まれ変わるということです)






*なぜ、母親がそうなってしまったのか、については次項




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【心理学】についての検索結果をリンク集にして…

心理学 に関する検索結果をマッシュアップして1ページにまとめておきます… ...

 
 
 

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毒親とブラック企業のダブルパンチ

マスメディアをご覧の皆さんはもう知っておられると思いますが、昨日また似たような事件が再び起こってしまいました。
このニュースを見たとき矢も盾もたまらず、書きたくなりました。
私は、昨年アルバイトながら長年勤めていた仕事を辞め、新しい仕事に転職しました。
母親の友人の勤め先の社長が新しい事業を興すとのことで、母親を通じて話が勧められたのですが、気が進まないのと、ちょうどそのころ仕事先も人手不足で、すぐに行くというわけにもいかず「すぐにはいけない」という旨を告げたら、母親に激怒され、結局押し切られる形でその仕事につきました。
最初は事務所で事務兼パートをまとめる役、ということで話が来たのですが、商品を覚えるという名目で、自家用車でシンナーを配送することになり、営業のような仕事を強要され、始めて3日目で不安が現れ始め、食欲不振、腹痛、下痢という症状が出始めました。夜布団に入ってもなかなか寝付かれず、涙が出てしゃくりあげる始末で、これが三週間ほど続いてから、心療内科に駆け込み、ストレスによる不安症状と診断され、未だに薬が手放せません。
体も一時期体重が落ち、老けこんだほどです。
社長という人も、人を責めるタイプの人間で、自分が納得できないことをねちねちとしつこく聞いてくる性格で、心が折れました。さらに始末の悪いことに、この人はうちの両親のことを「立派なご両親」とか「感謝しなさい」とか、さらに的外れなことを言って、心身共に追い込まれました。
結局半年弱で仕事は辞めることができましたが、辞める直前に、両親は病院通いのことを告げても、いまいちピンとこなかったらしく「なんとか続けることはできないのか」と体調も精神も全く考えず、自分の世間体のことしか頭にないような発言を繰り返しています。
後遺症ともいうのか、心と思考は、ストレスを発症する前の状態とはいまだに遠く、感情が、出るべき時に出てこない状態が続いているのです。
いかに幼いころからの両親や、周りとの「共感」とか「分かち合い」が私には少なかったのか、今更ながら痛感しています。
世間では毒親の無理解や、ブラック企業の使い捨てにも屈することなく戦っている方もいらっしゃると思います。
今の私がほしいことは、もし私の行動が理解できなくても、心と頭が上向くまではそっとしておいてほしいのが偽らざる本音です。

 

同年代の母親として、とか書いている愚か者

母親が幸せであろうと、無かろうと
それが子供の幸せを奪う理由にはならないだろ。
そういう母親(女性)至上主義が、児童虐待(傷害罪)の正当化につながる。

たとえ、母親が己の親から虐待を受けていようと
夫婦仲が悪かろうと、我が子を虐待する理由になどならない。

そんな母親マンセーなワガママを主張する辺り、加藤智大氏の馬鹿母親と同類にすぎない。

 

下で虐待された経験を長々書いてる人いるけどここで関係あるのかな…
今は加藤の話しをしてるのに何か子供っぽい人だな。
こういう風に自己主張ばかりしたがる人って、
虐待されてたって言っても信用されないし面倒なだけなんだよ。
不幸だから同情してって感じの奴は嫌いだ。身近で虐待されたのに頑張ってる人見てるから余計に。

 

ストレスを減らそう

確かに酷い家庭環境ですが、それは母親一人の責任ではないのではないかと感じました。日本社会に対する強力な抑圧が、家庭に反映され、過度に歪んだ家庭環境を醸成してしまうのではないでしょうか。また、事件の要因として家庭環境も挙げられますが、派遣切りの問題も大きく影を落としていることを忘れてはなりません。

 このような事件が起きると、社会は問題を個人やその背景となる家庭環境などに還元して、個人に責任の所在を転嫁して解決しようとします。地下鉄サリン事件も私達の社会が産み落とした影であるという捕らえ方が必要です。そして、私達国民も一つの大きな家族のようなものであり、グローバリゼーションの進む現代では、世界全人類もそのような関係性にあるという認識が必要ではないでしょうか。

 私達日本人は、過酷な労働を強いられている反面、その恩恵を充分に受けることが出来ず、国際的にも搾取されているという印象があります。私達は、日々、多大なストレスを抱えて暮らしています。

 そのような状況を改善する一つの打開策として、私は大麻取締法の改正を提案しています。大麻は、アルコールやタバコと比較して害が低いといわれているばかりでなく、ストレスを軽減する作用も広く知られています。また、近年、世界の多くの国々で大麻の個人使用に対する罰則が軽減されており、日本の法律は中国よりも厳しい状況です。そのような事実があまり報道されないこと自体、おかしいと思います。

日本や世界を一つの大きな家族に見立てた場合、加藤家の母親に当たる存在は誰か?
それはあなたかもしれません

 

ruruさんへ

「加藤のしたことはしてはいけないことですが、彼の気持ちは分かる気がします。気の休まらない、恐怖にしかならない家庭を持つと、誰だっておかしくなる。加藤を極刑にするなら原因を作った母親も極刑にしてほしい」

ruruさんのコメント、本当に同感です。彼らは絶対に反省をしませんし。外からは、人畜無害の善良な市民にしか見えないでしょう。

私の家庭環境も酷似しています。
夕食の鐘を合図に家族が二階から駆けつけないと、専制君主であるモラ母は何回でも鐘を鳴らし続けます。
私と父はパブロフの犬よろしく、鐘が鳴ると機械的に立ち上がるようになっています。まさに《看守と囚人》の関係なのです。

母親だからこそ《免責》されている日本の社会構造が許せない気がしています。このことを現場の医療関係者やカウンセラーの方々、そして行政がどれほど認識しているか…はなはだ疑問です。

 

認知傾向

臨床心理士を目指すものです。
ありがたく読ませていただきました。私は今回の件は「親への仕返し」だと考えています。
というのは、私も加藤は親からの無償の愛を受けられず(実感できず)優越すれば皆に愛されると考えて優越へのこだわりや執着を捨てられなかったのではと考えているからです。親自身も、自分の弱点を認められない人だった為、加藤の弱さを認められなかったのかも知れません。

彼は「世間体や優越を気にする親へ自暴自棄名な行動によって復讐したい」という動機も多分に持っていたでしょう。彼の悲観的認知傾向は現実で吟味されることなく個人の意識の中で終結しています。
事件を起こすころには彼にとって人は単なる記号にしか見えなかったのかもしれません。

幼いころに砂場で物の取り合いをしたり、仲間を作ったりして痛みや共感を得て現実的な人間関係を形成していく過程は彼にあったのか、気になりますね。

 

付け足し

首吊りはデモンストレーションです。
あんたのせいで死ぬから見ておけ、と言われました。小学生の頃です。
包丁を向けて部屋に乗り込んできたのもその頃。それ以後、自分以外の人間がいると台所に入れなくなりました。
ヒステリックな声を聞くとビクッと震えます。でも死ねといい続けた本人は「あんたが悪い子だったから言ったのよ、あんたのせいでしょ。都合よくこっちのせいだけにしないで」と言いました。
彼らは本当に反省をしません。
彼らにこそ刑罰を与えてほしいです。犠牲者を増やす前に。

 

家庭環境がよく似てる

私の家も似た状況でした。
抑圧系+放置でしたが。目の前で首吊りされたり、頼むから死んでくれと包丁を向けてきたり。キチガイだと罵られるのは毎日。死ね、鬱陶しいから部屋から出てくるなと言われ続けました。手首を切れなくて、手の甲を200回ほど切ったことがあります。母親は最後まで真っ赤になった手の甲に気づきませんでした。
加藤のしたことはしてはいけないことですが、彼の気持ちは分かる気がします。気の休まらない、恐怖にしかならない家庭を持つと、誰だっておかしくなる。加藤を極刑にするなら原因を作った母親も極刑にしてほしい。他人事のようにのうのうとすました顔をして今も暮らしているのかと思うと、他人事ながら腸が煮えくり返ります。親が違えば。家庭に血が通っていればこんなことにはならなかった。加藤の本当の個性を黒く塗り潰したことを、母親は自覚するべきです。泣いて自分に同情する前に。

 

事件と分けた考えですが

想像するだけで深い絶望。改めて加害者に同情を感じてしまいました。
もっといい加減に生きる術を友人などからわけてもらえれば良かったのに。

 

残念ながら、こういう親は絶対に反省をしていません。
反省をしているふりをしているのです。
私は中学時代に一度家を出ました。そのとき謝罪の言葉とともにしばらくは反省をしていたようですが、高校に入ると「そんなことは言っていない」といい、また言葉の暴力を受け続けました。
私はここから逃げることを考えました。そして、いい大学に入ること(=彼らの望み)が、唯一の方法だと思い、とても勉強に集中できる環境ではありませんでしたが、そこそこの国立大学に入り、ある程度救われました。
こういう親は絶対に反省しません。理由は分かりませんが、事実です。
また、こういう人間は社会にいっぱいいます。もしそういう人に出会ったら、とにかく逃げます。なぜなら、前述したように、そういう人たちは絶対に反省しないからです。
また、自分もそういう面があります。これは自分の行動によって分かります。そういうときも逃げます。逃げることで、私のとった行動は悪いことだと周囲に知らしめるためです。
現代社会は、勉強さえすれば復活のチャンスはいくらでもあります。
必要なのは親からの愛情ではありません。勉強をすること、そして逃げることです。

 

何度も書き込んで申し訳ありません。

 日本は大衆化社会になりました。
 誰も彼もが、多くの人が向く方向に目を向け、そして周りと同じ色に染まります。
 あたかも他者とはかけ離れた思考の異端者には、生きる場所は無いように思えます。
 大衆化、つまり社会主義化している世の中では、本当の民主は反映されず、少数派意見の人間は肩身の狭い思いをすることになります。
 あまつさえそれがいじめの対象にだってなりえるのです。「空気読めない 協調性が無い」果たして自我を押し殺せる人間こそが協調性の有る人間なのでしょうか?
 この事件の加害者である彼は、人格を否定されながら孤独にさいなまれて生きてきたかわいそうな人間の一人なのではないでしょうか?
 人格を無視される事の地獄のような孤独に耐えられなくなった。だから彼は誰かに分って欲しくて、この事件を起こしたのでは?

 連日のようにこの事件で批判と攻撃を浴びせ続ける世の中を見て悲しくなります。
 犯罪者を迫害するのは簡単ですが、「何でそんなことをしなければいけなかったの?」と考える人が何人居るのでしょう?
 ナイフを規制しても加害者をよってたかって攻撃しても、失った人は帰ってこないし、心を壊された彼を救うことは出来ない事に、何人の人が気付くでしょう。

 

親の記者会見を見て

記者会見を見た時、父親の会見は、まるで加藤容疑者の事を他人の事であるかのような印象でした。
こんな環境で育った子供が、まともになるはずは無いし、一歩間違えば、誰だって加藤容疑者と同じになるだろう。

社会全体の負の部分を彼は背負わされたにすぎないと思う。

殺人を肯定はしないけど、彼の気持ちもわかる気がするし、気持ちをわかる人がいなければ、これからも同様の事は起こるだろう。

 

紙一重の差

今回の事件は、身につまされる。他人ごとではないものを感じる。
笑っている人が憎い。恋人がいる人が忌々しい。何故自分だけが不幸なのかという怒り。その元凶となる、親の異常な教育。「あれだけ真面目にやったのに、何故報われない。」という思いに、かつて自分自身も駆り立てられていた。
自分が、犯罪や自殺に走らなかったのは、ただ一点「俺が手を汚せば、敵が喜ぶ。それは避けたい。」
これだけである。
今後も手を汚すつもりはない。
今も怨念は消えない。
合法的に敵に土下座させる方法ばかり考えている。
静かに考えている間は、自分も善良な市民の一人である。
他にも自分のような人がいるのかもしれない。とふと思う。
そんな人に呼びかけたい。「自分が悪くないなら、自分の手をきれいに保っていてください。いつか報われる日のたむに。」と。

 

初めまして、
犯罪を犯す人の家庭は加藤容疑者のようなパターンが非常に多いような気がします。
実をいうと私の家庭も似た状況だったことがあります。
加藤容疑者に同情という言い方は変かもしれませんが、
やはり社会のひずみが下流階層に流れ込んでこのような結果を出す原因の一つになった気がしてなりません。

事件そのもののはもちろん、加藤容疑者の家庭状況、事件当時周りにいた傍観者、マスメディアの事件の取り上げ方を見ていると、誰が被害者で、誰が加害者かわからないような世の中ですね。

 

自殺を考えていると言った方、まず親と向き合うべきです。思っていることをありのままに告げることが大切だと思います。また、自殺は自分の両親と弟を一生悔やみながら生きていくように設計します。親と建設的な勝負をし、歩み寄れることができたらいいですね。

私は本当にいつでも両親が支えてくれるので、それをなしで生きていくことはできないと思います。ただ、その支えがない方には、自分の存在意義がないというふうにだけはとらえて欲しくないと思います。素晴らしい人間になるのはあなた次第なのですから。親と話し合いをすると、ひょっとすると今まで知らなかったいい部分を発見するかもしれませんし。

 

人は法を裁けない

今回の事件関して様々な意見、怒りが有る事と思います。
私も彼の生い立ち、環境には気の毒な背景が伺える事は百も承知です。
しかし=(極刑)を逃れる理由にはならないと思います。反対に取れば、彼と同じく、いや、それ以上の怒りや無念差を背負った人間でも「しない」人がいる、いや「しない」人の方が多いからである。
この世の中、同じステ-ジに立っている人は居ない。皆、ステ-ジは違う。当然、その「差」こそは有ると思うが、環境や生い立ちの酌量あって不特定多数の命とはかられていたらこの資本経済では危険なサバイバル地帯になるだけだと思う。目には目を歯には歯をでは無いが、被害者側からすれば、その人の生い立ちなど関係ない。彼の人生を哀れむ事は自由であるし、彼も無念であっただろう・・と思い続ける事も自由だと思う。・・・が、それを酌量の位置付けにする事は理由としては頂けないと思う。もし酌量の余地が有るとすれば、彼が無差別では無く両親に牙を向けていた結果であれば、話も異なっていた筈。私はこれからも、こういった事件が起こると思う。時代はどんどん進化していく。そろそろ、その進化の加速に人が付いて行けなくなって来た気がする。もし付いて行くなら身軽にならなければならない。人間本来の人情、理性、愛、そういった物を吐き捨てて行く者だけが・・・私はこれを、やはり行き過ぎた「資本主義経済の形状」だと思う。人が人を信じられなくなったら、せめて「法」くらい信じないと・・・

 

母源病でしょうか。

母親に原因があるように思われがちですが、母親もまた育った社会背景(たとえば親?世間?)から加害を受けていた気がします。
母源病というならば同時に父源病でもあると思います。
新聞紙に撒かれたご飯を泣きながら食べているのを黙って見ているなんて信じられない冷たさを感じます。その母親の激情を止められるのは父親しかいないのに。

死刑より先に彼の人生が色をともしてほしいことに賛成です。ここを彼が読めたら優しさに触れるかもしれませんね。罪は罪だけど彼の人生に胸を痛める声がある事実を知って欲しい気がします。
感じることは生きることだから人のせいにしてる人生を自分の手に取り戻してほしいです。
その時彼は罪の重さを自分のものとして感じ苦しむことでしょうけれど。またそうでなくては被害者のお身内のかたがたも報われないと思います。死刑になって自覚もなく死なれたら消えない憤怒をどうしたらいいのでしょう、そういう刑が行われたばかりです。

 

生きて欲しい・・・・

驚きました。以前流行った母源病という言葉を思い出しました。加藤さんが、1番の被害者だったなんて・・・・。かわいそ過ぎます。7人も殺したんだから、絶対死刑だろうな・・・・と思っていたんですが、できたら、生きて、生きて、優しい人に出会ったり、楽しいことを、知って欲しいです。かわいそ過ぎます・・・・

 

2008/06/19(木) 15:37 | URL | 名無し

自殺を考える前に親と戦うべきです。母親が父親や父親方の家系の尊厳を踏みにじったりすると、よく見られる傾向に思います。

 

私の家も壊れてました。
母は私に理想を押し付けました。
その為に、私は小さい頃から殴られてました。けど弟は甘やかされていて、母のひざの上にしょっちゅう乗っていました。私は一度もそういう事はなく、乗りたいと言っても受け入れて貰えませんでした。小さい頃からずっと「何故私だけこんな目に合うの、何故いつも一人なの?」と思ってました。私は何度も大人の人に相談しようと思いました。
けど、母は私の欲しいものは何でも買ってくれました。その代わり、私は母に甘えることは許されませんでした。私は物心ついたときから一人でした。私も愛を一度も与えられずに大きくなり高校受験の時期になりました。すると母は今まで一度も成績とかに興味もなかったのに、
「あなたはここの高校に行きなさい」と言い出して。私の意見も聞かずに決めてしまいました。
それから毎日が地獄の日々でした。
朝起きてから寝る間の間ずっとあなたはここの高校に入らないとお母さん怒るから。彼方はやれば出来る子だから。など毎日言われ続けて私はノイローゼを起こして自殺未遂をしました。これで受験から開放されると思ってしました。運良く発見されましたが病院には連れてってもらえず。家で寝てました。睡眠薬が切れて目を覚ますと母が「よかった。これでまた勉強できるね」私は絶望しました。それから何とか高校に入りましたが仲間になじめずすぐに止めました。そのときから弟の家庭内暴力が始まりました。私には無関心だったのに暴れる弟には命がけで止めようとしてました。私は腹が立って生まれて初めて母に包丁を突き立てました。それ以来母は優しくなりましたが。母と私の間には見えない溝があります。私は加害者に同情はしません。たとえどんなにつらい状況でも他人を巻き込むのは卑怯だと思います。死にたかったら自殺したらいいと思うそれだけのことなのに、
他人を巻き込むなんて最低です。
私は自殺を考えてます。
他人を巻き込むことだけは避けようと思います。

 

他人事ではない、という衝撃を受けた1人として

私も加藤容疑者の母親と同じように長い間「監獄の看守」でした。
だから、容疑者の弟の告白を読み進めることがとても辛かった。
酒鬼薔薇事件以来、同じような事件が起るたびに、胸がざわつき、大きな不安を感じ、その不安はどんどん大きくなっていました。

中尾さんの本に出会い、そして家族カウンセリングを受ける中で、軌道修正することができましたが、出会えなければ、どうなっていたか?
空恐ろしい気がします。

今私のまわり中、娘や息子の友達、近所の子どもたちのあり様、家庭の様子を垣間見ると、ほとんどの家庭が程度の差こそあれ、「監獄」のようになってしまっていると感じています。

わたし自身がそうであったように、
親からあるがままの自分を認めてもらえなかった人がこんなにもたくさんいる、そしてその数が増え続けてていることに衝撃すら受けます。


わが子の親になるために、自分の親との問題を解決することは、必要なことだと実感している1人です。
現在我が家は夫が自分の母親との関係に向き合っている最中です。
「向き合うこと」で、夫は自分の中の怒りの根源を理解し、開放し、溜め込まなくなり、
子どもに当たることがほとんどなくなりました。
穏やかな食卓が我が家に戻ってきました。

 

母親と同年代の女性として

母親の幸せなくして子どもの幸せはないですね。この人は、おそらく夫に対する怒りを子育てにぶつけていたのでは、と思います。父親の、家庭や妻に対する無関心は、逃げ場のない怒りを産んだのでしょう。日本人は「蟻とキリギリス」を教訓に、将来の為に耐えることを美徳とする考え方が良しとされてきましたが、「今」を楽しんで生きるのが下手なように思います。この母親は自分だけが将来の為に頑張っているのだと思い込んでいたのではないでしょうか。

 

他人事ではない、という悲しさ

この秋葉原の事件、これまでの数々の『誰でもよかった』殺人事件と違う反響を見せていると報道を見ていて思います。
甘えたやつだ、というコメンテーターの他人事のようなお説教意見だけで終わっていたこれまでと違い、『他人事ではない』という視聴者からの意見が電波にのるようになりました。
この事件直前までの容疑者の心情の掲示板への書き込みを読み、そして程度こそ違えど、質的には決して珍しくはないであろう彼の『監獄化』した家庭環境を知り…多くの人達が彼と同じように、実は自分の心のコップがギリギリであることに気づき始めたのではないかと思うのです。
容疑者の親と同世代の親達も、いわゆるサカキバラ世代(この言葉は嫌いですが)と呼ばれる青年達も、そして今子育て中の親も…。

認められたい、愛されたい、受け止めてもらいたいという欲求と、そしてそれが叶わない怒りが自らにあることを痛烈に突きつける事件だったのではないでしょうか。

容疑者に同情するなんてという意見も多くありますが、そうした彼の気持ちがさっぱりわからないという人は本当に幸せな人でしょう。
他人事ではないという意見は、決して容疑者への同情ではなく、容疑者に『共感』できてしまう自身への大きな衝撃と悲しみではないでしょうか。

長いコメント失礼いたしました。

 
    
 
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