「秋葉原通り魔 弟の告白」(前編)-3.怒れる絶対君主
『母が食事を告げると3人が部屋から降りてきて無言で食卓を囲み、また各々の部屋に帰る。そんな毎日です』
―食卓の風景はその家族を現すというが、血の通わない光景である。1階に住む母親が、2階の個室に別々に暮らす夫と子どもに『食事を告げる』。まさに、囚人を呼ぶ看守のごとくだ。夫婦連合もできていなければ、父子の間に世代間境界もないことが分かる。
このように、二人の大人がいるのに、その関係が対等ではなく、片方が完全に従属している場合、子どもたちは従わざるを得なくなる。ことに、男の子にとって父親は自分たちのモデルだ。そのモデルが黙って従っているのだから、自分たちも黙って従わざるを得ないのである。こうして、母親の権力は絶大なものになっていく。
母親が絶対権力を持っていたことを示すのが、前項の、加藤容疑者がまるで犬畜生のように扱われた事件である。彼は絶対権力者の前で、兄弟にも、父親(世間代表)にも救われることなく、泣きながら惨めに食べ続けざるを得なかった…。
彼はこの時、親からも世間からも捨てられたのだ。
ではなぜ、夫婦の間でここまでの権力格差がついたのだろうか。
私のこれまでの家族カウンセリング体験から言えば、これほどの迫力で子をレールに乗せようとする場合、その母親の中には優秀な子どもに育てて自分の親から「自分が認められたい」という飢餓(=欲求)のあることが多い。
そして、このような承認欲求を持つ人は、あるがままの自分を親に認めてもらっていないことへの「怒り」も必ず持っている。その怒りを躾などの大義名分の下に子どもに吐き出すのである。
この怒りは、表面的に分かりやすいものではない。が、この内在化している怒りは日常の細部で出てくる。特に怒りを持った者同士というのは、直感的にどちらの「怒りの量」が大きいのかが分かるのである。恐らく父親は、妻の怒りの量のすさまじさに気づき、臆したのであろう。だから、子どもの防波堤にはなり得なかった。せめて妻に黙って借金までして子どもの資金援助をするくらいだった。
つまり、夫婦間の圧倒的な権力格差の背景にあるのは、内在化された「親への怒りの量」の格差である。そして、夫が引き受けないほどの妻の凄まじい怒りを、子どもたちは一身に浴びて育つことになる。
これは、同記事からではないが、加藤智大容疑者は小学生のころから「北海道大学の工学部に行きたい」と、伯父に将来の夢を話していたという。-もはやこのこと自体がおかしいだろう。これをおかしいと思わなかった人は要注意かもしれない。
小学生自らが、このような希望を述べるはずがない。私など、いつも自分がやりたいことばかりを追いかけてきたので、高3の夏になるまで大学名は東大、早慶、九大(九州だったから)くらいしか知らなかった(つまり、よく聞く名前だけということ)。
論外かもしれない私の話は置くとしても、小学生でこのようなせちがらい“夢”を述べるとは、弟さんが言うとおり、よほど「洗脳」がきつかったことの証拠のように思える。
恐らく母親は、自分のシナリオを持ち、その舞台上で夫や子どもを踊らせようとしたのではないだろうか。私は、弟が妹を殺した「短大生遺体切断事件」の武藤家の母親の姿勢を思い出した。
武藤家の母親も、船場吉兆の「ささやき女将」も、そして、加藤智大容疑者の母親も、皆、親からあるがままの自分を、無条件に愛されたかった人達なのだろう…。
・短大生遺体切断事件の家族心理学(1)-家庭環境
・船場吉兆に見るモンスターマザーの支配型
その人たちの中でも、小さな女の子が「お母さん愛してよ、抱きしめてよ」と泣いているはずである。
哀しい。
愛情飢餓の連鎖に気づいてほしい。
そして、
自分と闘うことを決意してほしい。
犠牲者を出す前に。
以上の解釈は、弟さんの告白を読んだ上での一つの解釈だ。
皆様も、それぞれ自分で読まれてみるとよいだろう。
ただいつも思うこと。それは、
「親は子どもを自分の道具にしてはいけない」
ということだ。
そのためには、人は親になる前に、自分の親との問題を解決していなければならない(理想はね…)。
結婚式は「親子別れの儀式」、
白無垢は「生まれ変わり」の象徴なのだから…。
(追記:私も白のタキシードでしたが、男女ともに生まれ変わるということです)
*なぜ、母親がそうなってしまったのか、については次項。
【心理学】についての検索結果をリンク集にして…
心理学 に関する検索結果をマッシュアップして1ページにまとめておきます… ...