「秋葉原通り魔 弟の告白」(後編)-2.背後に潜む愛情飢餓連鎖
何が母親をここまで駆り立てたのだろうか?
★祖母に認めてもらいたい母親が子を道具にする--------------------------
実は、この事件の家庭と同じように長男にエネルギーを注いだ挙げ句長男が不登校となり、次に次男に向かって次男も不登校になっていったという事例は多々ある。そこまで子を追い詰めた母親の中にあったのは、自分の母親(祖母)から愛されたい、認められたいという強烈な餓えであった。自分がよい家庭、世間に認められる子供を作ることで親に認められようとする無意識の願望であった。
たとえば、愛薄き親の下に複数の子供が生まれたとしよう(“愛薄き”とは、子どもの気持ちを受け止めることができない様々な状況を言う。だから、当人たちは“愛薄き”などと思っていないことの方が多い)。
子どもたちは、親から自分を認めてもらおうと、それぞれ異なる方法論をとる。頑張り屋、悪戯っ子、病弱、トラブルメーカー、受け皿、手足…実に様々なパターンがある。
恐らくこの母親は、自分が果たせなかった親(祖母)の期待を子に託し、子をセイコー→北大と進学させることで、「お母さん、私はご期待に添えず申し訳なかったけど、孫たちを見事に期待通りに仕上げたわよ。だから、“私を”褒めて!」と、母親(祖母)に褒めてもらいたかったのではないだろうか。
このように自分が自分の親から認めてもらいたいために、無意識のうちに夫選びから子育てまで親の期待に添うように生きている大人は、実はとても多い。そして、このことはカウンセリングなどで気づくまで、本人さえそうとは知らずに、全ての行為を自分で選択したと思って生きていることも多い。
★結果を生まない“手”は切り捨てる------------------------------------
母親の多くは、わが子の苦しみを知ったときに、「母の子」から「子の母」に変わる決意をし、子を救うために時に自分の親を切り捨てる。
が、愛情飢餓の深い母親の場合、とことんわが子を犠牲にする場合がある。そういう人は、自分自身が親に認めてもらうための道具である。つまり、自分が自分(の感情)を殺して生きている。だから、子を道具にすることも当たり前だし、子供の苦しみにも気づかない。
言い換えれば、愛情に飢えた「子ども」は、わが子を犠牲にしてまでも、「親」の愛情を欲することがあるのだ。 「愛は盲目」というが、ここまでくると「業」となる。業になってしまうと目的達成以外は見えなくなる。目的を達成することが母の愛を勝ち得ること。それ以外の結果を受け入れることはできない。愛を得られぬ結果は結果ではないのだ。
だから、結果を出せない子は切り捨てる。
子を切り捨てるのではない。
その結果を見たくはないから、「子どもごと、その結果を切り捨てる」のである。ここに、加藤容疑者の孤独と絶望の真実がある。彼は、手段でしかなかったのだ。
★どの人も自分の創った人生脚本を歩いている----------------------------
そして、母親は残る子どもに全力で向かう。
が、その子までもが挫折したとき…この母親はパニックに陥っただろう。
これで、自分は母親からの愛を永遠に手に入れられなくなってしまう!!
…そして、実家に戻る。
たとえば夫の飲酒やギャンブルに耐えに耐えた挙げ句、ひどい暴力を振るわれて実家に帰り…。子供たちが非行に走って実家に帰り…。という苦難の人生を歩いているとしよう(苦難の人生を歩いていらっしゃる方は多々いらっしゃいます)。
その背景には、同じように苦難を背負って生きているお母さんや、「我慢しなさい」というお母さんがいたりする。そういう親の子どもは「我慢した姿を見せなければ親は認めてくれない」という人生脚本を作ってしまうのだ。
そのために、自分が我慢をしなければならないような相手をまず選ぶ。その後も、分かれ道に来る都度、より苦労をするような道を無意識に選択していくのである。だから、意識上では「なぜこんなに苦労しなければならないのか」と不可解でも、実は親から認めてもらうために不幸の人生を歩いていたのである。信じられないかもしれないが、どの人も皆、自分が無意識に創った人生脚本のストーリー上を忠実に歩いているのである。
★人は受け止めてもらって初めて自分の姿に気づく------------------------
推測だが、実家では「私はこんなに頑張ったのに…」とアピールしただろう。
そして、この母親の場合、案に相違して受け止めてもらったのだろう。
なぜそう思うかと言えば、この母親が弟に謝罪しているからである。
自分が親に受け止めてもらって初めて人は、子を受け止めることができる。
この母親は実家で親に受け止めてもらったのではないか。
そこで、「心のコップ」に張り詰めていた感情が流し出された。
そして、冷静になり、“憑きものが落ちた”のではないだろうか。
こうして、「心のコップ」に余裕ができて初めて人は「反省」することができる。
反省できたから、この母親は弟に謝ることができたのである。
しかし、ならば自分がしてきた仕打ちを思い知った今、兄を抱きしめにいってほしかった。
★心を殺された人が殺人を犯す------------------------------------------
子は親の鏡である。
母親は祖母を求め、祖母の愛を得られないと思ったとき、兄を切り捨てた。
兄は母親を求め、母親の愛を得られないと思ったとき、人生を切り捨てた。
ここに愛情飢餓の世代間連鎖がある。
そして、人は自分が精神的にされたことを物理的に吐き出す。
自分の中に溜め込みっぱなしではバランスがとれないからだ。
母親は、憑きものが落ちて正気に戻った時に理解したはずである。
自分が子どもたちを殺してきたことを。
だからこそ、兄を怖がったのだ。
しかし、怖がっている間は、まだ「子の母」ではない。
インタビューでくずおれたのを見たとき、操り人形の糸が切れたのを見た思いがした。
あのとき、ようやく“人間”に戻れたのかもしれない。
『母は大声で泣きながら、「ごめんね。ごめんね」と、その言葉だけを何度も繰り返すだけです』
弟が語るこの母親の姿は心を取り戻した人間の姿である…。
★すべての子の望みは、「ただ、家族で笑いあいたいだけ」----------------
「あんとき、ぶっ殺しておきゃあよかった!」
怒気を含んだ凄みのある声で、そう吐き出すように言った青年がいた。
しかし、長い長い慟哭の後、彼は、まだ泣きながらこう言った。
「親を本気で殺したい奴なんかいないっすよ」
そう…。以前も書いたが、憎しみの裏に愛情がある。
憎しみを吐き出し尽くして初めて愛情の境地に至れるのである。
彼の望みは、ほんのささやかなものだった。
「ただ、家族で笑いあいたかったんです」
最後に、彼は言った。
「先生、聴いてくれてありがとう」
誰もが、「生きたい」のである。
死にたい人間などいない。
押しつけを直ちにやめ、
聴く耳を持つだけで、
子は救われる。
★ただ、存在を抱きしめてほしい----------------------------------------
ここを読んで、もし気づかれた親がいたら言いたい。
まず、「常識」を疑ってほしい。
今の世の中はかなりおかしい。
次に、「世間」の防波堤となってほしい。
世間が一方的に正しいわけではない。
そして、気づいたらすぐに「我欲」を手放してほしい。
子どもを支配する必要がなくなり、あなた自身が自由になる。楽になる。
そして、
すぐに子どもの元へ飛んでいき、ただ抱きしめてあげてほしい。
わが子を守れるのは、あなたしかいない。
・祖母-母-娘の愛情飢餓の世代間連鎖を断つやり方
・第8部 愛情飢餓連鎖を断つために-1、なぜ相談しなかったのか?
・操り人形からの離脱
・ゼロトレランスでいじめは救われない
・「いじめ」って何?(1)-感情吐き出しのバケツリレー