あなたの子どもを加害者にしないために
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「秋葉原通り魔 弟の告白」(後編)より−AC(Adapted Child)を育てた中学校
2008年06月27日 (金) 18:35 | 編集
■AC(Adapted Child)を育てた中学校

4重、5重にあるセーフティネットが全て機能しないとき、大事故が起こる。
人を人間味豊かに育てる 家庭<地域<自然<社会(学校、会社等)<時代 などの環境がおかしくなるとき、事件が起きる。時代全体がおかしくなったときに起こるのが、戦争(殺し合い)だ。

難しく考える必要はない。
家庭でも会社でも、自分のいるフィールドで自分と周囲の人間関係を見てみればよい。
「人が人を受け止めている」のか、「人が人を使っている」のか。

人を道具として扱うことをディスカウントといい、人を道具として扱う人のことをハラッサーと呼ぶ。
ディスカウントされた人は、対人不信、自身喪失の中、怒りを溜め込んでいく。

生育歴を聴き、この人は立派なハラッサーになっておかしくなかったのに、なぜなっていない? と思う人がいる。そういう人は、何らかの「受け止められ体験」がある。
いつも同じ路端でひなたぼっこしていた見知らぬお祖母ちゃんが、うんうんと話を聴いてくれた3歳頃の思い出。犬小屋で一緒に寝た犬。一族郎党はおろか町全体がハラッサーの巣のような町で、唯一ホッとした古びた図書館。人でなくとも、自然でも動物でもいい。自分が受け止められているという体験がある。

ほんのわずかでも、あるいは一言でも、自分の存在が丸ごと受け止められた体験があれば、その人の中に自律の種が蒔かれる。それは自分の知らない間に芽を出し成長し、やがて共依存の世界から自律の世界に向かって踏み出すときが来る。

そういう存在が加藤智大容疑者の周りにあれば、このような結末は迎えなかっただろう。
その可能性の1つとして学校があった。例えば学校が、下記のような学校であればどうだっただろう。

先生を育てる社会





しかし、弟は言う。
『犯人と私が通っていた中学校も、また奇妙なところでした。そこの教員たちの教育はまるで軍隊のようでした』
『生徒の個性などというものは存在さえしませんでした』

どのような中学校だったのか。
そこは、授業開始のチャイムが鳴る前に全員が着席していることが義務づけられていて、弟を含む友人数名がそれに異を唱えた。すると『教師たちがその日ほぼ一日中、私たちを非難してきました』。
つまり、先生が生徒ときちんと話し合いを持っていないと言うことである。しかも、複数の教師が束になって、生徒の言い分も聞かずにただ“非難”しているということである。この教師たちは“大人”ではない。そして、教育で最も大事な「自律した大人の姿」のモデルとなり得ていない。


修学旅行でテーマパークを訪れた時に、そこではしゃいだ生徒がいた。
すると、そのことについて学年集会が開かれ(!)、『「子どものようにはしゃいでいた生徒がいた。けしからん!」と怒られました』。これだけでも驚きだが、生徒の方も、学級新聞に
『「私たちはなんと子どもっぽいことをしてしまったんだろう」といった、神妙な反省文を掲載しました』

唖然としてしまった。日勤教育と同じじゃん!
テーマパークに行ってはしゃがずに、一体何をするというのか? 
人はごく大ざっぱに言うと、「親心」「大人心」「子供心(童心)」の3つの自我を持っている。この自我を時に応じて自由に使えるからこそ多様な自己表現ができ、心の健康は保たれている。男であっても、時に赤ちゃん言葉もオネエ言葉もOKだ。

テーマパークは、そもそも童心に返るために作られた場所だ。作った目的は、思い切って発散して童心に返ること。それによって心の柔軟性を取り戻し、豊かな自分に戻ることだ。はしゃいだということは、そのテーマパークの目的に沿った行動をしたということ……と、わざわざ理屈をつけないと、この中学の先生たちは分からないだろうか。





交流分析で言えば、この中学は人を批判するCP(Critical Parent)の塊である。人を養育するNP(Nurturing Parent)の要素も、冷静に範を示すA(Adult)の要素もない。
CPは、子どもたちのFC(Free Child)を押さえ込み、抑圧されたAC(Adapted Child)を育てる。

ACの特徴は、感情の抑制・他人の期待に添う努力・規律・いい子・穏便・波風立てず・我慢・妥協・忍耐・主体性の欠如・依存的・自縄自縛・消極的・慎重・上目遣い・長いものに巻かれろ……そして、抑圧された怒り、である。

つまり、この中学校は、3年間を通じてACを育てているのである。このような学校で育った大人たちが作る社会とは、一体どのような社会になるのか、想像してみてほしい。

弟が違和感を感じた下記のやりとりは、上記のような背景を考えれば私もおぞましく感じる。
先生『何のためにテニスをやってるんだ!』 →生徒『勝つためです』
先生『やる気がないならやめろ!』 →生徒『やめません! やらせてください!』

会社に入っても、これを続けるのだろうか。そして会社も、「日勤教育」のようなことが当たり前になっていくのか。怖い社会である。

弟は言う。
『当時の私と犯人は、家でも学校でも厳しく管理されていたということです』
『家庭と同様に中学校でも、常に「他人からよく見られること」を徹底的に意識するような教育を、アレと私は受けてきたのです』





あなたは、そこが監獄だとしたら、そこに子どもを行かせるだろうか。下記の例を読んでほしい。ブラックホラーのような実話である。

ハラスメント・スクール



今や学校は監獄化しているところも多々ある。上記のような学校であれば、私は決してわが子を行かせようとは思わない。
学校を含む地域がおかしくなっている所もある。

社会が家族を追いつめている(不登校編)


さらに、行政が腐りきっていれば、どうすればいい。

いじめ自殺事件の背景にあるもの




経済経済と社畜になりはてて考える暇もなく働かされている内に、日本という社会はどんどんおかしな方向に突っ走り続けている。最も危ないのは東京都だ。その背景にあるのは、やはり政治である。

自縄自縛の教育行政




今の大人たちは、今こそ本気で一度立ち止まって、自分のやっていることを見つめ直さなければならないと思う。

子どもたちを救うために。


そして、取り返しがつかなくなる道へと踏み出す前に―



コメント
この記事へのコメント
参考になります
秋葉原の事件は誰にでも降りかかるだけにとても人事で片付けられない問題ですので真剣に読みました。
私は母親の子育ての問題がほぼ全てのような気がします。
学校については授業の前に着席して待てというのは当たり前の事だと思います。
またテーマパークではしゃいで学年集会した事も、はしゃいで何をしたのか分かりませんので、何ともいえないと思います。
学校の状況が詳しく分からないからはっきりした事は言えませんが、ここの情報を見る限り、特別問題のある学校には思えません。
その点が少し気になったので書かせてもらいました。
2008/07/07(月) 12:20 | URL | 瀬戸内四郎 #-[編集]
どうぞ、リンクフリーです
モラの洗礼を受けていらっしゃるだけあって、モラの気持ちが手に取るようにお分かりですね。貴ブログもハラッサー心理の理解にとてもよいと思います。身を挺しての訴えありがたいことだと思います。理解を広めていきましょう。
2008/07/05(土) 20:51 | URL | #-[編集]
リンクの許可を頂けますでしょうか。
はじめまして。「モラルハラスメントの記憶」というブログを書いておりますミヤと申します。
モラルハラッサーの父に育てられ、いつしか自分がモラになっている恐怖を書き、私という逆育児書を、モラハラ駆逐に生かしていただきたいと切望しています。
このたびおきました秋葉原通り魔事件に非常に衝撃を受け、記事をいくつも書かずに居られない状態です。
以前から貴ブログは拝見しておりましたが、今回貴ブログにおいて貴方様が書かれた記事は、私にとっても私のブログの読者にとっても貴重な記事だと思います。
ですのでもしよろしかったら引用をいただき、拙ブログからリンクをさせていただきたいのですが、よろしいでしょうか。
何卒宜しくお願いします(><
2008/07/05(土) 09:31 | URL | ミヤ #5wZuTTVM[編集]
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