誰だって失敗はあるんだよ。恥ずかしくないよ
昨日書いたように、全ての現象は心の表れだというのに。
調査官という心の側面の専門家を置いている理由は何?
それは、全ての問題の背景に心の問題があることを認識しているからだろう?
が、追い詰められた側に立った洞察は少ない。
心ない言葉で二次被害を負わせていてわからないことさえある。
心への洞察がなければ、
裁く判断などできないはずだ
形に乗っ取った判断で不幸が生み出されている場合もあるのだ
心ない政治が人々を不幸に陥れたように
心ない裁判が不幸を創り出している
夫に親権がわたった裁判
関わったときはもう結審した後だった
相手は変わりようのないハラッサー
なぜなら、まだ母親の胎内にいるから
結局、外面のいいハラッサー連合軍に
精神的に追い込まれていたその方は負けてしまった
しかし…
会えるときに、思いっきり抱きしめるといい
無条件に受け止めてもらった経験が、子どもたちの心に自律の種を蒔く
やがて芽を吹き樹に育つ
そして…
必ず迎え入れるときが来る。
裁判に関わる方、是非読んでほしい(許可を得て掲載させていただきました)。
一緒に暮らしているとき、
私は子どもたちのお気に入りのアニメなどを一緒に見ていて、
笑ったり、感動して泣いたり、一緒に歌を歌ったりしていました。
そのなかのエンディング・テーマ曲の中で「ALIVE」という歌があり、
「だれだって失敗はするんだ、恥ずかしいことじゃない。
その傷を無駄にしないで、笑って歩ければいい」
という歌詞がすきで、
よく子どもと一緒に歌っていました。
日々、仕事を終え、急いで保育所に子どもを迎えに行き、
食事、入浴、明日の準備、寝かしつけ
気がつくと翌朝
あわただしくほんとに目の回る日常でした。
ある日も、食事を終え、
長男とまだ幼い次男をお風呂に入れ、
湯冷めしないようにあわてて外にでて、
気がつくと私は、
次男の紙のパンツ(オムツ)をはこうとしていました。
私は、そそっかしく抜けていることも多いのですが、
ああ、かなり疲れてるな・・・
とがっくり肩を落としていました。
すると、
パジャマを着ていた長男が私のところに来て、
肩に手を置き
「ママ、大丈夫だよ。誰だって、失敗はあるんだよ。恥ずかしくないよ」
と必死になぐさめてくれました。
よく、
このことを思い出します。
そして、
私の中で、
自分の「宝」としてしっかりと胸に刻まれています。
本当に子どもたちは、私の応援団でした。
いまでも、子どもの
「ママ、大丈夫だよ。誰だって、失敗はあるんだよ。恥ずかしくないよ」
と言っている声が聞こえます。
そして、今度は自信を持って、私が子どもたちに
「大丈夫だよ」
と言ってあげられるようになりたいと思います。
誰だって失敗はするんだ 恥ずかしいことじゃない
この傷を無駄にしないで 笑って歩ければいい
たくさんの後悔をまとって 味のある人になるさ
悲しみも風に変えて 強く進んでいければいい
雷鼓(RAICO)「ALIVE」 歌詞
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