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子にすがりつく親

2008/07/14(Mon) Category : 親の諸相
子どもの支配は、なにも強権発動するだけではない。

いつも嘆いたり、弱々しかったり、問題を起こしたり、病弱だったり…

それもまた、支配である。


まるで、払っても払っても取り憑いてくる

生き霊のように


子を生かすことではなく、子に頼ることしか考えていない親

子を自律させるどころか、子を胎内から出さそうとしない親


子は子であり得ず、

親の親の役割をせざるを得ないままに体は大人になる。




“子ども”を経験しない子は、

“子ども”を経験するまで大人になれない。




また、親の受け皿(道具)となって生きているため

自分を大事にする生き方に気づくまでハラッサーに逢い続ける




吐き出せず破裂しそうな感情を抱えて不安定になり、

大人になれない卑屈さを抱え、

逃れたい自分と愛されたい自分の激しい葛藤の中で、

子供を彷徨い続ける……








逃げることなどできない

あなたはどこまでも追ってくるって

泣きたいくらいにわかるから


鬼束ちひろ 「眩暈」 歌詞





でもね…


私は逃がすよ。







エンプティチェアで見えた脳内母親の正体

「大人になれない大人」の構造




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あいつに全部言った。本も一緒に人生で初めて自分の魂の声を手紙にのせて書いた。

手紙を送ったとき、自分が成長するまで何年掛かっても、こっちからかかわって行くのを待つことができたなら、もう一度その時手紙でも送ろうと考えていた。

あいつに与えたチャンスは1回。

でもあいつは半年後何も無かったように関わってきた。

もうこの世で会うことはないです。

 

連鎖を断ちたいですよね

おるぶる様

 良いパートナーに巡り会えて良かったですね!さらには共依存にならないように自重されていたりと今もご自分と戦っておられるのですね。私も、娘たちに負の連鎖がいかぬようこれからも努力していきます。

 私の夫もやはり気の毒な人でした。父親が起こした問題で当時中学生だった夫は苦労したようです。母親も、「あたしはお父さんのせいでずいぶん泣いたけどあの子には苦労かけちゃいない」とこれまた子供の気持ちがわからない人。自分だけが苦労していると思い込んでる。夫は父親も母親もそして自分以外の誰も信じない人間になりました。私はせめて夫婦だけでも愛し合ってあたたかい家庭を作りたいと思って努力したのですがムダでした。夫が親から得られなかったものは妻の私でも与えることはできませんでした。

 私が夫と暮らしているときは気づかなかったのですが、夫から遠くに逃げ「離婚してます!」とカミングアウトしている現在、周囲に離婚しました・離婚したい女性がとても多いことに驚いています。こっそり相談しにこられる方もあります。と言ってもお話を聞いてあげるくらいしかできないのですが。

 彼女たちの話を聞いていると、夫に問題あり、の場合多くの確率で我が夫と同じでその親との関係に問題あり、です。
 ある友人の夫は社会的にかなり成功している人だったのに幼い頃から兄(こちらも成功している)に対するコンプレックスが強く、おじさんになってもなお、なんとか母に兄よりも高く評価してもらいたいと願っていました。結婚するまではある程度妻や女性の権利を認めていたのですが、夫の母は「嫁は従えさせるもの」という封建的な考えのため結婚後は母のいいなりでことごとく妻を支配しひどく暴力もふるいました。(この母のさらにひどいところは、嫁に出した娘は大事にしてもらいたいと考えているところ)

 また別の友人の夫の場合、母親が家の中で権力を握り(夫の父親は婿養子)すべてに采配をふるった。長男で子供の頃からアタマだけは良かった夫は母親に蝶よ花よと甘やかして育てられ、長じてそれなりに社会的地位を得たのに家の中では自分のことはなにもできない、思い通りにならないと喚く、時に暴力、時に泣く(!)といった具合で友人いわく「中味は3歳児」のままです。
逃げていいんですよ、で述べた自ら命を絶ったというのはこの3歳児おじさんの子供です。このおじさんはこんなことになっても「可哀そうなのは子供に死なれたボク」なのです。いささか過激な言い方になりますが、この男は死んでも変わることができないと思います。

 子供は子供の人生を歩めたらいいのに・・・といつも思います。私の夫は父親を嫌い続け「絶対父親のようにはならない」と言ってましたが、家族を苦しめた父親のアルコール依存症、気がつけば夫も同じことになっていました。父親のようにはならない、という点にこだわり過ぎたのかもしれません。おるぶる様も少し忘れたほうがいいかもしれません。避けようとすればするほど引き寄せられる、とういうことがよくあります。

話は変わって・・・
ここからは管理人様にお尋ねしたいのです。とある少女の成育過程についてです。

 仮にM子としましょう。小学2年生。両親と3歳下の妹の4人暮らし。母親は専業主婦だった時もあったが家の中で子育てだけをしているのに耐えきれず(彼女の表現を借りれば、おかしくなりそう)M子を保育園に入れ働き始めた。家事育児よりも仕事に生きがいを持っている。夫とは激しいケンカが絶えない。M子はしっかりしている(ように見える。実は情緒不安定。)ため母親にはあまりかまってもらえないが、母親のことは大好きで周囲にはよく自慢している。母親から妹の面倒を見るように言われているのでそれを守っているがときどきいじめている。近所に住むN子とは保育園からの友達で小学校に入ってからも同じクラスでいつもいっしょに行動している。M子は積極的な性格で友達を作るが、N子が他の子と仲良くしていると嫉妬してウソで引き裂こうとする。具体的には、A子というクラスメイトが加わって『一旦仲良し3人組』になったかのようだったが、A子のいないところでN子に「A子があなたの悪口を言っていた」と言い、A子にはその逆を言う。

 このA子というのが私の次女です。小学校に入学してM子たちと遊ぶようになり、当初は私はM子のことをはきはきしているし行動的だしA子とまるで違うタイプでいいお友達ができたと考えていました。A子はやや人見知りするタイプです。我が家で遊ぶことはあまりなくていつもM子の提案でM子の家で遊んでいました。母親は仕事なので子供たちだけです。A子は帰宅すると私に「お母さん、M子ちゃんすごいんだよ!おやつにカップラーメン作ってくれた。あとね、○○も△△もできるんだよ!」などとその日の出来事を話してくれていました。「ガスの火もまだつけられないA子に較べなんと自立したM子ちゃん。少し見習ったほうがいいかな」なんて考えていたのですが・・・ある日帰宅すると目に涙を浮かべて「いつもM子ちゃんN子ちゃんと3人で学校から帰るんだけど、私が途中で家の方に曲がってバイバイすると2人で私の悪口を言ってる。」と言いました。普段からいささか友達の言うことを気にし過ぎるA子のことです。「仲良しなのにそんなことはないわよ」とその場は笑って答えたのですが、しばらくしてそれが杞憂でないことがわかりました。数日後A子がいない時にM子から電話があり、「今いないの。何か伝えておきましょうか?」と言うと「あのね、大事なこと教えてあげようと思って・・・N子ちゃんがA子のこと嫌いだって言ってたの。」という内容でした。「そう、でもそれをA子に言うと悲しむと思うから言わないほうがいいと思うな。」と答えて電話を切った後、「これはどう解釈したらいいのだろう?」と悩みました。A子には電話があったことを伝えていません。M子の母親とは面識がなく、保護者会で顔を合わせたことのあるN子の母に思い切って電話しました。そしてわかったことが上記のようなことだったのです。N子の母は大変思慮深い方で、N子が振り回されていても「子供同士のことであるしM子も可哀そうで」と考えて他の人に言ったことがなかったのです。N子が幼いときから誰かと仲良くしていると必ずM子の邪魔が入ったそうです。N母と「どう解決したものか」という相談になり、「思い切ってM母にお宅のお子さんこんなこと繰り返してますよって事実を言おうか?」と言う私(我が子の受けた悲しみでその時アタマに血がのぼっていたので)をN母は制止して「私が話してみる」と言いました。後日聞いた内容によると、「M子ちゃんはお母さんのこととても好きで誇りに思っています。でもあまりかまってもらえないようで淋しいのだと思います。まだまだ甘えたい年頃だし、お忙しいでしょうが話を聞いてあげてください。」M母は目にうっすら涙を浮かべて聞いていたそうです。

 N母を尊敬しました。なかなかそうは言えないものです。しかしM子にはその後も変化は見られませんでした。N母は我が子に「他のお友達とも付き合ったら」と言いましたがききません。私も次女に「Mちゃんはこういうことをする子だから信用しないほうがいい」と伝えたのですが、人を疑うことを知らない次女、「わかった」と言いながらM子にちょっと優しい言葉をかけられると(とても小2とは思えないほど口が巧い!)M子に乗せられてしまいそして裏切られまたまた泣くハメになりました。

 当時住んでいたところは住民の流動があまりなく、子供たちは大人になるまで同級生といっしょに育っていくのだから、という気持ちで私は子供のお友達もできるだけその親とお付き合いをしてみんな仲良くしてほしいと思っていたのですが、Mちゃんはどう扱っていいかわかりませんでした。電話事件の後、N母も私もM子には我が子と同じように優しく接していたつもりですがそれはなんの役にも立ちませんでした。M子が優しくして欲しいのは自分の母親だったのです。友達の母親からいくら優しくされてもそんな優しい母親を持つ友達がねたましいだけだったようです。N母とも「どうしたらこんな子に育つのだろう。どうしたらこの子を救えるのだろう。」と嘆き合いました。結局私たちは我が子を守るためにM子を遠ざけることしかできません。次女は小2の終わりまでM子を信じては裏切られを繰り返し小3でクラス替えになりやっと離れることができました。小5で再び同じクラスになり同じようなことがありましたが以前ほど振り回されることもなく(次女もさすがに学習したようです)、クラスの女子みんなに同じことをしてみんなから嫌われるようになりました。

ある時、M子は地元の中学には進まない、という噂が流れました(一瞬ワタシは喜んだのですが・・・)。噂の出どころはM子自身でした。「両親が近いうちに離婚する。お父さんが妹を引き取る。M子はお母さんについて出ていく。」という具体的な内容がくっついていました。全くそんな事実はなくM子の作り話です。おそらく夫婦喧嘩は激しくなり、M子の虚言癖もエスカレートしていったと思われます。

 N母はM子と縁を切るためにN子を遠くの私立中学に入れることにしました。次女はM子と同じ中学に進みましたがクラスは別れその後私たち母子は遠くに引越しましたのでM子がどうなったのかは知りません。元気でいれば19歳です。

 学校の担任の先生に相談したことはありません。家庭の複雑な背景があり、私やN母が偶然に知ってしまったことを担任の先生に言うわけにもいかず、かといってそれを言わなければM子の行動を理解できないだろうと思ったからです。M子の親にも最後まで言えませんでした。「お宅のお子さん外でこんなこと喋ってますよ」、なんてとても。

 教師でもない第三者がなにかM子を救う方法はなかったのでしょうか。
 M子と母親の関係が変わっていなければどのような大人になっていく可能性があるのでしょうか。

 

私のコメントをお読み戴き、励ましをありがとうございます。

リリオム様

読ませて戴いて…いろいろな事を感じました。「逃げて良し!」とおっしゃって戴いて、嬉しかったです。

実は私も…両親の苦しさは分かっているんです。中尾先生もよくお書きになっているように、こういう事は親子間の連鎖ですよね、本当に。だから、私の両親もその親達との間に色々あったと…実際そうだったという事実も、私自身も知っています。

それもあって、私も長年、母には父との離婚を勧めました。この結婚を解消した方が二人のためになると思ったからです。そして私も緊張の続く重い日常から開放されたかったのです。でも、両親はそれに踏み切れなかった。結果、全てが置き去りにされました。ですから、リリオム様の離婚の決断、実行はとても素晴らしい事ですね。きっと非常に御苦労も多く、それは大変な事だったと思いますが、膠着した所に居続ける事は…悲しみ苦しみを大きくするだけだと私も思います。

私の問題は…「そういう両親との間に、健全な境界線を持てなかった事」だと思います。だから、「両親は可哀想だったけれど、離婚した方が良かったけれど…それは私が責任をとる事ではなく、両親の問題なのだ」という所から、私の再生は始まりました。リリオム様のおっしゃるように、母が(父が)どういう人生を送るのかは母の(父の)問題なんですよね。

そこの所を自分で受け入れようと思って、私は死にもの狂いで両親から逃げました。少しづつ親との境界を現実的に自分に認められるようになって、、私の無力感と自罰感は減って行きました。自分のために行動する自分を感じて、私自身も自分の事をハッキリ愛せるようになって行ったのだと思います。

そして今、実は私は既婚者です。私が先の書き込みをしたり、今ここでこんな風に書く事ができているのも、夫という信頼できる人を得て初めて、根本的に自分と向き合う事が出来たからだと思います。静かな場所で、ずっと押し込めていた怒濤のような激しい感情を受け入れ、ようやっと立ち直って来たようなのです。

(でも、私のような経験の持ち主はくれぐれも「共依存」に気をつけなくてはなりません。夫に親を求めるのではなく、パートナーとして「双方向の依存」を心がけています。過ちを繰り返さないよう、自分を癒しながら、そういう生き方をしていけるようにチャレンジ中です。)

正直言うと、今もやっぱり全ての嫌悪感や自罰感がなくなった訳では無く、両親を許せない気持ちも残っています。でも同時に、両親は私にとって凄い反面教師で、生きて行く事の根幹に関わる様々な事を嵐のように見せてくれたとも思います。それは今の私の礎になっているとさえ言えます。そして、泥沼のような過去に自分が費やした長い時間を思えば、揺らぐ事もある自分を許してやって、疲弊した自分のために、もうちょっと時間をかけてやりたいとも思えます。私の逃走はそういう訳でまだ続く予定です(笑)。

大きな嵐を乗り越えられた先輩、リリオム様も充実した毎日を送られます事を…。「やはりあの頃は違っていた」と今は言える事を私も大切にしたいと思います。ありがとうございました。

 

逃げていいんですよ。

おるぶる様へ 

 「苦しいことから逃げてちゃ一人前じゃない」とか、「どんな親でも生んで育ててくれたのだから大切にしなければ」とか、そういった意見をお持ちの方もいらっしゃいますが私はそうは思いませんよ。

 人はそれぞれいろんな荷物を背負って生きていますが、背負えるだけのものでいいのです。その大きさは人によって違います。沢山背負える人はいいけどそうでない人もいます。どうしても苦しければ捨てて逃げていいんですよ。まずは自分が生きていくことが大切です。

 お母様のことはお気の毒です。私の夫も『人に愛されたいが人を愛せない』人間です。「私が変われば夫も変わってくれる」そう信じて報われない努力を続け、気がつけば暴力・借金・支配・酒・女性問題・・・ともうどうしようもない現実しか残っていませんでした。中学生の子供2人を連れて家を出てその後離婚が成立しました。

 夫は外面がよく、そんな問題があるようには見られませんでしたし、私はあまり自分の悩みを人に話せる性質ではなかったので周囲の人は驚いたようです。夫の親戚にはそれとなく相談したことはあるのですが、夫や子供のことを考えると話せる内容には限度があります。「妻が変われば夫も変わる」とか「離婚なんてとんでもない。まともな人間は離婚なんかしない。」などと言われました。結構私も世間体を気にしていたのだと思います。

 夫は私の外出を制限し、友人を持つことも実家の親兄弟と電話で話すことも制限し、自分の考えを持つことも許さず、好きな音楽を聞くことも本を読むことも制限しました。夫婦で仕事していたので常に監視付きのようなものでした。でも夫がお酒を飲みに出かけている晩などに本を読みました。あれでずいぶん救われたと思います。世の中にはいろんな生き方をしている人がいるのだと思いました。世間からなんと言われても自分の生き方を貫いた人はイキイキしててすばらしいと思いました。
 反対に、自分たちの身の回りにいる人たちで悪口や愚痴ばっかり言ってる人もいる。そういう人たちって結構上手に世渡りしてたりするけど私はうらやましいとは思いません。

 ずっと「子供のために我慢する」と自分に言い訳しながらホントは夫と別れて生活していく勇気がなかったのだと思います。
 私の実家の両親は50年夫婦として父が亡くなるまで連れ添いました。父は比較的いい父親いい夫だったと思いますが、結婚した当初は父の親戚が大勢いる家に入って母は大変だったと思います。私が結婚してから夫の真の姿に気づきさらに彼はどんどんすさんでいくのですが、ずっと「母がガマンしたのだから私もガマンしなければ」という思いがありました。しかし、幼かった子供たち(娘2人です)がだんだん成長してくると「娘が将来結婚してその夫から同じような目に逢わされたらガマンしなさいと言うだろうか」と自問した答えは「別れてすぐに帰ってきなさいと言う」です。そう答えを見つけたとき離婚を決めました。
 お母さんはあなたたちのためにガマンしたけどあなたちは幸せになってね、ガマンしなくていいのよ、というのは筋が通らないと思いました。子供に対する一番の教育は、子供にそうなってほしいように親が生きることだと思います。子供のためにいろんなことガマンしてそれで親も子も幸せなら言うことありませんけど。

 結局私も夫から逃げたのです。子供のことを考えて夫の周囲には真実を告げぬままだったので夫や姑によって事実は歪められるのを覚悟していたのですが、ありがたいことに私を良く知る人は「よほどのことがあったのだろう」と推察したと後に知人から聞きました。

 切っても切れぬ血のつながりが時に子供を苦しめます。
我が家の場合には離婚が成立した後は子供が父親に会うのは自由にさせています。遠いので年に1~2度ですが。夫は一緒に暮らしている者には支配的ですが一定の距離を保てばさほど悪い親ではありません。私は2度と顔も見たくないのですが、憎んでいるかというとそうでもありません。すべて過去のことです。ただ、できれば離婚しても子供にとってはいい父親であってほしいと願っています。家庭の中で何が起こっていたのか子供が知っているのは一部だけです。全てを知らせるつもりはありませんし、父親の悪口は子供たちの前では言わないようにしてます。子供たちは積極的に父親に会いたいというわけではなく「お父さんが旅費出してくれるって・・・じゃ行ってもいいかな・・・」ぐらいの気軽な気持ちです。

 子供たちが中高生の頃は思春期ということで私ににはオニのような口しかきかないのにたまに会う父親には優しく接していたようで「なんだか割りに合わないなあ」と思いました。思春期の時は私はちょっとつらかったです。でも振り返ってみると子供たちは幼い時からずっと手がかからなくていい子でした。夫と暮らしている時は反抗期が一度もなかった。私はそのことがかえって心配でした。それが母子3人暮らしになったとたんブワーっと私に向かってくる。支配的な父親にも逆らえないし父親のことで苦労してる母親にもこれまた可哀そうで逆らえず反抗期どころではなかったのでしょうね。夫と暮らしていた頃の私は子供にとって「可哀そう」な存在だったみたいで。そういえば、外出した私の帰宅が遅い時は「お母さんはこのまま帰って来ないのじゃないか」と心配してました。幼い時ならわかるのですが小学校の高学年でも。家庭では明るくしてたつもりですがそんな心配をかけたというのは申し訳ない限りです。

 子供たちももうじき成人します。まだ2人とも学生ですし成長途上でこれからもいっぱい困難が待ち受けているでしょうが、中学生以降の周囲の人に恵まれ、また生まれつき強い運を握っていたのだと思います。私のような子育て手抜きママを持った割にはフツーに育ってくれてます。
 
 私よりももっと明るくガマン強く下の子の将来に見通しがつくまで夫との同居を続けた友人がいます。
2人の子供はともに優秀だったのですが、いずれも大学生のうちに1人は鬱病で引きこもりになりもう1人は自ら命を絶ちました。ここの父親があまりにひどい人で、裁判で離婚が成立した後も父親に会うのを拒む子供たちに度々介入してきました。父親は家族の心配などまるでしない人で自己中心的。自分が子供に大切にされて老後の世話をしてもらうことしか考えていないのです。頭のいい子供たちで大学まではなんとかやってこれたがこれから社会人になるという時になりたい大人のモデルがなくて希望が見出せなかったのではないかと思います。亡くなった子は母親宛の遺書に「大学に合格した時から死ぬことを考えていた。今度生まれて来る時はもう少しマシな父親のもとに生まれたかった」とありました。
 友人(亡くなった子の母親)の悲しみは深く、自分を責め続けています。「子供の父親になる人はもっと選ぶべきだった。あの人は父親になってはいけない人だった。」(友人はお見合い結婚)と後悔していました。その言葉は子供たちの父親であることを否定するようなものですが、子供たちのほうも「あの人は自分の父親なんかではない」と割り切ることができればこんなに苦しまずにすんだのでは、と私は感じました。父親を否定できない優しさや世間一般の既成概念が子供たちをここまで追い込んでしまったのだとすると親の存在っていったいなんなのだろうと思います。

 自分の親を受け入れられる人はそうしていいですが、そうできない人もいて当たり前です。非難する人がいても自分の好きなようにしたらいいです。親を殺めたり自ら死を選ぶよりずっといい。あなたの人生です。自分で自分を責める必要はありません。お母様から逃げることでこの先お母様の身の上になにかが起こったとしてもそれはあなたの責任ではないです。

 親のために私は人生を変えられた、と思っているとあなたは幸せになれないし誰かを愛することもできなくなります。自分を好きにならないと他の人を愛することもできないですよ。どうか幸せを見つけてください。

 

今でもやはり苦しいです

>自分を大事にする生き方に気づくまでハラッサーに逢い続ける

本当にそうですね。これって誰のせいでしょう。私のせい、私が選択したこと!?

そういう生き方しか学べなかった出自や大勢のハラッサーに、今だに憎しみと恨みに囚われてとても苦しいです。

 

私も逃げました!

私の母も「子供のために頑張る親」であり、「子にすがる親」でした。
何故なら、父は人から愛されたい、しかし人を愛せない人で、常に精神的に家庭には父が不在だったからです。
「強い者が弱い者を救わなくてはならない」という正論で、母は私を支配し罰しながら、全面的に私に頼っていました。幼い時から私の家庭では、「弱者とは母」なので、必然的に「私は(たとえ子供でも)強者」とされてしまうのです。結果的に私が両親を包容しなければならない、両親の「親」でした。

そんな自分の問題に気付いて以降、最も苦しかった事は、中尾先生のおっしゃるように、「まさに、逃れたい自分と愛されたい自分の激しい葛藤」です。ホントに「払っても払っても取り憑く生霊(←余りピッタリな表現なので、ちょっと笑ってしまいました)に拒否反応を覚えながら」も、「可哀想な両親を救えない自分を自罰してしまう」のです。本当に苦しかった。いや、今でも時々重苦しさがフラッシュバックします。

それでも、悩んでもがきながら、両親と時間的空間的距離をとって3年くらいになります。少しづつ冷静になって自分を肯定できるようになりました。少しラクになって…空が青く広くなったように感じます…。


追伸/鬼束ちひろ…彼女もまた色々な葛藤を知っている人のような気がします。私も一番苦しかった頃、彼女のCDを本当によく聴きました。彼女が少しでも健やかな気持ちで歌えます事を……。

 
    
 
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