私が「あなたの子どもを加害者にしないために」を書いた時の危機感
2008/07/29(Tue) Category : 私の姿勢
【私の姿勢5-私が「あなたの子どもを加害者にしないために」を書いた時の危機感】
実は、私が「あなたの子どもを加害者にしないために」を書いたのも強烈な危機感があったからだ。以下は、当時のメールの抜粋である。
『どうも父親が自らAを“矯正”するために、Aの出所をてぐすね引いて待ち構えていた気がして、そこがいかにも不気味なのです。親は無意識のうちにAを追いつめるという同じ過ちをまたも繰り返してしまうことになるのです。
そして何らかの事件が起こったときに、親は努力したと言うでしょうし、世間はA及びAを矯正したチームを責めるでしょう。また、早期に解放したことが2次被害を生んだとして隔離政策が進められるでしょう。あるいは、一度こういう事件を起こしてしまうと決して元には戻らないのだという“誤った信念”が国中に植えつけられることになります。間違った方向に進んでしまうのです。
ですから、絶対にAに犯罪を起こさせてはならないのです。
そのために必要な事は、親が押し付けの姿勢ではなく遠くから見守る姿勢に変わること。そして、そうなるためには、自分たちとAの関係がどうだったのかを再認識する必要があります。
私は、この本の原点となるものをサイトに掲載しました(現在削除しています)が、その時は、少年Aの両親に宛ててのメッセージとして書きました。その原点に帰るべきと思いました。悠長にしていられる問題ではないという思いです。
①Aの両親に気づきをもたらすこと (→最終目的:Aの再犯の防止)
②Aの家族の住む地域に気づきをもたらすこと (→最終目的:地域で反対運動があったようだが、地域が家族をサポートする必要があることへ気づきをもたらすこと)
Aの家族の責任を明確化すると同時に、家族を孤立化させることの(社会的)責任も明確にしなければなりません。家族の暴走を止めるのが地域であることが分れば、地域はAの家族を隔離するのではなく積極的に関わっていこうとするでしょう。そして、それらの動きがAの再犯への動きを阻止することになります。
この本は、Aの再犯防止を最大の目的。同時に、全ての家族への警鐘及び地域社会再構築の必要性の根拠として位置づけたいと思っております』
かなり気負いも感じられるが、これが当時の本音だった。
家族のことを書くことへのリスクをヒシヒシと感じながらだったが、それよりも、Aが再犯したら一体日本社会はどうなる!-その危機感が凌駕した。
繰り返すが、A自身の問題というよりも、Aを追い詰めた両親が変わっていないことに危機を感じたのだ。そして、この構図は、犯罪を犯した親のインタビューを見るにつけ、全く変わっていないように思う。
事件について取り上げるのは、同じような状況にある家族はとても多いので、そのような家族は関心を持ってみるだろう。それらのご家族に気づいてもらうよすがとして取り上げているのである。
限られた情報の中でわざわざ事件を取り上げるのは、その事件の真相を究明するためではないことがお分かりだろう(家族カウンセリングではじっくりとお話を伺いますので、気づきに導きますが…)。 新たな事件を予防するためなのだ。
尚、前項で見た世代間連鎖(時系列的観点)と
ここで書いた地域が家族を支え人を育てるという観点(空間的構造的観点)。
この2つの観点を合わせてシステムズアプローチという。
時間と空間の両方から集団を見る見方だ。
全てのものの見方の基盤として、身につけてほしいと思っている。
実は、私が「あなたの子どもを加害者にしないために」を書いたのも強烈な危機感があったからだ。以下は、当時のメールの抜粋である。
『どうも父親が自らAを“矯正”するために、Aの出所をてぐすね引いて待ち構えていた気がして、そこがいかにも不気味なのです。親は無意識のうちにAを追いつめるという同じ過ちをまたも繰り返してしまうことになるのです。
そして何らかの事件が起こったときに、親は努力したと言うでしょうし、世間はA及びAを矯正したチームを責めるでしょう。また、早期に解放したことが2次被害を生んだとして隔離政策が進められるでしょう。あるいは、一度こういう事件を起こしてしまうと決して元には戻らないのだという“誤った信念”が国中に植えつけられることになります。間違った方向に進んでしまうのです。
ですから、絶対にAに犯罪を起こさせてはならないのです。
そのために必要な事は、親が押し付けの姿勢ではなく遠くから見守る姿勢に変わること。そして、そうなるためには、自分たちとAの関係がどうだったのかを再認識する必要があります。
私は、この本の原点となるものをサイトに掲載しました(現在削除しています)が、その時は、少年Aの両親に宛ててのメッセージとして書きました。その原点に帰るべきと思いました。悠長にしていられる問題ではないという思いです。
①Aの両親に気づきをもたらすこと (→最終目的:Aの再犯の防止)
②Aの家族の住む地域に気づきをもたらすこと (→最終目的:地域で反対運動があったようだが、地域が家族をサポートする必要があることへ気づきをもたらすこと)
Aの家族の責任を明確化すると同時に、家族を孤立化させることの(社会的)責任も明確にしなければなりません。家族の暴走を止めるのが地域であることが分れば、地域はAの家族を隔離するのではなく積極的に関わっていこうとするでしょう。そして、それらの動きがAの再犯への動きを阻止することになります。
この本は、Aの再犯防止を最大の目的。同時に、全ての家族への警鐘及び地域社会再構築の必要性の根拠として位置づけたいと思っております』
かなり気負いも感じられるが、これが当時の本音だった。
家族のことを書くことへのリスクをヒシヒシと感じながらだったが、それよりも、Aが再犯したら一体日本社会はどうなる!-その危機感が凌駕した。
繰り返すが、A自身の問題というよりも、Aを追い詰めた両親が変わっていないことに危機を感じたのだ。そして、この構図は、犯罪を犯した親のインタビューを見るにつけ、全く変わっていないように思う。
事件について取り上げるのは、同じような状況にある家族はとても多いので、そのような家族は関心を持ってみるだろう。それらのご家族に気づいてもらうよすがとして取り上げているのである。
限られた情報の中でわざわざ事件を取り上げるのは、その事件の真相を究明するためではないことがお分かりだろう(家族カウンセリングではじっくりとお話を伺いますので、気づきに導きますが…)。 新たな事件を予防するためなのだ。
尚、前項で見た世代間連鎖(時系列的観点)と
ここで書いた地域が家族を支え人を育てるという観点(空間的構造的観点)。
この2つの観点を合わせてシステムズアプローチという。
時間と空間の両方から集団を見る見方だ。
全てのものの見方の基盤として、身につけてほしいと思っている。