初期対応の大切さ
学校などでは、事件が起きた直後にカウンセラーが派遣されるようになった。やはり初期対応はとても大切だと思う。ダメージを受けた自分が放置されているのではなく、誰かに見守られていると思えるだけでも心が強くなる。
事件が起きたときに、できる範囲でであるがすぐに対応しようとするのは、このカウンセリング的要素も強い。秋葉原事件の時など、私の相談者の方々も大きな大きなダメージを受けた。
大きく2つの気持ちが湧き起こる。
「わかる!」という気持ちと
「なんてことしてくれたんだ!」という気持ちだ。
心の傷付き方に大小はない。が、その身に受けた出来事から言えば加藤被告の体験をはるかに超える苛酷な体験をされてきた方々だ。その渦中にある人、それを乗り越えようとしている人、苦しみ抜いて一人で乗り越えて来られた人…どの立ち位置にいる人からも両方の反応がある。その全てが真実だ。
「心のコップ」が爆発しそうになっているとき、人は一瞬一瞬を爆発しそうな心を抑え込むために闘っている。終わりがなく、疲れ果て、くずおれそうになる孤独な闘いである。
この闘いをやめて、いっそ楽になりたい……その思いともまた、闘っている。
爆発を抑えるための闘いと、その闘いをやめたくなる思いとの闘い―が…やめてしまえば、そこに未来はない。
やめれば楽になるのだが、そこには破滅しかない。
が、破滅に向かわないために生きている1秒1秒が地獄なのだ。
これを生き地獄と言わずしてなんと言おう。
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相手が自分と同じような感情を持っていたとき、自分の内部にある感情がそれに共鳴してあふれ出しそうになる。これが心に余裕のある状態でそうなるのならば問題はないが、爆発しそうな「心のコップ」を抱えているとき、人は尋常ではいられなくなってくる。相手の感情に共鳴した自分の気持ちが、懸命に抑え込んでいるバリケードを破って爆発的に出てこようとするからだ。
自分自身との闘いだけでもヘトヘトでくずおれそうなのに、自分と似た感情の“援軍”が外からやってきたら、挟み撃ちにあった自分はひとたまりもない。なすすべもなく玉砕に向かうことだってあるだろう。だから、このような事件は平静を保っていられないくらいに動揺するのである。実際、それぞれの方の動揺は大きかった。
そして、そのような方々は心ない報道によって2次被害を受けることになる…。
マスコミは、模倣犯という言い方で犯罪の拡大を懸念しているが、そのようなことで犯罪が拡大するのではない。心があふれてしまうのだ。逆に言えば、それだけ一杯一杯の人が日本という国にはたくさんいるのである。
以前、週間東洋経済に『「家族を追い詰める国」日本』という記事を書かせていただいたが、まさしく国が国民を追い詰めている。全ての問題を家族カウンセリングに結びつけようとしているのではなく、既に日本の家族はなし崩し的に崩壊に向かっているのである。それが、家族という現場を歩いている私の実感なのだ。
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私が事件について取り上げるのは、前項に書いたように、同じような状況にあるご家族に気づいてもらうよすがとして取り上げていることが一つ。
そして、もう一つは、自分の相談者に向けてである。
そのいずれに対しても、ここに書いたように迅速性が要求される場合があるのだ。
また、時にコメントを求められるときもある。報道番組を見ていて、少ない情報の中からコメントを求められるコメンテーターを見てかわいそうになることもあるが、それは私も同じ立場だ。数多くの家族の現場を見てきている人間として、ノーコメントではすまされない場合があるのだ。
さらに、以前から予想していたとおり、日本人の心のコップはどの人も一杯になっている。今後、わずか一滴のことであふれかえる人が続出するだろう。
アメリカの追随は即刻やめることだ。でなければ、さらに加速していく。既に逐一取り上げる暇もないくらいに事件は連鎖的に発生している。異常だと思う。
現象は全て「気づけ」というサインである。
気づくまでサインは現れ続ける。しかも、だんだんと大きくなっていく。
だからこそ、気づいてもらうために書かなければならない。
それが、現場を知り、追い詰められた者の気持ちを知り、それを言葉にできる私の使命だと思っている。
それから……
どうか、そこにいるあなた。
自棄にならないでほしい。
地獄を生きているのはわかっている。
私は、それを見守る。
必ず、抜け出せるときが来るからだ。
苦しいけど
ここまで闘ってきた自分を信じてほしい。