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川口中3女生徒父親刺殺事件-「子宮」の家

2008/07/31(Thu) Category : 少年犯罪・家族事件簿
親から自分を受け止めてもらえないままに大人になった男女がいたとしよう。そういう人は、親が自分の安全基地ではないから、自分が安心できる「子宮」がほしい。


■男性の場合----------------------------------------------

男性の場合、仕事かマイホームにそれを求める。
子宮とは自分が中心でいられるところだから、そういう場を創って維持するには、他者を巻き込まなければならないため凄まじいエネルギーを必要とする。だから、仕事か家かどちらかに傾注することが多い。

仕事を子宮とする場合、事業を立ち上げたり職場を子宮にしたり…いずれにせよ自分が中心になるためには超人的努力をし、その地域や業界では一目置かれる存在になることも多い。あるいは、殆どの時間を仕事(職場)に費やす。質もしくは量で他を圧倒するのである。家は寝座としての子宮でよいので、造作に気を遣わないこともある。

家庭を子宮とする場合、家庭は自分の価値で染め上げる。
父親の存在が家の隅々にまで行き渡っているような家になる。家族は自分の子宮を構成する大事な道具立ての一つにすぎない。“仲良し家族”という構図自体が子宮を補強する“鎧”なのだ。家族はその鎧にふさわしい役を演ずることが要求されており、自由意志は認められていない。自分以外の価値感はいらないので、家族に対しては陰に陽に洗脳を続けていく(意識的なことも無意識のこともあります)。



■女性の場合----------------------------------------------

女性の場合、そういう子宮を創ることのできる男性を選ぶ。たとえて言えば宿を探して歩くヤドカリだ。(社会構造上、男性が有利なのでそういう道の選び方になりやすい)
この時、男性が仕事に居場所(子宮)を求めるタイプであれば、家(器)は女性が乗っ取る。あとは、子どもを味方につけて父親を疎外していき、家の中を支配するようになっていく。

では、ヤドカリでいながら、マイホーム型の男性を選ぶのはどういうときだろうか。それは、自分の心のコップが一杯一杯である場合だ。

親から自分を受け止めてもらえない人は、次の2つが同時に存在している。
1つは、自分の存在に対する不安と、そこからくる強烈な承認欲求(ストローク飢餓)。
もう一つは、親に対して吐き出せない気持ちを蓄積し続けていることによる心のコップに余裕のない息苦しさ。

このどちらが切実なのかだ。
承認欲求が強ければ、家の中を支配して全てのことを自分に集中させることにより自分の存在価値を確認しながら生きる方向に向かう。
心のコップに余裕がなければ、それ以上人の感情を受け入れたくはないので、自分だけの閉じた世界を生きるようになる。

一見正反対の生き方や性格のように見えるが、愛情への飢えを抱えている点で同じ穴の狢なのである。
尚、自分だけの閉じた世界とは言っても、引きこもるわけではない。ストローク飢餓があるから仕事をすることなどにより適度に人と関わる。ただ自分の心のコップは一杯一杯なので、人と深く関わることはしない-それが、夫や子どもであっても。



■共依存の夫婦------------------------------------------------

このような組み合わせの夫婦の場合、夫はマイホームパパで、妻は言わば居候になる。妻は自分の空間があればいいのだ。外から見ると、夫も家庭を大事にし、妻もパートに出ていたりするので、適度なバランスを保ったカップルのように見える。

しかし、互いに心のコップが一杯の者同士の結婚であるから気持ちを受け止めあうことはできず、成長はストップする。というよりも自分の居場所をつくるために結婚しているので、最初から相手を自分の道具にしているため成長できない。このように相手を自分の道具にしあう人間関係を共依存という。

このような夫婦が危機を迎えるのは、赤ちゃんが生まれたときだ。
なぜなら、赤ちゃんは感情の塊だからだ。心のコップが一杯である妻は受け止めることができない。赤ちゃんを欲しがっていたにもかかわらず、いざ赤ちゃんの産声を聞いた途端、「育てられない!」と育児放棄する母親もいるが、それはこのような場合が多いと思う。赤ちゃんの泣き声で、かろうじて保っていた心のコップがあふれてしまうのだ。赤ちゃんポストに捨てる親の中にも、このような人がいるのではないかと思う。

ここで、出番とばかりに出てくるのが夫だ。夫にとって子どもは、子宮を完成させるための大事な道具立てだ。夫にとっては待ってました! なのである。



■見えない恐怖------------------------------------------------

さて、人はストローク(相手を認める働きかけ)を与えたり、受けたり、避けたりするために次の6つの時間の使い方(時間の構造化)をしている。
「引きこもり」「儀礼(挨拶)」「社交(雑談)」「活動(仕事等)」「ゲーム(ストロークを得るために仕掛けるもの)」「親交」

上記のような夫婦の下に生まれてきた子どもから見える風景はどのようなものだろうか。
・心を受け止めあっていないから「親交」はない。
・あるのは、儀礼や社交を交えた「家族ゲーム」である。
・そして、母親は心理的に引きこもっている。

何より子ども自身にとって切実な真実は、「自分の気持ちを受け止めてもらえない」ということ=自分の存在が無視されていると言うことである。
つまり、家族団らんというストロークの交換がなされているように見えながら、「ストローク飢餓」の状態に陥ることになる。普通の家族であるはずなのに心が満たされない。どころか、平和に見える日常を積み重ねれば重ねるほど、自分の存在がどんどんどんどん追い詰められていく…。

この見えない恐怖が分かるだろうか。



■見えない息苦しさ----------------------------------------------

親は生きるモデルである。
その親が気持ちの受け止め合いをしていない。親がしないことは禁止令となる。つまり、家の中で気持ちを出してはいけない―それが、暗黙の了解となる。

躾の形を借りて禁止令を出す親もいる。
「他人の悪口を言うもんじゃない。誰でもいいところがあるんだから、そこを見て付き合いなさい」-これは、言い換えれば次のようになる。
「私はお前の気持ちを受け止めるつもりはない(一杯一杯だから)。アドバイスに従って自分で自分の気持ちを処理しろ」

(ちなみに…家の中で気持ちを吐き出せるからこそ外で頑張ることができるのだ。上記のような嘘っぱちの“躾け”をしないように。それは、躾の名を借りた親の自己防衛であり、結果的に心理的ネグレクトになるからだ)

いずれにせよ、親は気持ちを受け止めてもくれなければ、気持ちの吐き出し方を見せるモデルにもなってくれない。この長女が、『嫌なことがあっても口にしない』『何でも抱え込んでしまう』ようになったのは、「性格」ではない。口にするなと言う禁止令の中にいたからである。

気持ちこそが自分自身であり、喜怒哀楽を感じて生きることが人生そのものであるのに、このような家庭に生まれてきた子どもは、自分自身であることも、人生を生きることもできないのだ。

この見えない息苦しさが分かるだろうか。



■見えない不安------------------------------------------------

この見えない恐怖や息苦しさの裏に張り付いているのは、いつも「心ここに非ず」の母親の風情である。
なぜ、お母さんは目の前にいる自分を見、受け止めてくれないのか? 自分が受け止めてもらえない苦しさが、母親が一杯一杯であることを教えてくれている。自分の体が母親の状況のセンサーであるから、子は母親の様子が手に取るように分かるのだ。
親がどのように理屈を言い、どのように表面を取り繕おうとも、自分自身の苦しい心が、母親が自分を遠ざけていることを教えるのである。

だから不安になる。
なぜ、お母さんは私のことに無関心なのか。自分が嫌われているのだろうか。でも、なぜ嫌われているのだろうか…。
親が一杯だ。でも、なぜ一杯なのか。ともあれ、自分の気持ちをぶつけて親の負担になることは避けなければならない…。

母親はこの世と自分をつなぐ拠点だ。
その拠点(安全基地)に不安があれば自分の人生どころではない。常に、その安全基地のことを頭のどこかで考え続けることになる。安全基地が倒れないようにと思う安全基地の存在自体に対する不安と、自分が安全基地からはじき出されていることへの存在不安。

この2つの不安をかかえて日々を送る重苦しさが分かるだろうか。



■親の親をする子ども-----------------------------------------

親は大きな赤ちゃんである。
子どもが「いい子」であるということは、親が親ではない、ということの逆証明なのだ。「いい子」とは、様々な病理症状を生み出す母胎となる症状なのである。
(参考-「いい子」は万病の元

親が赤ちゃんであるとき、子どもは親の親をするだけではなく、時に子どもたちだけで「家族」をすることがある。2人兄弟や3人兄弟で親子や家族をやっていた健気で哀しい兄弟を何組も見てきた(当事者は無意識です)。

下の子の面倒を見ることは2つの意味がある。
1つは、自分が親からされたかったことを下の子ににすることによって、インナーチャイルドを癒す。
もう一つは、世話をすることにより、自分の存在不安を埋めることだ。

下の方も、親からもらえない愛情の代償としてなつく。しかし、結局は共依存の関係なのである。

『まじめでしっかり。小学生のころ、お母さんが働いて帰りが遅いから、弟におにぎりを作ってあげると言っていた。本当にいい子。両親からも子育ての悩みは聞いたことがない』-近所の人のこの言葉が痛々しいまでに哀しい…。

このような子どもたちを何人も見てきた。自分を殺し、土俵となり、五感さえも失い…そして、心の中には実感できないビッグバンが育っている-訳の分からない感情に溺れそうになり、破壊衝動に突き動かされ、感情もないままに「刺す」という言葉が頭に浮かぶ…。

かろうじて、自分を、親を、そして他人を刺す衝動をかわしつつ生きている。大きな赤ちゃんである親は、自分が土足で子どもたちの心を踏み荒らしていることに気づかない…。そして、ギリギリに踏みとどまっている心に、また当然のごとく入り込んでくるのである。

そして、ある日ふとした一滴で、決壊する。



■ダブルバインドの結界空間------------------------------------

以上は、私の接してきた数々の「現実」である。
危機介入をし、懸命に立て直そうとしている実態のある話しだ。

介入せずに放置すれば、事件になった可能性もあるだろう。今も事件寸前の状態であるのに、気づかないままに子どもの心を踏み荒らしている親はごまんといるだろう。川口市の家族も、そういう家族の一つだったのではないだろうか。

間取り図を見て感じたこと。

川口事件家庭間取り図

出入り口を父親が抑え、開放されたベランダ側も自分の趣味の水槽で埋め…あぁ、この家自体が父親の子宮だ―そう、感じた。リビングはその子宮の中心。そのリビングの主人公は父親である。そこでは、父親の望む家族ゲームが展開され、家族はそれに沿うことを要求される。

居候の母親は自分の居場所をあてがわれ、その母親と父親に挟まれた最奥に長女は幽閉されている。心の届かない母親は、その存在だけで「壁」となる。

家族であることだけで、第三次禁止令(逃げることを禁ずる命令)。
感情を吐き出せない空間であることが、第二次禁止令(異議申し立てを禁ずる命令)。
その中で、家族ゲームという第一次禁止令(言われたことに従わないことを禁ずる命令)が進行していく。

この家は、空間構造的にも精神支配的にも、閉じたダブルバインド(二重拘束)の空間であったのではないだろうか。その中で人は、操り人形にならざるを得ない―そのような苦しさを感じた。



■お腹の破裂したカエル-------------------------------------

そして、夫婦連合と世代間境界がない。

弟と寝る父親は、まるで兄弟のようだ。
長女と一緒にカレー作りをするのも、まるで子どもがお母さんとカレー作りを楽しんでいるようだ。

その大きな子どもは、母親(長女)に甘えつつ、自分の鎧を強化するために薬剤師を目指させる。つまり、全ての自分の欲求をわが子に飲み込ませていったわけだ。まるで、童話「牛と蛙」でお腹が破裂してしまったカエルのように…。

長女は、上記に書いた見えない不安、息苦しさ、恐怖をかかえ、その上すべての要求を受け入れた。拒否できない禁止令の空間の中でこれでもかと口に詰め込まれ、しかし、感じるなという禁止令の中で心がビッグバンを起こしかけていることにも気づかず……



普通の家族に見えるのに

なにかおかしい。
なにか変だ。
なぜか苦しい。


子どもは、考え続けている。
右脳は答えを探して回転し続けている。

そして、ポロリと答えが出てくる。

「お父さんが家族を殺す夢」を見た―。


私は、犯罪を起こした後の第一声には真実が含まれていると、よく思う。
一見おかしなことを言っているようで、自分の状況や思いを正確に言い表していることが多い。

父親は、家族の人生を奪い続けていた。
つまり、家族を殺していたのである。





■気づくために-----------------------------------------------

人を支配しようとする者は、報いを受ける。
それが、暖かな家庭という夢であっても、その夢に人を従わせようとコントロールすることは支配である。

家庭に必要な機能は、「気持ちを聴く」「気持ちを吐き出せる」「気持ちを受け止める」機能だけだ。そこに徹すれば、自ずと暖かい家庭になる。

そこをせずして「形」だけの団らんを求めているのなら、それはあなたの我欲だ。そこに気づかなければ、あなたは我欲で家族をコントロールするようになる。

あなたは、ささやかな我欲で、家族を支配しようとしていないだろうか。




子どもは鏡である。

あなたの子どもが、あまりにも手のかからない「いい子」であるならば、その病は深い。

「いい子」であることが、“病理症状”であることを理解してほしい。




また、自分が「いい子」をやっている人へ。
その苦しさを言葉にして、思い切って親にぶつけよう。

悲鳴を上げない限り、無意識の親は分からない。
それに、子がぶつかってこない限り、人は親になることができない。

「子の甲斐性は、親に迷惑をかけること」なのだ。







川口中3女生徒父親刺殺事件(1)

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家族の病理 "子宮の家"

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Comment

 

少しはまともだと思いたかった父親が、多分
精神病だろうなと気がついた時の絶望感を今
味わってます。なんでこんなうちに生まれてきちゃったの
かなあ…なんでかなあ…



 

『なぜ、お母さんは目の前にいる自分を見、受け止めてくれないのか? 自分が受け止めてもらえない苦しさが、母親が一杯一杯であることを教えてくれている。自分の体が母親の状況のセンサーであるから、子は母親の様子が手に取るように分かるのだ。
親がどのように理屈を言い、どのように表面を取り繕おうとも、自分自身の苦しい心が、母親が自分を遠ざけていることを教えるのである。

だから不安になる。
なぜ、お母さんは私のことに無関心なのか。自分が嫌われているのだろうか。でも、なぜ嫌われているのだろうか…。』

この箇所、私の今の心情をピタリと言い当てています。
でも私は母を責めるかのような「気持ち」を言ってはいけないのです。そうすると母は追い詰められた子供のような反応をします。
結局、死ななければならないのは私なのだ…という声が鳴り響いてきます。
自殺未遂もしました。でも私は死ぬ気はないのです。
なぜか苦しいです……さっさと親離れできたら。

私のコメント、迷惑でしたらすみませんでした。

 

必ず。

34歳様
気づき始めた時は、辛いですね。お察しします。

この世でただ一つだけ、絶対があります。
「人間の命は、絶対に奪ってはいけない。自分も他人も。」

この世で、八方塞がりと云うのもありません。
必ず解決の糸口はあります。l

現にあなたは、ここを見つけられ、そして書き込まれましたね。
それも糸口の一つだと思います。

必ず。

 

こんにちは

私もいい子で育ちました。母親のイネイブラーでした。子の私が親をちゃん付けで呼んでいるおかしな家庭です。この歳になり母親にメールを送ったりして感情をわかってもらおうとしています。
でも何をしても全然だめです。この人は死ぬまでわからないのだと思いました。
今は、親を物理的に殺したいとまで感じるようになっています。非常に冷静に考えても、それが正しいのではないかと思うのです。

 

子宮子宮と連呼されてて不快

 

どんだけ~

昨年秋父親が靖国神社に行きたいというので行ってきました。ちなみに私は恥ずかしながら初めてでした。大きな資料館があって一通り見て帰るつもりが半日かかってしまいました。太古の昔からの戦いの歴史が資料・パネルで残されていて「よく集めたな」と感心させられました。最後の大東亜戦争の所は特攻隊のメンバーの写真を見ていて胸がつまり、涙を抑え切れませんでした。ほとんどが子どもです。どう上にみても中学生にしか見えない子どもばかりで
眺めていられず涙を隠してその先は
早めに出てしまいました。けなげで
男らしい生き方(死に方)に頭が上げられませんでした。心の中では謝る気持ちがのどからあふれそうでした。何について謝るのかと後で考えてみると自分の生き方をもっと真面目に生きますとか生き方を変えます
とか、でした。夏に小野田寛郎氏の
インタヴューを見て感動して以来の
感動でした。自分の人生のなかでこういう経験はなかたように思えます。みなさん答えはみなさんの心のなかにあります。自分の心に聞いてみれば答えは見つかると子どもにも言って聞かせています。迷ったら常に答えは心に聞け。

 

今まで長い事、言葉にできなかった私の気持ちが書かれているようで・・・ごく普通の家族だと思っていたけれど。
見えない恐怖、本当にそのままです。そういう中で育ってきて、そうなるべくして、今の結婚生活があるのだと納得、居候・やどかり、ピッタリの表現かも。
付きまとう重苦しさや、居所を探し続ける気持ち、
リセットしないと、しんどいままですね。
私、いっぱいいっぱいだったんだなあ~。気持ちを受け止めるという事、やってきませんでした。
フ~、私の人生、これからですね~。



 

>>53歳父親さん
理解できないのは、アンタが『同じこと(似たようなこと)』を現在進行形でやっていて、
『理解したくない』と(意識的/無意識的に)思っているからじゃないの?
そういう悪い意味で頑固な人間って
オッサンに多い気がする。

 

うちの子を加害者にしないで!

読んでいて、うちの子の苦しんでいる姿が迫ってきます。

うちの子も加害者に育て上げられてしまいそうだと慌てています。

また、なのに、気付かない、夫と義母!

どうかうちの子供達を助けられますように!!

 

言葉なく・・・

ある時ふと、自分が人に自分の存在を認めてもらうことを切望していた度合いの大きさに気が付いたら、泣けて泣けて仕方なかった。
そこまで・・・私は認めて欲しかったのかと。『私は私で良いんだ』と、どれだけ言って欲しかったか・・

 

ありがとう

いつも貴重なご意見を公開くださり、ありがとうございます。

以前からの疑問が解決されてきています。

感謝しています。

 

わかる気がします

いい子供は表面は ほんとにてのかからない 出来た子供だと思われがちですが、悩ませる子供、迷惑かける子供にほど 親としての在り方を問い掛けられ勉強させられ、気付かされるものはありません。みをけずり、悩みぬき 子供と一緒に考える…それが親と子供との信頼関係を築くのだと思います。悩ませられくるしまされるのは 本当に辛いですが、本人は短い人生を歩きながら 親へ問い掛けています どう歩けばいいのかを…親にだってわかりません 自分とは違う生き方をしていく子供に 自分のしてきたことを 伝えるのが精一杯で。だからこそ一緒に考え一緒に悩み一緒に苦しみ…そうして少しづつでも明るい明日をめざそうと…親の役目…と言うより 子供の行動が 生き字引だと…今感じます

 

わたしは、イメージで理解できました。

人に対して思う疑問の答えは自分の中にあると思います。

 

理解できない?

詳細な説明解説を読んだのですが、分かるような所もありますが、ほとんど理解できません。中学生を持つ片親がやどかりという表現は自分の理解を超えてますね。こうした解説に意味はあるのでしょうか?

 
    
 
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