色彩フォーラム08
2008/08/02(Sat) Category : 家族心理・子育て講座
北海道から沖縄から、そして韓国から、遠路お疲れさまでした(m--m)。
あの陸の孤島のような東京流通センター。
その中で、120名の集まったあの一角に熱気が詰まっている感がした。
日本人と全く同じタイミングで韓国の方の反応もあって、同時通訳凄し!と思った。
(↑ この文章も同時通訳でお伝え下さい ^^;)
というわけで、瞬く間に過ぎた2時間。
やはり、私には2時間は短い(--;)。
もう少し質問時間を取りたかったがごめんなさい。
--------------------------------------------------
引き続き、末永先生のワークショップに参加。
視点が私と同じなので、共感するところ多。
「自分の中の光と影」のワーク。
ハートに塗り絵をしていくんだけど、中央に大きく自分のハート、背後に2つ、自分のと少し重なって親のハート。他のハートは気づきに応じて適当な位置に付加していく。
なるほど、これは今の自分だからこうなったのだ…と、描いたところで思った。
書き加えたのは妹と妻。子どもたちまでは時間がなかった(頭の中には浮かんできたが)。
それぞれが独立した魂なのだけれど、そのどれかに翳りがあったらそれとなく気になっている。つまり、自分のハートが自分で完結していなくて、このチーム全体で自分みたいな…。癒着した意味での自分の一部ではなく、でも皆の魂がつながっているので、それとなく気になっている。
でも、それはそれぞれの問題なので、私はただ照らすだけ。ことさらに何かをするわけではない。
私のハートの中心に光の玉があって、そこから光が放射されているイメージ。
恐らく、親への怒りがなくなって眺めるようになったから、このようなイメージが出てきたのだろう。
--------------------------------------------------
各地から出席されている方々の事例発表も面白かった。
以前、写真が趣味の方の、鬱の時に撮った写真と回復後に撮った写真の対比も面白かったが、本日の事例の中の変化も興味深かった。
DVに遭っていた女性の自画像に色がなかったのが色がついてきたり、もぬけの殻の線画のような自己イメージが、腕を天に広げしっかりしたボディのカラフルな自画像になったり…。
講演の中でも、今は「思いっきり」をやれるチャンスがない、という話しをしたが、画用紙1枚あれば、そこに「思いっきり」自己表現できるわけだ。言葉にならない思いも、何らかの色にすることはできる。
子どもたちが自由にやってきて、何の規制もなく自由にお絵かきや粘土遊びする。それは、現代社会では絶滅に瀕している「自分の気持ちと向き合う時間」だ。それこそが、人を“その人”に回復させていくというのに。このようなアトリエが一つの町に一つあるといいなぁと思う。
楽しませていただきました。
ありがとう!
あの陸の孤島のような東京流通センター。
その中で、120名の集まったあの一角に熱気が詰まっている感がした。
日本人と全く同じタイミングで韓国の方の反応もあって、同時通訳凄し!と思った。
(↑ この文章も同時通訳でお伝え下さい ^^;)
というわけで、瞬く間に過ぎた2時間。
やはり、私には2時間は短い(--;)。
もう少し質問時間を取りたかったがごめんなさい。
--------------------------------------------------
引き続き、末永先生のワークショップに参加。
視点が私と同じなので、共感するところ多。
「自分の中の光と影」のワーク。
ハートに塗り絵をしていくんだけど、中央に大きく自分のハート、背後に2つ、自分のと少し重なって親のハート。他のハートは気づきに応じて適当な位置に付加していく。
なるほど、これは今の自分だからこうなったのだ…と、描いたところで思った。
書き加えたのは妹と妻。子どもたちまでは時間がなかった(頭の中には浮かんできたが)。
それぞれが独立した魂なのだけれど、そのどれかに翳りがあったらそれとなく気になっている。つまり、自分のハートが自分で完結していなくて、このチーム全体で自分みたいな…。癒着した意味での自分の一部ではなく、でも皆の魂がつながっているので、それとなく気になっている。
でも、それはそれぞれの問題なので、私はただ照らすだけ。ことさらに何かをするわけではない。
私のハートの中心に光の玉があって、そこから光が放射されているイメージ。
恐らく、親への怒りがなくなって眺めるようになったから、このようなイメージが出てきたのだろう。
--------------------------------------------------
各地から出席されている方々の事例発表も面白かった。
以前、写真が趣味の方の、鬱の時に撮った写真と回復後に撮った写真の対比も面白かったが、本日の事例の中の変化も興味深かった。
DVに遭っていた女性の自画像に色がなかったのが色がついてきたり、もぬけの殻の線画のような自己イメージが、腕を天に広げしっかりしたボディのカラフルな自画像になったり…。
講演の中でも、今は「思いっきり」をやれるチャンスがない、という話しをしたが、画用紙1枚あれば、そこに「思いっきり」自己表現できるわけだ。言葉にならない思いも、何らかの色にすることはできる。
子どもたちが自由にやってきて、何の規制もなく自由にお絵かきや粘土遊びする。それは、現代社会では絶滅に瀕している「自分の気持ちと向き合う時間」だ。それこそが、人を“その人”に回復させていくというのに。このようなアトリエが一つの町に一つあるといいなぁと思う。
楽しませていただきました。
ありがとう!