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中尾英司

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「あなたの子どもを加害者にしないために」復刊希望コメント(11)-2008.0715~2008.0804

2008.08.04 ぽんちゃん
著者のブログを読み、是非読んでみたい本だと思ったからです


2008.08.02 プルメリア
中尾さんのブログを読んで是非読みたいと思いました。将来の子供の為にも学ばせてください!


2008.07.30 りょう&けいママ
只今、思春期真っ只中で悩んでいたところ中尾さんのブログを見て読んでみたいです! どうか子育てで悩んでいるお母さん方に愛の手を!!!


2008.07.30 kong
人のためになる書物は多くの人に読まれるべきです。


2008.07.28 りえちゃん
是非,読ませてください.作者のブログをよんで是非にもよみたいとおもいました,.わたしは加藤智大容疑者がかわいそうで,気持ちがわかるようで,全然責め る気になれないのです.作者のブログを読んでいて,いかに自分が怒りを抱えた,親に受け止められなかった人間なのか思い知りました.表現しようのない空洞感や自己評価の低さ,どんなに頑張っても得られない満足感,その原因がやっとこの年になって解明されました


2008.07.26 ぷーちー
私も子どもを持つ母親です。
子どもを育てながら、たくさんのことを考えさせられ、また、世の中を騒がす事件は、他人事ではないと思っています。
報道では事件の一部始終を争うように伝えても、その事件が起きた本当の原因についてはほとんど触れず、むしろ見当違いだったり・・・事件を起こす加害者も家庭の中で育ってきている。事件の責任は加害者だけでなく、私たち大人、社会全体の責任なのではないでしょうか?
そして、中尾さんのブログに出会ったとき、ものすごく共感しました。自分もこの本を読みたい、そして多くの人の目にも留まってほしいと思いました。


2008.07.24 ミュージット
中尾氏のブログに出会い、世の中をとらえるその“真摯な眼差し”に、勇気をもらっています。
>長いこと書いてきました。 
>しかし、それは犯人捜しをするためではありません。
>そもそも犯人はいないのです。
>そこには、ただ「状況」があるだけです。
(中尾氏のブログ2007年02月01日「短大生遺体切断事件の家族心理学(Last)」より)

という中尾氏の言葉にあるように、「誰々が悪い」「自分は悪くない」と犯人捜しをするだけで物事をたたんでしまっては、何も解決しない。上から目線でただ批判するだけで何の解決策も提示しないメディアのコメントは、あまりに知性も洞察も誠実さもなく、きいていて憂鬱になりますが、そうしたものよりよっぽど、この中尾氏の分析は深く丁寧に考察されており、(少なくとも私には)納得できる分析がたくさん書かれていた。

「人はどのように育つのか」――中尾氏のブログや本を読んで、ぜひそのあたりから世の中や人間を捉える目を養いたい。そうすれば、だれもこんなに人が人を責められるはずはないのです。何より、その視点は自分を救う。


2008.07.23 ゆみた
以前から読みたかったが、いつの間にか廃刊になっていたのを知った。そのためネットの古本屋で探したら、1500円のものが1万円近くした。教育に重要な内容ならもっと気軽に買えなければ。
思春期の子供の凶悪犯罪が増えている昨今、新たな読者が獲得できると思われる本である。ぜひ復刊させてほしい。


2008.07.20 ふきのとう
著者の中尾氏のブログを最近知り、とても興味深く読んでいます。そこでこの本を知り、購入しようとしたところ、出版社倒産のため絶版しており、10倍以上の値がついていました。ぜひ復刊してほしく、リクエスト投票しました。


2008.07.19 みゅう
日本がなんとなくおかしくなっている。
毎日のように起こる殺人事件。
特に子供達や若い青年の犯罪はとても哀しい。
何故防げなかったのかと事件が起こる度に考え込んでしまう。

この本の著者はその原因のひとつ「家族関係」にスポットをあて、今の日本がおかしくなった原因を的確に分析している。子供がいる親の立場として非常に読みたい一冊です。
いや「読みたい」ではない「読まねばならない」と思う。
ぜひ復刊していただきたい。


2008.07.19 usa
無差別殺人を早くなくすために。


2008.07.15 かぼす
以前に著者とお話しした事があり、その時出版するとおっしゃっていましたが、そのままいつ発売かもわからないまま、入手していませんでした。こちらのメルマガで復刊リクエストに入っているのを見て思い出しました。
是非、読みたい内容です。当事より、今の方がさらに必要とされている内容だと思います。





復刊投票を是非お願いいたします(m--m)↓
http://www.fukkan.com/fk/VoteDetail?no=38996

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cocotteさんへ

■cocotteさんへ■

ーーーーーーーーーーーーーーーー

もし今まで「本当の意味で後悔する」ことがなかったなら、辻褄を合わせた過去の出来事を「ああ、私失敗したぁ!!」と改めて「ちゃんと後悔してみる」ことも大事です。

もし今まで「本当の意味で後悔する」ことばかりだったなら、「その後悔が確かに今の私を創っていること」を認め、「だからこそ今の私がいる」と後悔を「肯定できるプロセス」として解釈しなおすことも大事です。

下のコメントでこんな言葉を紹介しました。

A「偶然を運命だと思うな(「偶然と運命を勘違いするな」だったかも知れません)」

これは真理としては不完全な言葉です。
「本当の真理というのは常に二筋縄」だと私は考えていますから、もう一方の有名な言葉、

B「全ては偶然ではなく、必然です」

は当然登場します。このAとBが背中合わせにくっついて真理というのは成り立っていると私は思うのです。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

cocotteさんに関係ない話だったかも知れませんが、体験談を読ませて頂いてこんな文章を贈りたくなりました。けれどcocotteさんはもうすでにこんなことは実感なさっているかも知れませんね。

>カウンセリングの第一回目に自分の目指す目標を言いました。

cocotteさんの文章からは<本当は自分の力で解決したい><本当は自分の力でなんとかできる>というご自分の力への信頼が感じられます。そしてきっとその力を発揮できれば、実に多くの<ややこしい気がかり>をご自分の力で解決することができると思います。

ただ少なくとも件のカウンセリングを受けていた時期には、その力を上手く発揮できない自分がいて、だからこそ<それを今一度引き出す作業>を<カウンセラーに手伝ってもらいたかった>んだと思います。

第一回目にcocotteさんが言った「自分の目指す目標」。これは未来に向かっています。今、cocotteさんがどのような状況なのか分かりませんが、

>果たしてその目標は達成できるのか?いつ?それは明確な形でわかるのか?

この問いをカウンセラーと話し合うことこそ必要だったのですよね。
もしかしたら自分と自分が話し合う為の潤滑油(≒カウンセラー)として。

例えば

「cocotteさんが目指す目標」というのは、

「誰に対して、どんなことをどのような口調で言えている時なのか」
「何に対して、どんなことをどのような感じで行えている時なのか」
「その時、その前、その後、cocotteさんはどんな感じになっているはずか」

>それは明確な形でわかるのか?

「cocotteさんが目指す目標」が達成されたとして、

「それが達成されたことを、cocotteさん自身は自分のどのような行動で分かるか?」
「それが達成されたことを、cocotteさん以外の人は、cocotteさんのどのような行動で分かるか?」

>いつ?

「cocotteさんがその目標を達成するために、今週できることはなんだろうか」

とてもオーソドックスな展開ですが、cocotteさんは例えばこういう手法を望んでいたのではないだろうかと思いました。
それから
<どんなダメな私でも、誰かに助けて欲しくても、「自分の面倒は自分で見たい!」>
というような強いイメージも浮かびました。(←こういう言い方はイヤかも知れませんが)

>どんな職業でも本当にプロフェッショナルな そしてまさに適職の方もいらっしゃいますが、そこそこの基準の方もたくさんいらっしゃいます。

仰るとおりです。

>カウンセリングを受ける効果はその人それぞれだと思いますが 全てではない。と言いたいです。

これも仰るとおりです。
(ここからはcocotteさんに向かって言ってませんが)同時に私が言う「過去に向かうアプローチ」も全てが悪いわけではありません。
そこで新しく得られた物事のとらえ方(=リフレーミング)が、上手くクライエントに機能するかどうかが重要なのです。(クライエントに合っているかどうか)当たり前のことですね。

真理とは常に二筋縄ですから、どちらも重要でどちらも<真理のかたっぽ>です。
つまり<結局はそれを決断し、判断するのはクライエント>であるわけなんですが、そういった<判断力が低下しているからこそ>受けているカウンセリングでもありますよね。

だからこそ<クライエント主体>というのはどのアプローチでも必須であると思います。
私が下記のコメントで提示した最大の疑問は、こういった意味を基にして成り立っています。

ーーーー
cocotteさん、貴重な体験談を読ませて頂いてありがとうございました。
>体験談としてお読みいただければ幸いです。
ついついコメントしてしまいました。

 

私には共感することがあります。

とらさんの仰っていること、私なりにとても思い当たることがあります。
以下、私の経験と思いです。

以前、約1年カウンセリングに通っていました。45分で7,000円払って週1回通っていました。
そこで、一等親だけでなくその前までさかのぼって家族遍歴を見ていくことも試みました。
しかし、今思うのは私の対人関係の問題は家族関係から来ていると言うことは
解っていましたが、それを堀下げていく中で、日々の生活においての行き辛さに加えて
新たに気がかりとなってしまうことが1つ2つと増えてしまいました。
私にとってそれは『気づき』なんていう全てをポジティブに解釈できるような物ではなく、
『単に気鬱にさせられる事』でした。
事の発端は何気ないカウンセラーの一言であったり、仕草や態度であったり・・・。
カウンセラーの方のことは人間的に好感を持っていましたし、信頼もしていました
また、もちろん相手も人間です。完璧なんてないので、
私が引っかかることはその都度、相手に伝えました。

でも・・・ある時ふと思ったんです。
毎週少なからずの労力を使って自分は何をやっているのか・・意義が見出せなくなりました。
また、そこで気が付いたことですが、どんな職業でも本当にプロフェッショナルな
そしてまさに適職の方もいらっしゃいますが、そこそこの基準の方もたくさんいらっしゃいます。
保険が適応されない中でそれなりの料金を払ってカウンセリングに通うことが
果たしてどんな結果を生むのか・・

カウンセリングの第一回目に自分の目指す目標を言いました。
果たしてその目標は達成できるのか?いつ?それは明確な形でわかるのか?
カウンセリングルームにはもう何年も通っている人達がたくさんいました。
カウンセリングを受ける効果はその人それぞれだと思いますが
全てではない。と言いたいです。

体験談としてお読みいただければ幸いです。





体験談としてお読みいただけたら幸いです。

 

yokoさんへ

■yokoさんへ■

>なのでとらさんの不信感を持たれたという気持ちもなんとなくですが分かる気がするのです。そういうこともあるかなと。それでコメントさせて頂きました。とらさんやご家族にあった方法が見つかるといいなと思います。

共感してくださって、そのうえ気も配って頂いてありがとうございました。

「どんな関係でも「相性」があ」り、「カウンセラーさんやカウンセリング方法を選ぶことも大切」だというご意見と、患者やクライエント(私はこの二つを区別しています)の弱い立場への共感を、ご自分の体験も踏まえて書かれてあり分かりやすく読ませて頂きました。正論だと思います。

ただ、私の使った「医者との相性」という言葉が不正確だったようです。その点だけ書かせていだきます。
正確には「医者の人格との相性」でしょうか。
これを改めて元の文に代入します。

>「医者の人格との相性」が悪くて症状が悪化するなんてことは基本的に許されることではありません

さらに「症状」と「悪化」を具体的にします。分かりやすいように極端にします。

>「医者の人格との相性」が悪くて「ねんざ」が「骨折」になるなんてことは基本的に許されることではありません

変な例えですが、もし「ねんざ」が治療によって「骨折」に悪化したとしたら、医者の施術方法に問題があったからでしょう。「たんなる微熱」が治療によって「入院するほどの高熱」になってしまったとしたら、処方された薬や注射に問題があったのではないでしょうか?(相性という言葉を使うなら「薬」とのかも知れません)
これらは「医者の人格」とは関係ない技術的・医術的な問題です。なぜなら医者は身体を治す人だからです。医者がどんな人格であろうが、確かな技術とエビデンスがある限り「医者の人格」と「治療の結果」に「過大な相関性」はありません。

>「医者との相性」が悪くて症状が悪化する

というのが成立するのは、
人格的に相性の悪い医者が、意図的にか無意識的な悪意か怠慢かの精神的な要因で、患者に処方する薬を間違えたり、治療におけるスタンダードな手順を踏まないことで、「ねんざ」が「骨折」になってしまった。ということです。
これは基本的に許されることではない。

という意味です。

基本的に「症状の改善・改悪」と「医者の人格」とは「過大な相関性」はないはずです。ここに対応するのは「医者の技術」や「医者の過労勤務」などで「医者の人格との相性」が入ってきたら問題だと思います。

一方、カウンセラーはどうでしょう。
カウンセラーは「こころ」を扱う仕事です。そこにある程度の方法論はあっても、人のこころの構造は完全に解明されてはいませんので、効くか効かないかは「カウンセラーとの相性次第」だったり「クライエントのこころのタイミング」だったりしますね。
つまりカウンセラーの場合は医者とは違い
「症状の改善・改悪」には、「カウンセラーの技術」とそれ以上に「カウンセラーの存在そのもの」によって大きく左右されるのです。

だからこそ

>「医者との相性」が悪くて症状が悪化するなんてことは基本的に許されることではありませんが、カウンセラーの場合はそれも許されます。というか「起こるべくして起こります」

ということになります。
ついでに言うとカウンセラーの選び方も医者とは大きく違います。
医者の場合は、評判を聞けばある程度効果が分かり、症状改善の期待値も上がります。医者は身体という「人間共通のもの」を扱いますから、患者が医者を選ぶ時は評判をよく聞きます。どんなに無愛想でつっけんどんな医者でも、「この病気ならこの人!」と言えるほどの実績を残している人は名医と呼ばれているかも知れません。

カウンセラーの場合は、評判を聞いても実際の効果は分かりません。自分の症状改善の期待値は上がっても、その効果に全般の信頼は寄せられませんね。なぜならカウンセラーはこころという「個別なもの」を扱っているからです。当然「あの人には合っても私には合わない」があるのです。

カウンセラーと医者とは全く違うものです。
医者が症状改善の知識や方法を知っていて、患者が知らないのに較べて、
(乱暴な言い方をすれば)カウンセラーは症状改善の知識や方法を知りません。もちろん知識や経験則は重要な指標ですが、症状の知識もその改善の仕方や方法もクライエント以上には知れるはずがありません。クライエントのこころはクライエントにしか分かれないからです。

このように両者はまったく違います。

カウンセリングの世界には「クライエントに弟子入りする」という言葉があるそうです。
「カウンセラーはクライエントに弟子入りして解決の方法を教えてもらう」という意味です。
ゆめゆめ医者とカウンセラーとを混同なさってはいけません。

一部共感を示してコメントして下さった文章のうち、そこだけが気になりました。

以上です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

鬼門と戦う者さん、yokoさん、時間を割いてコメント下さってありがとうございました。
いろいろと申しましたが、やはり私はそれぞれがそれぞれの事情で正しいのだろうなぁと思っています。
これにて本当に終わりにします。
失礼しました。

 

鬼門と戦う者さんへ

せっかくコメントして頂けたのにあまりにも暖簾に腕押し的な返答だったと反省して、不躾ながらコメントをいたします。


■鬼門と戦う者さんへ■

>とらさんの文章は中尾さんの立場を傷つけています

これは適切ではありません。その理由は、
このブログが世界に向けて開かれている点と、クライエントからのフィードバックはカウンセラーにとっては宝とも言える貴重なものである点、さらにこのような批判があることはこのブログの性格上自然であり健全なことでもあるからです。
「立場を傷つけています」という表現は私からすれば、このページを不健全にするものと思われます。

ただ、もし傷つけたとしたら「中尾さんの立場」ではなく鬼門と戦う者さんかも知れません。その点は下記で謝罪をしておりますが、もしそうであったなら改めて謝ります。

>自覚しなくてもいい新しい悩み=これは「きづき」

鬼門と戦う者さんにとっては「きづき」であったのですね。そしてご自分でその「きづき」の向こうに続いている鬼門の道をあえて歩いてらっしゃるのですね。それも「許す」ために。
すごい決意と決断だと思います。たくさん傷ついてその上でご自分をさらに変化させてこられたんだなぁと拙いながら想像させて頂きました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

ここから先は鬼門と戦う者さんに向けて言っているのではありませんので「関係ない」と思って頂いていいのですが、書きます。(「きづき」と一般論としての<気づき>を分けます)

<気づき>という言葉はとても便利です。いくらでも拡大解釈が可能な言葉ですので私は少々警戒をします。私が言う「自覚しなくてもいい新しい悩み」とは「カウンセラーがクライエントに対して新規に悩みを創ってしまう」という意味です。

<気づき>を無闇に拡大解釈してしまうと、それは霊感商法まで範疇に入ってきます。極論かと思われるかも知れませんが「それはそれで」事実です。
<気づき>という茫漠な言葉は割と注意が必要だと私なんかは経験則から感じています。
「悩み」を選択するのも「回復」を決断をするのも自分です。
人は<(茫漠な概念としての)気づき>や「運命」や「宿命」の奴隷ではありません。
ちなみにこんな言葉もあります。

「偶然を運命だと思うな」

私が言いたいのは、私達家族にとって
>自覚しなくてもいい新しい悩み=「きづき」
ではなく、
自覚しなくてもいい新しい悩み=悩む必要のない悩み(新規に創造されてしまった悩み)
であった。ということです。

「ちゃんと悩む」ためには、「その悩みが<気づき>であることよりも、私や私達にとって本当に必要な悩みかどうか」が重要だと私は考えます。
そしてこの二つ(<気づき>と「必要な悩み」)は必ずしも一致しないと思っています。

人間は聖人や仙人になるために生きているわけではありません。自分勝手で汚くて人の気持ちなんか分からなくても、自分らしく生きる、その「らしさ」を人生で発揮するために生きていると思います。もちろんその「らしさを見つけるために生きる」ことで、その実<遺憾なく「らしさ」を発揮して生きている人>もたくさんいるでしょう。
けれど「必ずしも」それは聖人への道ではないはずです(道であってもいいですが)。

ここに来て私が聖人という言葉を繰り返すのは、
「自覚しなくてもいい新しい悩み=<気づき>」という概念が聖人や仙人に向かう道のように思えてならないからです。闇雲な苦行というイメージです。

ただ、鬼門と戦う者さんの場合は
>自覚しなくてもいい新しい悩み=「きづき」(私流に言えば<気づき>と「必要な悩み」とが一致している状態)
として「あえて鬼門の道を歩いて」、「許す」こと=「自分が救われる」ことへ向かっておられるのですよね。それは本当に本心で立派なことだと思います。

コメントありがとうございました。

 

中尾さんへ

お返事ありがとうございました。
書き留めた図の効用について改めて教えて頂きました。

>書き留めたその事実の再解釈のようなことで、それは上記のように図を見てフィードバックさせていただいております。
>連鎖の観点から見ますと、その事実がこれまでのとらえ方とまるで違った様相に見えてくることがあります。そこに何らかの気づきがあれば、その後の気づきの連鎖はご本人の内部で起こってくることです

ところで

>この図自体には全体を俯瞰して、最初の気づきを促す意味以上のものはないからです。

それは誰の判断ですか?
「最初の気づき」とは誰がいつ判断するのですか?

私が言いたいのはこの判断が中尾さん主体になっているということだけです。
クライエント主体になっていないことに疑問があっただけです。
要望があるなしに関わらず、クライエントに確認することをして欲しいというただの「ささいなお願い」だったのですが、それが上手く中尾さんに伝わっていないようなので返信させて頂きます。

お願いであり意見です。前回「要望」と言った強い要求をしたことを謝罪します。
私は中尾さんのスタイルを変えさせたいといった粘着はしたくありません。

以上です。

>他の皆さん

考えを教えて頂いてありがとうございました。
それぞれがそれぞれの事情で正しいと思います。

 

とら様へ

私の力量不足で申し訳ございませんでした。

私は家族カウンセリングにお伺いする際に、A4の用紙を1枚持って参ります。
そこには、世代間連鎖につながるようなエピソードを書き留め、祖父母-親-子相互の関連が分かるように図になります。書き留めるのは、1枚の図として俯瞰してみることで、分かりやすくなるからです。いつも、それをお見せしながら連鎖についてお話しさせていただいております。

ご要望があれば、コピーさせていただきます。ご自宅にコピーがなくても、コンビニなどでコピーしてお渡ししたこともあります。

ご要望がなければ置いていかないのは、そこに書かれてある事実は全てご本人が話しをされた内容であるからです。ご本人の頭の中に全て入っており、私が行っているのは、書き留めたその事実の再解釈のようなことで、それは上記のように図を見てフィードバックさせていただいております。
連鎖の観点から見ますと、その事実がこれまでのとらえ方とまるで違った様相に見えてくることがあります。そこに何らかの気づきがあれば、その後の気づきの連鎖はご本人の内部で起こってくることですので、この図自体には全体を俯瞰して、最初の気づきを促す意味以上のものはないからです。

また、持ち帰るのは、その後のフォローにおいて必要だからです。
1回の家族面談でできることは、ご家族の置かれた状況を立体的に把握するところまでです。その後、1年、2年、3年とそのご家族の変化に即してフォローさせていただいております。
多くのご家族をフォローさせていただいておりますが、電話など随時かかって参りますので、瞬時にその方に関わる状況を呼び起こさなければなりません。その時、このA4版1枚の紙が記憶を呼び起こす鍵になっています。もしなければ、いきなり電話口で話しをされても、フォローしきれないことがあると思います。つまり、その方をフォローするために必要であるから持って帰っているわけで、それ以上の意味はありません。

カウンセリング終了時には、終了ファイルに綴じ込むため、以降見ることはありません。

以上で疑問の点は解けましたでしょうか。
このような点についての意思疎通がきちんとできていなかったことは私の不手際です。申し訳ございませんでした。また、ご指摘ありがとうございました。

 

復刊決定おめでとうございます

 犯罪被害者になるのも、加害者になるのも、どちらも辛いことです。
  
 悲しい事件が、二度と起こらないように、その一助となるであろう、この本が広く親しまれ、読まれる日が来たのを嬉しく思います。
 本当におめでとうございます。

 

復刊です!嬉しいです!

>「医者との相性」が悪くて症状が悪化するなんてことは基本的に許されることではありませんが、カウンセラーの場合はそれも許されます。というか「起こるべくして起こります」


許されることではないですか?医者という命を扱う仕事だからですか?医者や看護士との相性が悪いことよくありますよね。私はよくあります。最近はそれが当たり前だと思って、受付の対応や看護婦さんの対応までよく自分の目で見て、不信感を持ったら病院を変えるようにしています。どちらが正しい間違ってるではなく、自分が納得しないと良くなる病気も治らないかな、体や気持ちを委ねるのですから通うのがしんどくなると嫌だなと思って・・。相性が悪い為に見た目に症状が悪化したとしても、それを全て医者のせいにすることは私には出来ません。


ですから、とらさんがおっしゃるように、どんな関係でも「相性」があるということは念頭においた方がいいとは思います。お医者さんを選ぶのと同じように、カウンセラーさんやカウンセリング方法を選ぶことも大切なこと。ただ、いつも思うのは、病気や怪我で病院へ行く人もカウンセリングを受けようとする人も、同じように弱い立場ですよね。気持ちもすごく弱っています。対応に不満を持っても言い出しにくいですよね。藁にも縋る思い。だからこそ、お医者さんもカウンセラーさんもクライアントの気持ちを大切に考えて接して欲しいなと思います。同じ事を言われても対応一つで安心したり不安になったり・・・“患者”とはそういうものですよね。そして医者もカウンセラーも神様ではない。今は、患者が「セカンドオピニオンを他の病院で・・」と言って断られるような傲慢な病院はヤブだと言われる時代にやっとなってきました。同じ病名でも、その患者に合った治療方法がそれぞれあるはずなのです。


それから、カウンセリング方法やカウンセラーの対応に対しての不安(不満)は、一度もこれっぽっちも持たなかった、という方はいらっしゃらないのではないでしょうか?とらさんが中尾先生とは相性が合わなかった、不信感を持たれたというのはその通りなのだと思いますし、ご家族もとても嫌な気持ちがしたんですよね。私も家族カウンセリングを受けてきましたが、自分が出したメールへのお返事が“自分が思っていたよりも遅かった”時、大丈夫かな?と不安を覚えたことがありました。冷静に考えればそれは感覚の違いですしお互い伝えなきゃわかりづらいという性質の不安でしたが。。。でも不安になったのは事実・・・それはお金がかかっているからでした。主人にお願いして出してもらっているお金でしたから。その不安もカウンセリングを続けていって私の場合はなくなりました。なのでとらさんの不信感を持たれたという気持ちもなんとなくですが分かる気がするのです。そういうこともあるかなと。それでコメントさせて頂きました。とらさんやご家族にあった方法が見つかるといいなと思います。

個人情報の取り扱いについては中尾先生も十分考慮されていると思いますよ。

 

復刊 おめでとうございます^^

中尾先生!!

復刊おめでとうございます。
とっても嬉しいです。
これからも頑張って下さい。

 

とらさんへ

カウンセラーに疑問を持ったならば、直接カウンセラーにメールや電話で解決するべきではないでしょうか。
中尾さんには守秘義務がありますからとらさんは公的に守られています。しかし、とらさんの文章は中尾さんの立場を傷つけています。

私が気になった言葉に
現状の辻褄合わせには適した方法論だとは思いますが、自覚しなくてもいい「全く新しい悩み」をも生み出す可能性がある鬼門の方角に向かって「まずは進んでいく方法論」でもあることを、ここを読んでいる方は知っておいて欲しいです。
とあります。

自覚しなくてもいい新しい悩み=これは「きづき」でもあります。
鬼門の方に向かうとありますが、確かに一度どころか何度でも鬼門を通ると思います。行ったり来たり大変です。そして自分の人生脚本を書き換えて行きます。
家族間連鎖となれば私もついつい犯人に仕立て上げたい人間が頭に浮かびます。
親、その親、さらにその親ともちろん親族まで、問題ばかりが浮き彫りになっているときもありました。そして気がついたら、自分は犯人を探しているという事実でした。
自分が悪いと思いたくないから他に原因を求めたいのも人の弱さだと実感しました。
彼らの人生の軌跡を知れば許すことが出来ました。
許すといっても簡単ではありません。愛憎深き関係ですから、許した気になっても次には沸き起こるフラッシュバックに叫びたくなります。
それでも自分が救われるには「許す」ことだと思っています。なので、私はあえて鬼門の道を歩いています。

 

ご意見ありがとうございました

改めて自分の文章を読み返しましたが、なんだか怒っていますね。
その感情は私個人の課題ですので置いておきますが、
私の乱文のおかげで気分を害された方がもしいらっしゃいましたら謝罪いたします。
中尾さんは聞き手として優秀なカウンセラーであることは間違いないです。

匿名の身分でコメントにコメントをすることはあまり好きではないのですが、老婆心ながら言わせてください。このコメントで最後にいたします。

>カウンセリングのメモを、医者の書くカルテだと思えば、多少感じ方が違う気がします。

さとこさんは「受けた感情の変換の仕方」に焦点をあてる健全な考え方を教えてくれたのだと思いますが、私の焦点は手続き論です。
ちなみに「カウンセラーの行うカウンセリング」と「医者が行う診断」は全くの別物です。これを混同なさってはいけません。

「カウンセラーのメモ」が「メモ」であれば問題ありませんが、「メモ」ではなく「資料」と言えるものの場合は、カウンセラー側には扱いの注意が必要だと思います。

さきほどの私のコメントは感情が先行していたようなので書いていませんでしたが、実は私は中尾さんに要望をしたかったのです。

■■■■■■■要望■■■■■■■■■

カウンセリングで作成した資料を最後にコピーしてクライエントに渡して下さい。
それからその資料をご自分も持ち帰る旨、その理由をクライエントに伝えて下さい。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■
たぶんこれが言いたかったんだと思います。

>次回のカウンセリングもあるかも知れないとなれば、先生も持って帰る必要もありそうですし。

このような「相手を慮ること」をカウンセリングの場では推奨していないはずです。
カウンセリングという場はあくまでも「対等の立場」です。「診断する、される側」という区別はありません。医者が患者の病因を特定していくのと違って、カウンセラーはクライエントが「自分で解決していけるように援助していく」だけです。
その援助の方法論はたくさん存在していますので、

>カウンセラーとの相性もあるのかな?

ということが起こります。
「医者との相性」が悪くて症状が悪化するなんてことは基本的に許されることではありませんが、カウンセラーの場合はそれも許されます。というか「起こるべくして起こります」。

そのような事情から、細かいことですが(むしろ細かいことほど)、カウンセラーには配慮が必要になります。

ただ文句を言ってるような文章になってしまったかも知れませんが、元クライエントとして上記の要望したいと思います。

これからも陰ながら中尾さんの活動を応援しています。頑なな日本社会にシステムズアプローチを浸透させていって下さい。

長文乱筆乱文失礼いたしました。

 

コメントの感想です

カウンセリングのメモを、医者の書くカルテだと思えば、多少感じ方が違う気がします。次回のカウンセリングもあるかも知れないとなれば、先生も持って帰る必要もありそうですし。
カウンセラーとの相性もあるのかな?と感じました。

 

捕捉

>「書き留めた文章全て」をお持ち帰りになりました。

>あり得ないことです。

これは個人情報云々の基本的なこともありますが、カウンセラーの行動としても首を傾げます。

いわゆる私の家族の世代連鎖とされるものが詳細に記入されたものを、その家族に残していかない理由というのは、一つしかないからです。
それは自分の研究資料のためです。

私にしてみればその資料を家族が暇な時でも眺め、各々が自分の家族について思いを巡らせてくれればという期待があり、家族には「あの紙は絶対もらっておくように」と言葉を残して一足早くカウンセリングの場から退出しておりました。

ですが、私の家族はそれを言い出すことができなかったようです。

私の家族はそれそれカウンセリングの感想を「話は良く聞いてくれたけど…」という「…」付きの感想でした。

先生に資料の返送をお願いしようかとも思いましたが、カウンセリング後に家族関係がさらに悪化しましたので、それも意味を成さないと判断いたしました。
残念ながら私の家族は、「新しくできた犯人」=鬼門に踏み入ることになってしまいました。

その後、解決志向アプローチ(過去に焦点を当てず、未来へ焦点を当てる)のカウンセリングを受けており、少しづつ改善へ向かっています。

「こういうこともある」

ということです。参考までに。

 

商売っ気が…

ここ最近HPの閲覧者が増えたからでしょうか?
ブログ全体から「商売っ気臭」がプンプンします。

その臭いが邪魔して、先生が執筆するポジティブな言葉が徐々に怪しい光を帯びてくるように感じます。

システムズアプローチや交流分析で全てを説明することはできないと言いつつも、全てを説明したがっている姿勢にも疑問を抱きます。

交流分析には頷くことも多いですが、「まず過去に向かっていく方法論」であることが鬼門になっています。

つまり、先生が何をどのように仰っても、「犯人捜し」になる可能性がつよい方法論であると感じます。分析ですからね。因果律ですからね。原因を見つけて自覚していく、無意識を意識化させていく精神分析の発展系が交流分析ですからね。

現状の辻褄合わせには適した方法論だとは思いますが、自覚しなくてもいい「全く新しい悩み」をも生み出す可能性がある鬼門の方角に向かって「まずは進んでいく方法論」でもあることを、ここを読んでいる方は知っておいて欲しいです。

分析は分析。そう、「ただの分析」であって「研究者のためのもの」なのです。

私は先生の家族カウンセリングを受けたことがありますが、私の家族の詳細情報を熱心に書き留め、分析だけをされてお帰りになりました。
そして当然のように「書き留めた文章全て」をお持ち帰りになりました。

あり得ないことです。

私の家族の個人情報満載の紙を、こちらの承諾もなしに書き留め、資料として持ち帰ったのですから。

「ああ、この人はただの研究者(分析家)だったんだ…」と思いました。

判らないことを明快に分析されると気持ちが良いかもしれませんが、その分析は仮説であり、体の良い「辻褄合わせ」とも言えます。

社会状況を分析する人材は必要ですので、私は先生の活動をとても支持してはいますが、こちらのHPで紹介している方法論は以下の書籍にほとんど網羅されております。

『TA TODAY 最新交流分析入門』実務教育出版

興味をお持ちになった方はこちらを読んでみてまずは「ご自分の目」で分析されては如何でしょうか。

 
    
 
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