プロフィール
 

中尾英司

Author: 中尾英司
Doing(させる,働きかける)ではなく、Being(共にある,見守る)―半歩あとから


カウンセリング申込み要領

中尾真智子ブログ

ホ・オポノポノ to IC―
「ごめんね」「ゆるしてね」
「ありがとう」「愛している」

 
ピックアップ目次
最近の記事+コメント
 
 
カレンダー(月別)
 
02 ≪│2017/03│≫ 03
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
 
カテゴリ
 
 
全ての記事を表示する
RSSフィード
 
 

橋の下から拾ってきた子

2008/08/14(Thu) Category : 親の諸相
ライブドアの人気コンテンツ「独女通信」に、3月15日に「モラハラ男と独女の泥沼恋愛」のケースが掲載されて大反響を呼び、その後編22日に私のコメントが掲載されました。
今回は、その掲載されたコメントに肉付けする形で、不幸な出逢いを避けるために留意することを書いてみたいと思います。『』は独女通信に掲載された私のコメントを引用しています。

(参考「独女通信」)
モラハラ男と独女の泥沼恋愛(前編)
モラハラ男と独女の泥沼恋愛(後編)


ハラッサーとは『他人を道具にする人間』のことです。 『自分ひとりでは立てない(自律できない)ので、道具としての誰かが必要』であり、『自律できない人は皆、心に怒りを抱えています。この怒りのはけ口となる他人が必要』となります。つまり、ハラッサーは自分を支え、かつ怒りのはけ口として配偶者を必要とすると言って良いでしょう。

人がハラッサーになる理由は「ハラッサーになる6パターン」に書いたとおり。一言で言えば親の愛情不足ですから、
『モラハラ男かどうかを見抜く方法の一つに、「誕生日の思い出があるか」というのがあります。親に愛されて育っていれば、誕生日にまつわる素敵な記憶を持っているものです』
…これはどういうことでしょうか。

人生とは、生まれてから死に至るまでの経過=プロセスそのものが人生です。
人は、そのスタートとゴール、即ちどこから来てどこへ行くのかが不安ですから、親が自分の生い立ちについて、いろいろと嬉しそうにエピソードを語ってくれるのは嬉しいものなのです。自分が愛されていることを確認でき、自信を持って人生を歩いていくことができるからです。





しかし、次のような場合、人は心に傷を負います。
いずれもディスカウント(人の数に入れないこと)であり、あるがままの自分を愛されていないと感じるからです。

1,「生まれたとき、女の子だったのでがっかりした」「男の子がほしかった」
2,「もういらないから、名前を○○と付けた」「二番目だから○○と名付けた」
3,「おまえは、○○の生まれ変わりだと思った」
4,「おまえは、養子(養女)に出されるところだった」
5,「おまえは、大病して死ぬところだった」
6,誕生日を祝われたことがない


1:性
自分の性別そのものにがっかりされているわけで、個性や努力などとは次元の異なる問題。どうにもしようがない空しさを抱えることになります。その性である限り認めてもらえない、愛されないとなったとき、自分の中にその異性性を育てたり、後天的な性同一性障害になったりするくらいその性になろうとします。自分でないものになるわけですからこの苦しみは壮絶で、自我を形成できず統合失調症になる可能性もあります。

2:名前
名は自分です。一生涯その名前で呼ばれることになるわけですから、自分のアイデンティティの核になっていくものです。人は、名を背負うというよりも、その名前に込められたエピソードを背負うと言った方がいいでしょう。だから、その名付けのエピソードによって、重荷を背負ってしまったり、空しさを背負ってしまったりします。ありきたりの名であっても、そこに愛あるエピソードがあればいいのです。

3:生まれ変わり
では本来の自分は愛されていないのか、という謎を背負うことになります。例えば褒められたとしても、それは自分なのか、その人に似ているからなのか、自信を持てません。何をやろうとしても無意識にその人と自分との比較がついてまわり、どこか自分が自分ではない感じ。生き苦しい日々を送ることになります。

4:養子
そこにどのような事情があれモノ扱い。子どもから見れば親から見捨てられたことになります。自分の創造主から捨てられたわけですから、自己価値はゼロではなくマイナス。自分に対する無価値感、親への怒り、他人への嫉妬―自暴自棄の中で、様々な感情が逆巻き、荒れた人生になります。

5:大病
それがどのような親の思いの中で語られたかにもよりますが、2つの暗示が子どもにかけられます。1つは、お前は体が弱く社会適応できない子だという暗示。もう一つは、生殺与奪の権は親が握っている=お前を生かすも殺すも親次第だ、だから親の言うことを聞けという暗示です。

6:誕生日
表層意識では「我が家ではそれが普通」と思っていたとしても、無意識は、自分が生まれたこと=自分の存在が親にとって喜びではないと、絶望を感じています。実はそうではなく、「母親一神教」で「母(神)の子」として生きている人は、その姿勢(信仰)を貫くために、自分が「子の親」であると自覚しそうなことはしません。子の弁当を作らなかったり、遊園地など子どもが好きそうな所に連れて行かなかったり、誕生日を祝わないのも自分が「子の親」であると認識したくないからです。


--------------------------------------------------------
そして、怒りを抱えている人のいるご家庭で、どれほどこの言葉を聞いてきたでしょうか。あぁ、ここでもやはりこの言葉が出たか-そう、思うくらいです。数々、この言葉を聞いてきました。その言葉が、次の言葉です。

7,「お前は、橋の下から拾ってきた」

上の6つは、両親の下に生まれているのを認めていますが、「橋の下~」というこの言葉は親から切り離しています。似たような言葉に「お前なんか強姦されて生まれてきたんだ」とか「お前は誰の子かわかりゃしない」というのがあります。

自分の出自が分からず、人生の始まりを奪われてしまったわけですから、不安の中を心許なく漂流することになります。

どれがひどいということではありません。たとえば、「橋の下から拾ってきた」と言われて、「やっぱりそうか」と、「では、本当のお母さんはどこに居るんだろう」と“期待と夢”を持った方もいらっしゃいますから(これも悲惨ですが)、それぞれの苦しみの質が異なるだけで、苦しんでいることは同じです。

どうぞ、この親の呪縛から解放されてほしいと思います。


<続く>






【親の呪いからの解放】
①橋の下から拾ってきた子
親の7つの呪いからの解放
自分の中にある「暖かい芽」と「信頼の樹」
強烈に惹かれる人―囚われ人が陥る自己投影の罠



関連記事
 
Comment3  |  Trackback0
 
 

Trackback

 

Trackback URL :
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

 
 

Comment

 

祝うのは好きだけど
祝われるのは嫌いですね

 

誕生日=親を敬う日

我が家では子供の誕生日は
親にお礼を言う日でした。

誕生日。
友達はみんなそれなりにおうちで祝ってもらった話を聞いていた。
ケーキやジュースを用意してもらい、友達を招待して大々的にやってもらってる友達も少なくなかった。

うらやましかった。
すごく。。

でも我が家に期待はしてなかった。
心の片隅では期待していたのかも。
商売が忙しいからうちはそんな暇はないのだと自分に言い聞かせてもいた。兄弟姉妹4人いる。ケーキやジュースを4人分も年に4回もいちいち出してたらいくらあっても足りないとか、誕生日?!そんなもん!!っていつも言っていた父。

小学校の4年くらいだったか・・
それでも勇気を振り絞って機嫌の悪くなさそうな父に
「今日わたし誕生日・・・」
そう言ってみた。

「はあ?誕生日か?なんや、おめでとうって言ってほしいんか?何がおめでたいんや。誕生日はなあ、親に生んでもらって感謝する日やろ!!俺にありがとうって言え!!」
半笑いで人をおちょくるかのようなあの時の父の顔と、悔しくて悲しくて惨めでたまらなかった気持ちを、忘れることはできません。

もちろんこの世に生まれたことに感謝はしています。親に感謝もしています。でも、そんなの、10歳の子供にどう分かれっていうんでしょうか。

誕生日。
今は子供二人と主人、私の姉妹などで、思いっきりお祝いします。
思いっきり楽しく過ごします。
子供たちが大人になって、
誕生日の思い出を楽しく話せるように。
自分たちが歳を重ねていくことの楽しさを見せてあげられるように。

 

「橋の下で拾われた」の意外な効果

「そっと教えてあげるね、本当はあんたは橋の下から拾われてきたんだよ、私みたもん」
と自分が親から叱られていじけていると姉からよく言われました。地元の具体的な川名まで指定されていました。
ある日、具体的場所を母に問うと「あら、どこだったかしら、忘れちゃったわ」とのこと。

わが家は今で言う虐待親で、スパルタ教育+虐待で、秋葉の犯人とよく似た体験をしてます。このサイトで犯人の中学生時代の手記をみて自分のことかと思いました。

しかし橋から拾われたということ=つまり別の親がいるんだ♪ きっと本当のお母さんは普通の良いお母さん とワクワクしていた自分を思い出します。

たまたま祖母にも橋の下の話を言ったとき「そんな酷いことをいうなんて!」と怒っていましたが、”いや、お婆ちゃん、むしろ嬉しいジャン”と思っていました。

幼稚園~小学低学年のときに、橋から拾われたと言われたことが、虐待まがいを親から受けているときも他にまともな親がどこかにいて、いつかきっとその素敵な親が哀れな自分を迎えに来る、と心の支えになっていました。

社会人になってから、今度は父親から「実はな、今だから言うがお前は本当は生まれてくる予定じゃなかったんだ、予定外の子」
と言われ、それは少々ショックでした。まぁ今思うと理由は有名大学(WかK、国立)に進学できなく、親の面汚しになったからでしょう。

自分が親となる年にもなると、そういう子供をお飾り的に考える親もいるんだな~と思いますが、有名大を卒業するということは、子供の利益です。高卒でも成功する等言う人はいますが、世間はなかなかそんなに甘くありません。子供の幸せにも繋がる要素の一部でもあるから、一概に責められませんね。

それにしても自分がもし親になったても、まぁ先ずそんなアホな事は子供には言いませんね。あり得ない。





 
    
 
Home | Top ▲
 
はじめにお読み下さい
 

読まれる上での留意点
自分を取り戻す方法総目次
*全記事リンクフリーです

 
ブログ内検索
 
Google

Web このブログ
 
会場でお会いしましょう(^^)
風化させまいカレンダー
 
 
著作
記事・インタビュー他
わが子を守るために
写真/動画集はこちら↓
 
 
お問い合わせなどあれば↓
 

名前:
メール:
件名:
本文:

 
ブックマークに追加
 
 
月齢
 
Today's Moon phase
 
↓このパーツを設置すると14本の苗木を植えられます
QRコード
 
QRコード