たった一人から始めた森田三郎
子供の頃遊んだ大切な場所が、腐臭を放つゴミ捨て場と化していた。
下水、農漁業の残渣、牛や豚の骨、犬猫の死体、ふとん、バイク、自転車…ありとあらゆるゴミが無造作にヘドロに埋もれていた。
市長は「習志野市の恥」と言い、
悪臭に悩まされる住民は早期埋め立てを望んでいた。
私は、まず一人で「谷津愛護研究会」をつくった。
そして、新聞配達以外の全ての時間をゴミ拾いすることにした。
人目が気になる。
体にこびりつくヘドロの悪臭が気になる。
恥ずかしかった。
しかし、ヘドロの下には、かつて遊んだ思い出が眠っている…。
腰まで浸かってもやるしかなかった。
拾う傍からゴミを捨てていく男性。
「勉強しないとああいう仕事しかできなくなるんだよ」と子供に言う母親。
住民や行政とぶつかって孤立する中、自然保護団体は引いていった。
雨や風の中でもごみ拾いを続ける私は、いつしかこう呼ばれていた。
「きちがい、変人の森田」
3年後…
地元の主婦が、ついにゴミ拾いの手伝いを申し出てくれた。
8年後…
私は新聞配達もやめ、谷津干潟の近くに引っ越してきた。
私自身が看板になろう。
一番目立つ100メートルを徹底的にきれいにした。
何週間かすると臭いがしなくなり、貝やカニ、ゴカイが現れてきた。
干潟がきれいになり始めると、次第に、ごみの投げ捨てが止まっていった。
11年後…
埋め立て計画は撤回された。
そして、平成10年…
「水鳥の生息地として国際的に重要な湿地」としてラムサール条約に登録された。
私は、タクシー運転手をしながら、今もゴミを拾い続けている。
なぜなら、
それが日常の一部だから。
上記は、下記サイトの森田三郎氏の講演内容をまとめたものである。
http://www.sjef.org/kouza/envglect/env_41b.html
上記の中で、氏は最後に次のように問いかけている。
『皆さんは、何一つ自分のものになるわけでもないのに、それでも残したい、悪口を言われても行政と戦ってでも残したいというような、涙がこみ上げてくるような「ふるさと」をお持ちだろうか。私は、この28年間、私のふるさとである谷津干潟の生き物たちの命を想い、行動してきただけである。』
なんだか、泣きたいような思いがこみ上げた。
愛国心などといううさんくさいまがい物ではない。
愛郷心。
郷土を守るためには、時に国さえもが敵となる。
金のために郷土を売るな!
水没させるな!
コンクリートで埋めるな!
「ここが好き!」
「この学校にわが子も行かせたい!」
「この町が好き!」
そういう思いを持ったことがあるだろうか。
転々流転させられる公務員やサラリーマンは、“生命への思い”を奪われてしまった…
----------------------------------------------------------------
下のインタビューでの森田氏の言葉が響く。
「考えてたら出来ない」
「きれいにしようとする努力はすることが出来る」
そして、迷っている全ての人と分かち合いたい。
「始めなければ始まらないでしょう」
一歩踏み出そう!
【谷津干潟 ゴミ捨て場からの再生】
*感謝*
たった一人、親及びインナーペアレンツと苦しい闘いを日々闘い続けている方からご紹介いただきました。
・「受け止められ体験」が人を救う
・環境としての親
・心のゴミを拾い続けよう
・泡瀬干潟を守りたい
<ご参考>
・「泥んこサブウ奮闘記」
・谷津干潟自然観察センター