自分の個性を生きる小幡直輝さん
2008/09/21(Sun) Category : 人物
妻と二人で小幡直輝さんの講演を聞きに行った。
彼は、性同一性障害(GID:Gender Identity Disorder)についての正しい認識を広めるべくカミングアウトして生きている。
幼児期から自分の体に違和感があった彼は、小学校入学時に赤いランドセルを買ってもらったときも、「まだオチンチンが生えていないからだ」と考えていた。
小5で生理が始まり、男に変わらない現実を突きつけられたとき、「世の中は終わった」。
野球や空手をするスポーツマンだったが、周囲の目は「やんちゃな女の子」。
もはやこのギャップを生きるのは限界だった。
高校入学後、ケンカで2度も無期停学となり退学。
16歳で、狭い町を飛び出し帯広市に出た。
土方をし、初の給与でリーゼントにきめた。
実家に帰ると、父に「どちら様?」と聞かれた。
母親とのバトルが始まった。
土砂降りの中、屋外に閉め出され、帰ってくるなと怒鳴られ……
4年経ったある日、母親が言った。
「ある日ストンと腑に落ちた」
そー言えば、あんたは小さい頃からお姉ちゃんと違った
その行動の説明がつく。あんたは、男だわ。
その頃父が亡くなった。
「お前の好きなように生きろ」
大きな後ろ盾を得た彼は、GIDを隠さなくなった。
が、就職の面接ではGIDのことばかり訊かれ、挙げ句「前例がない」で不採用続き。
ならば、と自分で事業を始めた。
事業をするに当たって、すぐに覚えてもらえるこの“個性”は長所だった。
また、「人」と付き合っているのであって「性別」と付き合っているのではない。カミングアウトして離れる人は、そこまでのこと。
でも、メディアに登場したとき、名を隠した。それを見ていた母が言った。
「お前は犯罪者じゃない。名を隠すな!」
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今彼は、次のような夢を持っている。
1,事業を拡大し、かつて夜の世界しか働く場がなかったGIDの人達に働く場を提供したい。
2,正しい認識を広めることが救いにつながる。
「寝た子を起こすな」と、PTAから反発を受け、講演中止になったこともあるらしい。が、PTAが反発しようと子供は一人苦しんでいる。正しい知識を持った方が早く救われる。
それに、オネーマンズなどテレビの影響は大きく、GIDと言った途端、「面白いこと言って」と来たりする。テレビに出ている人は芸能人。GIDは芸能をする人ではない。
3,法律や行政を変えていくこと
印鑑証明にしろ、戸籍謄本にしろ、日常の中に障害がたんとある。
また、役所は当事者の人が言っても、また来たかと耳半分。一般の方が声を挙げてくれることが力になるという。
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「今は楽しくてしょうがない」と言う彼。
彼が自分の個性全開で生きられるのは、支えてくれた友人の他に母親という後ろ盾があることも大きいと思う。
そして、母親と信頼関係を築くことができたのは、彼が全力でぶち当たったからだ。
互いに引くことのできない4年のバトルの中で、
その4年という時間の経過が、
その間ずっと主張し続けてきたことが、
彼がホンモノであることを教え、
母親を気づきに導いたのである。
子が親を認めさせ、
親が子を認めた。
そして、
親という後ろ盾があれば、
こんなにも堂々と生きることができる。
●性同一性障害を生きる――小幡直輝さん
http://www.bnn-s.com/news/06/10/H20021023456.html
http://www.bnn-s.com/news/06/10/061201172744.html
http://www.bnn-s.com/news/06/10/061201162707.html
●性同一性障害患者支援センター
●オフィス然nature第三回企画講演
彼は、性同一性障害(GID:Gender Identity Disorder)についての正しい認識を広めるべくカミングアウトして生きている。
幼児期から自分の体に違和感があった彼は、小学校入学時に赤いランドセルを買ってもらったときも、「まだオチンチンが生えていないからだ」と考えていた。
小5で生理が始まり、男に変わらない現実を突きつけられたとき、「世の中は終わった」。
野球や空手をするスポーツマンだったが、周囲の目は「やんちゃな女の子」。
もはやこのギャップを生きるのは限界だった。
高校入学後、ケンカで2度も無期停学となり退学。
16歳で、狭い町を飛び出し帯広市に出た。
土方をし、初の給与でリーゼントにきめた。
実家に帰ると、父に「どちら様?」と聞かれた。
母親とのバトルが始まった。
土砂降りの中、屋外に閉め出され、帰ってくるなと怒鳴られ……
4年経ったある日、母親が言った。
「ある日ストンと腑に落ちた」
そー言えば、あんたは小さい頃からお姉ちゃんと違った
その行動の説明がつく。あんたは、男だわ。
その頃父が亡くなった。
「お前の好きなように生きろ」
大きな後ろ盾を得た彼は、GIDを隠さなくなった。
が、就職の面接ではGIDのことばかり訊かれ、挙げ句「前例がない」で不採用続き。
ならば、と自分で事業を始めた。
事業をするに当たって、すぐに覚えてもらえるこの“個性”は長所だった。
また、「人」と付き合っているのであって「性別」と付き合っているのではない。カミングアウトして離れる人は、そこまでのこと。
でも、メディアに登場したとき、名を隠した。それを見ていた母が言った。
「お前は犯罪者じゃない。名を隠すな!」
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今彼は、次のような夢を持っている。
1,事業を拡大し、かつて夜の世界しか働く場がなかったGIDの人達に働く場を提供したい。
2,正しい認識を広めることが救いにつながる。
「寝た子を起こすな」と、PTAから反発を受け、講演中止になったこともあるらしい。が、PTAが反発しようと子供は一人苦しんでいる。正しい知識を持った方が早く救われる。
それに、オネーマンズなどテレビの影響は大きく、GIDと言った途端、「面白いこと言って」と来たりする。テレビに出ている人は芸能人。GIDは芸能をする人ではない。
3,法律や行政を変えていくこと
印鑑証明にしろ、戸籍謄本にしろ、日常の中に障害がたんとある。
また、役所は当事者の人が言っても、また来たかと耳半分。一般の方が声を挙げてくれることが力になるという。
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「今は楽しくてしょうがない」と言う彼。
彼が自分の個性全開で生きられるのは、支えてくれた友人の他に母親という後ろ盾があることも大きいと思う。
そして、母親と信頼関係を築くことができたのは、彼が全力でぶち当たったからだ。
互いに引くことのできない4年のバトルの中で、
その4年という時間の経過が、
その間ずっと主張し続けてきたことが、
彼がホンモノであることを教え、
母親を気づきに導いたのである。
子が親を認めさせ、
親が子を認めた。
そして、
親という後ろ盾があれば、
こんなにも堂々と生きることができる。
●性同一性障害を生きる――小幡直輝さん
http://www.bnn-s.com/news/06/10/H20021023456.html
http://www.bnn-s.com/news/06/10/061201172744.html
http://www.bnn-s.com/news/06/10/061201162707.html
●性同一性障害患者支援センター
●オフィス然nature第三回企画講演