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「滅私奉公」が国を滅ぼす

2008/10/03(Fri) Category : 世相・社会
中山国交相の辞任が示す潮流の変化」の最後に、『「滅私奉公」については、次に私の考えを示します』と書いて、翌日書くつもりがトトンと今日まで来てしまった(スミマセン)。

「滅私奉公」が国を滅ぼすことは歴史が既に証明しているが、ではなぜダメになるのかについて拙著「あきらめの壁をぶち破った人々」(日本経済新聞社)の中から引用したい。

この本は、自分の首をかけてまで組織改革をし、「会社を愛しているんですね」とまで言われたことのある会社員の物語である。…まるで「滅私奉公」の鑑?(--;)

違います。
と、以前も書いたが、私の中にあったのは、若者を飼い殺しにしていく会社に対する怒りだった。そして、その会社も自由競争・利潤追求という価値に踊らされている…。



以下を読めば、「自分さえよければ」という刹那的な考え方が、若者ではなく、「滅私奉公」の発想をする大人から来ていることが分かるだろう(大人もまた巻き込まれているのだが…)。

豊かで自由になったから、利己的で刹那的な文化が生まれたのではない。今の経済社会のシステムに「滅私奉公」で乗っかることが利己的で刹那的な文明を作り上げていることを理解してほしい。



そもそも、子供は健全だ。
それをスポイルしていくのは大人である。
競争も、利己主義も、個人主義も、自子主義も、考えずに組織に迎合することも、感情を出さないロボットになることも……次々と人間性を奪っていき、社会の歯車に組み込んでいこうとするのは、現代の経済至上社会なのだ。

ここを理解しなければ、すぐに「豊かで苦労を知らない」「軟弱」だの、「我慢が足りない」「鍛え方が足りない」だの、「利己的」「自己チュー」だの、という薄っぺらな批判となり、やれ「道徳」だの「ボランティア」だの「体罰」だのの押しつけの議論が大手をふるい、間違った方向に国を導いてしまう。



騙されてはいけない。
人間は本来、健全であることを知ろう。

間違った方向に行かないためには、来し方を知ることが大切。
私たちがどのように意識をすり込まれてきたのか、チョー簡単に維新以降の日本の歩みを振り返ってみたい。

以下、次のように綴っていく予定です。



「生き直し」のために―すり込まれた価値を疑え

*「滅私奉公」が国を滅ぼす
「公」(空間概念)と「私」(時間概念)
中央集権体制の作られ方
「滅私奉公」という意識のインフラ整備
「自律分散」こそが力を発揮することをかつて示した日本
経済戦争も国を焦土と化す
新たな文明のキーワードは“私の自律”
サラリーマンよ、家庭に帰ろう





【ご参考】

坂本龍馬の思い
効率至上主義が生んだ背骨なき「怒りの国」
日本という「完全統制区域」
心が亡くなる過労死大国
奈良市職員の長期欠勤問題~人間のロボット化
ワークライフバランス(6)-働き方の背景にあるもの

自由からの逃走―(6)大義名分が人を滅ぼす



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日本国憲法前文にも人類普遍の憲法の原理として、国政の福利を享受するのは国民と書かれているように、
大日本帝国憲法は、御告文、発布勅語、上諭にあるように、歴代天皇以来の代々の臣民の慶福のための憲法です。
憲法を頂点とする法秩序内の法により与えられた権限は、全て歴代天皇以来の代々の臣民の慶福のために行使されなければなりません。法である憲法により定める事が出来る国民主権とは、国法により利益を受ける者を国民と定める事です。

国法により権限を与えられた者に、国法を国法たらしめているという意味で政治的な主権が存する国民の全体の利益である国益の追求のための権限行使を求めるのが憲法です。

憲法は、国法により権限を与えられた者に滅私奉公を求める法です。

金や労力を使って得た権限の行使に滅私奉公を求められるんじゃ叶わないと思ったのが政党内閣。憲法が目的を持つ法であるという憲法の原理を徹底的に無視して憲法を単なる規則集だとし、規則通りの手続きに反しなければ、個人的な利益や信念の満足のために権限を行使しても良いとしたのが美濃部等の天皇機関説です。
美濃部の天皇機関説が目指したのは衆院議員が衆院議員の利益のために立法をする、衆院議員主権です。
憲法の原理は、法に効力を与える国体を構成していて政治的主権を持つ国民が、国政の福利の享受者であると最高法規により定められた法的主権者でなければ、国は維持出来ないという政治の原理です。

政治の原理に反する、衆院議員の利益のための政治や理屈が打倒される事になるのは当たり前です。

英の議会主権とは、議会に在る国王に主権が在るとし、英臣民は英国王の臣下である事により福利を享受するというものです。英の慣習憲法により国政の福利を享受するのは英国王を支える臣民で、これが英の民主主義です。

英国王はインド皇帝として、英国王を首長とする聖公会の信仰を持つ忠良な英国王臣民に福利を提供する義務があるとするのが英の植民地主義です。

会社は、人を雇って働かせて幸福を追求する株式支配者達の幸福追求の場です。会社に奉仕するのは株式支配者の幸福追求に奉仕することで、公のために奉仕する奉公ではありません。会社への奉仕が社会貢献である奉公で有り得るのは、株式支配者が会社に社会貢献をさせることにより幸福になろう命令した時で、株式支配者の意向は隠蔽して、会社への奉仕は自分の為にもなる社会貢献である奉公だと言えば騙す搾取です。

 

滅私奉公の概念が違う

 

何でもバランスですよね。滅私奉公もその対極にある個人主義も双方にメリットデメリットがあります。”滅私奉公が国を滅ぼす”は言い過ぎで偏り過ぎだと考えます。、主観的過ぎますが思惑すら感じてしまいます。そもそも戦後教育もあまりにも偏り過ぎていて非常に憂います。アンフェアーです。話をすり替え滅私奉公を諸悪の根源かのように持っていった様にも感じますが。東日本大震災の被災地の心ある皆さまの行った行動で1つのおにぎりを横に人がいれば2つに割り分け合い3人いれば3つに割り分け合った姿もある意味、大和魂や武士道に通じ、広く言えばそれらは滅私奉公とも言えるのではないでしょうか。他人を思いやる気持ちと考えればの話です。滅私奉公も個人主義も極端ではない双方の良い部分を取り入れて行きすぎると生じる歪みを取り除く正しい取捨選択を大人が子供へ教えていくべきだと私は考えます。

 

滅私奉公について、検索していたらここにたどり着きまいた。

読んでいて、本当にそうなのか?と疑問が三点湧いてきました。

まず敗戦の原因が滅私奉公にあるかの表現。私は戦争を擁護するものではないですが、いくらなんでもいささか暴論だと思います。

次に「会社は若者を飼い殺しにしている。」と断定されていますが、多くの経営者の悩みは彼らの育成についてです。育成の方向性はともかく若者を食い物にしてなどと考えて経営しているような企業の経営がそもそも成り立つわけがないでしょうし、そんな企業に長く勤める理由も無いでしょう。

さらに「企業が利潤追求に踊らされている」というのもどうでしょうか。企業は経営者個人が潤うためと言うよりも今働く若者たちが成長し、生活できるように給与を上げていくには利潤を追求する以外の方法がないからです。入社時の給与のまま40年働いてくれるなら話は別ですが。

とは言うものの、公私のバランス論には賛成です。どちらに傾いても問題があると言うのはそのとおりです。
ただ、その原因が企業や社会にあるのかと言えばそれが主因であるとはどうも説得力に欠けるように思えます。

私が思うには日本人全体に欠けているのは、例えば仕事の時に同僚、部下、上司、顧客といった自分の関わる世界に対してサポートしようと言う気持ちが見られない、ということです。成果や権利に対する自己主張やあるいは逆に全てにおいて受動的な人ばかりが目に付くのです。

それこそ滅私奉公の精神で周囲をサポートすれば巡り巡って穏やかな環境が作れるのにと思うのです。これは仕事に限らず家庭や地域社会などあらゆる自己を取り巻く世界にいえることでしょう。もちろん自己犠牲を前提にしているのではありません。

強いて言うならば、「滅私奉公」はその出典は知りませんが、あの時代に悪用されたと思うのですがいかがでしょうか。

 

ですよねぇ~

同感です。安心させられます。ありがとうございます。そして、学びます。整理します。

それと、龍馬の所に「親にぶつけてきたからこそ抜けられた~ぶつかることを基本的にお勧めする」とあります。

そういえば私も「テメェなんて親じゃネ゛ェ!!」と、ひっぱたかれて倒れた時に叫んだことがあります。(理由は全く記憶に無い…アリガチですね)

それがキッカケだったのか?親が距離を持てるようになっていったような気がするんですよね…

もちろん愚痴や弱音、被害妄想(?)など、欺瞞に満ちた言動を、傾聴し添い続けました…が、

自分の空間と時間を何とか確保出来たので(違ったモヤモヤは発生しましたが…)何とか「楽」と「喜」を取り戻しましたよ。

気分も身体も軽くなり、お菓子なども食べたくならず(笑)、これが本来の自分なのかな?と感じました。

しかし、社会には善意なる押し付け(笑)が多々あり…、インナーペアレンツもあり…、連鎖した家族の激しい共依存言動もあり…、混乱錯乱が続きました。

難しいですね…

発作みたいに、インナーペアレンツや共依存言動が表現されてしまう自分…

困りますね…

自覚があるだけマシではありますが…


 
    
 
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