「公」(空間概念)と「私」(時間概念)
●公=空間概念、私=時間概念--------------------------------
「『滅私奉公』とか『公私混同』という言葉があるだろう。いずれも“公”を上に見てるよね。だけど俺は、公私対等と考えているし、“私”が大事だと思っている」
「自分や家族を大事にするということですか」
もとより家庭を大事にしている緒方が聞いた。(略)
「ありていに言えばそういうことだ。『働くというのは“傍”にいる人を“楽”にすることだ』と昔父親に言われたよ。つまり、働くことは同時代に生きている人のために利することだ。これが俺の考える“公”の概念だ」
「つまり、仕事イコール“公”ですか」
「そうだね。一方、“私”というのは、将来の日本に責任を持つ部分だ。なぜなら、子育てというのは将来の日本人を育成することに他ならないからね。
“公”が同時代人に責任を持つ、いわば横に広がる空間概念なら、
“私”は将来の日本に責任を持つ時間概念と俺は考えている」
「“公私”が“空間”と“時間”ですか……。面白い考えですね。これじゃあ比較のしようがありませんね」(略)
「その通り。比較できない。両方大事なのさ。(略)」
【以上、「あきらめの壁をぶち破った人々―日本発チェンジマネジメントの実際」より】
この考え方が、この後の全ての基本となります。
図をご覧下さい。

現実世界の上に仕事というX軸と、家庭というY軸を引いたとします。
・X軸に偏れば、仕事人間(仕事依存、ワーカホリック)
・Y軸に偏れば、マイホーム人間
と言われたりしますが、
・X軸に偏れば、職場(仕事、業界)が“居場所”
・Y軸に偏れば、家庭が“居場所”
実態は、こういう方も多いでしょう。
いずれにおいても、そこが病的に固執する居場所(共依存の対象)になっている場合、関わる人は大きな迷惑を被ります。
そうではなく、
「私」は、守るべき大切なことを受け継いでいく部分。
だから、一人一人の「私」が大事なのです。
一人一人の「私」が、ゆずり葉のように大事なことを次代につないでいくのです。
「公」は、それができるように「私」を支える部分なのです。
そのように、大切な「私」を支えてくれるからこそ、「公」を大切にするのです。
このように「公」と「私」がその役割を認識して支え合えば、「理想、生き甲斐、やりがい」というZ軸を誰もが持つことができるようになるでしょう。
「公」は、「私」を自律に導くような仕組みであるのが望ましい姿です。