存在不安の世代間連鎖
■存在不安の世代間連鎖
五十代の親である昭和一桁世代は、お国のための道具として戦死に向かって生きた世代である。「産めよ増やせよ」の時代で兄弟も多く、自分のことを十分親に受け止めてもらえなかった。国からも親からも愛情をもらえなかった昭和一桁は、無重力空間に放り出されたかのように孤独に漂って不安で心許ない。(→受け止められ体験がなければ存在不安が強くなる)
そのため、時間的にも空間的にも、どこかに“自分を位置づけたい”という衝動が働く。だから制度やルールなど形の整備、年功序列などは心の安定のためにも必須だった。
元々曖昧な時間を生きていた日本民族が、世界に冠たるパンクチュアルな鉄道網をつくり上げることができたのも、時刻通りであれば安心するけれど、時刻に違えばイライラするという存在不安の裏返しであった。

自分が安心するために緊密な社会システムをつくり上げた昭和一桁は、わが子をそのレールに乗せようと圧力をかけた。自分の中にある不安を見たくないために、生活以上にシステムの維持が第一優先なのである。
押しつけられた子どもは選択の自由を失う。
人生は選択の連続であるから、その自由を失うということは人生を奪われるのと同じことである。
押しつけられたレールの上を歩くことは操り人形でしかない。
自分の人生を歩めない五十代が「無気力、無関心、無責任」の三無主義に陥るのも無理はなかった。
また、親に気持ちを受け止めてもらっていない昭和一桁は、心のコップの中に吐き出せない感情をパンパンに溜め込んでいる。そのため、子どもの気持ちを受け止める余地がない。そのため、しらけ世代もまた親に受け止めてもらえない不安を持つこととなった。ここに存在不安が世代間連鎖することになる。
・存在不安がある人の時間の構造化の仕方
昭和一桁世代への鎮魂歌
(1)-70代の背景
(2)-時間のモノサシ化
父の話
(1)-親と兄弟
(2)-継ぐべきこと