教育大国ジパンでの生涯
ジパン国は、学力世界一のフィンランドに学びに行った。
そこには、現場に任せる素晴らしい自律分散の思想があった。
が、ジパン国は高度成長を賞賛されたプライドがあった。
我が国にふさわしい方法で学力世界一を目指せばよい。
ロボット生産世界一のジパン国の「お家芸」は、ロボットを作ること。
要は優秀な学力ロボットを量産すればいい(常に発想の土台は工業)。
自律分散ではなく、集団統治―それがジパンの“美学”でもある。
揃っているからこそ美しい。不揃いのリンゴはいらない。
だから、学校間で競争させ、集団統治で尻をひっぱたく
―方法論は常にここに帰結する。
そして、公立小中学校はマニフェストを掲げることが義務化された。
「90%以上の子供に授業を集中して受けさせる」
「全生徒にテストで95点以上取らせる」
「漢検上位表彰者を30%以上にする」
「英検3級合格者60%以上にする」
「全生徒に部活をやってもらう」
「テレビゲームを1日1時間以内にするために親に記録してもらう」
「不登校、いじめをゼロにする」……
伝統もあり親がこぞって入れたがるエリート小学校
校長が面談し、入るときから選民を行う
選民基準は親の地位-「だから、不良分子は入りません」
子供同士の付き合いは、親の学歴と地位を言うところから始まる。
同等の者としか付き合ってはいけないと親から言われているから。
それに親に引っぱたかれ、押し付けられる中を我慢して生きてきたので、
少しでも自分と異質の者に我慢ができない―「異質は排除せよ」
自分が不自由だから、自分と異なる者を憎み、けなす。
だから、無用のトラブルを避けるために最初から友達にならないのだ。
教師の役割は、このようなトラブルを避けるため生徒を監視し、ただひたすらマニフェスト達成に向けて走らせること。
何かあると、自分たちで解決できることなのに、全て“話し合い”。
何かあっては一大事。全て教師が監視する。
自分で考えるな、判断するなという「禁止令」で自律できない?
人間関係能力が育たない?
そんなことは、どーでもいい。
大切なのは、マニフェストを達成し、次の金づるを呼び込むこと。
生徒は「友達」というのがどういうものか分からない。
互いのことに無関心。学級はバラバラ―“協力”って何?
頭の中は、やるべき事で埋め尽くされている。
時の経過は、ただスケジュールをこなすためだけにある。
家では両親が待ちかまえている。また今夜も夜中の1時。
イライラする。疲れる。だるい。ボーッとする。頭が熱い。イライラする…
……
大学。ようやく解放された…と、思ったのは幻想だった。
なんと、成績表が親元へ直送だ。
親は大学の教務にねじ込む―なぜ、こんな成績なんだ。
就職に響くだろう。なんとかしろ!
教務は教授に掛け合う―なんとか甘くつけてください。
留年させず、就職率も高いのがうちのマニフェストですから…
別の親が駆け込んでくる―単位落としているから留年じゃないか。
息子と連絡が取れない、なんとかしろ!
え?それは息子さんの人生の問題でしょう…と、言いたいのだが、留年させないマニフェスト―結局、関係者が息子捜しに走る。
「親とあいたくないし、1年間頭を冷やして人生を考えたいから留年しようと思っているのに、それさえも許されないのかよ…」
……
こうして、家の中でも監視され、学校でも監視され、逸脱許さぬ監視社会
親の望む仕事に就いた先は、パワハラの世界。
やがて、見合う人と結婚。ようやく、自分にもはけ口ができた!
爆発するモラハラ、DVそして虐待。
No!これは躾け!―俺が被ってきたことに比べりゃまだまだ。
泣こうが喚こうが恨もうが、レールに乗せるのが親の役目。
親だからこそ心配し、幸せになってほしいからこそあえて厳しくするんだ。
全ては「子供のため」―努力してこそ、いい暮らしが手に入るんだ。
……
こうして家庭は崩壊し、
振り返るとそこには、ただ茫漠たる砂漠が広がっている…
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