視野が狭く、視界が曇った人
【視野・視界・視覚】---------------------------------------
保育園で、他のお母さんの様子ばかりが気になっていたお母さん。
なぜこんなにも、他のお母さんのことが気になるのだろう…自分でも不思議だった。
「それは、あなたの中に棲んでいる母親(インナーペアレンツ)が、あなたの目を通して他のお母さんを見て、あなたと比較しているんですよ」
そう言われてハッとした。
言われてみれば、いつも比較ばかりされて生きてきた。あるがままの自分を認められたことなどない。
数日後、喜びのメールが来た。
「初めて他のお母さんのことが気にならずに、わが子を見ていることができました!」
…そして、虐待が減っていった。
この方は、インナーペアレンツに自分の体を操縦されていたために、その視界の中にわが子はいず、他の母親達がいた。自分が自分の操縦桿を取り戻したとき、ようやく視界の中から他の母親が消えわが子が入ってきたのである。
このように、自分の感覚器官を親(インナーペアレンツ)に乗っ取られていることは、実はよくあることなのだ。視界が限定され、自由を失っている。つまり、同じ空間(現実)を生きてはいても、知らぬ間に親に制限された不自由な限定された生を生きているのである。
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人が血を流して倒れているのを見た青年。
同行者が騒ぎ出したのを見て、特に何も感じなかった自分はなんかおかしい?と、思い始めた。
カウンセリングを受けると、封印していた記憶が次々と蘇ってきた。
平和な家庭と思っていた自分の家庭が、実は流血当たり前の家庭だった! 幸せに育ったと思いたい自分が、見たくない事実を記憶から消していたのである。
このように、同じ事実を視覚が捉えても、人によって反応は様々だ。
そこには、自覚している差以上に、無自覚の(封印している)体験が反応の差を生む場合が多い。封印している体験を再発掘しなければ、自分の言動や感覚の「なぜ?」の謎は永遠に解けない。
が、それはとても辛い作業である。
なぜなら、その青年は、記憶に残るシーンだけをつなぎ合わせ、自分の実家こそが理想の家庭と思いこんで生きてきたのだから。
しかし、封印していたインナーチャイルドの辛さを感じてあげたときに、彼は他の人の痛みがわかる感覚を取り戻していったのである。
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五感のない女性がいた。
吐き出せない感情(インナーチャイルド)で自分の心のコップがパンパンになり爆発しそうになると、全エネルギーがその感情爆発を抑えるために費やされる(「心のコップ」のメカニズムの“五感喪失”の項参照)。
外に向けてアンテナを張るための五感にはエネルギーが向かないのだ。というのも、心のコップが一杯で、外からの情報を受け止める隙間がないし、何より1秒1秒を爆発を抑えるために、それどころではないのである。
そのため、五感の一部である視覚もおかしくなる。
距離感がつかめず、カップをテーブルに置こうとして激突させる。
電柱を避けられるだろうと思いつつ歩いていて激突する。
階段を踏み外してしまう…。
身体機能の異常ではない。
なぜなら、気持ちを吐き出していくと、これらの症状が消失するからだ。
気持ちを溜め込むことが、感覚器官にまで影響を及ぼしていることがわかるだろう。
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「自分の目で見たものしか信じない」と言う人もいるが、その目を使っているのはあなただろうか、あなたの親(インナーペアレンツ)だろうか。
また、あなたの視野は、
インナーペアレンツに狭められていないか。
インナーチャイルドを抑えるために狭まっていないか。
あなたの視界は、
インナーペアレンツに方向を決められていないか。
一杯一杯のインナーチャイルドが遮断しようとしていないか。
インナーペアレンツの支配から解放され、
インナーチャイルドを吐き出して自分が戻ってきたとき、
信じられない体験とともに、それまで自分の目がおかしかったことを実感する。
「まるで霧が晴れたように、くっきりと見える」
「自分の目が数段よくなったのかと思うくらいです」
「それまで平板にしか見えなかった風景に奥行きが出てきました」
「自然がこんなにも鮮やかで美しいとは…」
自分が「自分の目」でものを見ると、世界が変わる。
あなたの目は、“スッキリとした自分”のものですか?
(上記のことは、人によって違います。さらに、上記のようであったからといって、それが書いてある説明内容に直接結びつくものではありません。複数の事例を基に感じたことです)