生き切る-(4)友人
違うんだよ。励ましの言葉とか、解釈の方法とか、別の見方とか、そんなの自分で何通りも言葉にできてしまう。経験者だから、琴線もわかっている。
巧妙に、言葉をつむげる。してきた。
すっきりした気になっていた。
でも違うんだよ。そうじゃないんだ。いらないんだよ。
じゃあどうしたらいいのって思うでしょ?
どうもしてほしくない。
でもそれって困るでしょ?
私なら困る。
ただ聞いてって言ったって、それって負担でしょ?
だから、誰にも会いたくなくなる。自分でって思う。
結局、プロの人とともに、ってなる。
でもそれもなかなかできないこともある。
誰が悪いとかじゃないんだよ。
でも、どうしたらいいかわからないんだよ。
本に出てくるような言葉ならいくらでもすらすら言える。
でも、そうじゃない。
私がかつて自分に対して言った励ましの言葉が他の人から出たら、
もう口はつぐむしかなくなる。
結局、一人でどうにかしようって。
傍からはもう大丈夫だって思ってもらおうって。
そしたら励ましも気遣いもなくなるから。
その人の励ましの念を受け取らないでいいから。
でも、もう・・・
「私、もう生きていけないや・・・」
「私、怒ってる。」
その言葉を棒読みで言ってみた。
なんで、なんで、って何度も思った。
でもそれはもう仕方ない、言っても仕方ない。
だから、私は私に向き合おう、と思った。
でも、取り残されたものがある。
大丈夫。でもなんで。わかってる。でも、なんで、
いや、でも、だから、なんで、でも、いや、だから、
何度も何度もそうやって、ひりひりする気持ちを気持のいい言葉でごまかしてた。
私、怒っているんだ。
そう言ったら徐々に感情が出てきた。
親への怒りをぶちまけた。
声をあげて泣いた。
気づいたら、友人が黙って涙を流していた。
<続く>
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【かつて親への殺意を持っていた小学生が成人し、出逢いと喪失の激流の中で、自分の中にあった生きる力を発見し親を卒業していく物語です。多くの人の参考になると思います。許可を得て掲載させていただきました。タイトルは、痛くても、苦しくても、温かさをしってしまったから「生き切る」-現在のご本人の思いです。】