あったかい背中
やっと出した。
母に親族の状況の再確認をしたときのこと。
何しろ昭和一桁。親戚も多いし亡くなった方や老人ホームの方もいる。
で、最近ご近所との話しで多いのが、墓をどうするかという話しらしい。
「千の風になって」の歌がヒットして以降、墓はいらない派が増えているようだが、母もまた海に散骨してくれればいい、と思っているようだ。
が、父は墓を構えたいと思っているらしい。親の愛情を求めつつ得られず、すべてを一人で創り上げてきた人だからね。最後まで安心がほしいのだろう。どうも小さい男の子のイメージが出てきてせつない。
ふと、この間の男の子を思い出す。
おんぶすると、最初は堅いけどその内馴染んできた。
全身を預けてくる。そしてつぶやいた。
「あったかい…」
今度は肩車した。
「高~~い♪」
そうだね。
背中は温かくて安心するし、肩車は誇らしいよね。
私の「父の背中」の思い出は、幼き頃のとある川(?)。
水中が見えぬエメラルドグリーンで怖かったのを覚えている。
そこを、私を背負った父が平泳ぎで岩場まで泳ぎ渡ったのだ。
私は首筋辺りにしがみついていたと思う。
その時の背中を覚えている。
父は自分の父親との間にそういう思い出はないだろう…。
高度成長は、父の心を埋めるモノを提供し続けた。
働き始めた当時、1年分の給与で買った真空管ラジオ。その後、白黒テレビ、洗濯機・冷蔵庫・掃除機、3C(クーラー・カラーテレビ・自家用車)、そして持ち家と、まさに経済成長を支える購買層だった。同時に懸命に生産し続けもした。
車のセールスの他、百科事典や英語の百科事典などのセールスマンも来ていたように思う。どうせそんなの見やしないし、俺だって見ないよ、バカだな口車に乗って、と当時(小学校高学年頃)は冷ややかに見ていたものだ。
まぁしかし、それら全てのモノは、心を埋めるためのモノだったわけだ。心の餓えだから購入が止まるはずもない。親からもらえなかったストロークを人からもらうために会社人間と化していたから、買ったからとてそれらのモノで楽しむわけではなく、モノは空間を埋めるだけ。
で、最後は墓場探し…。
一億総中流の中にいることで安心を得、仕事で信頼を得ることで安心を得、最後はお墓を確保することで安心を得…。
それなりに楽しかっただろう。生き甲斐もあっただろう。
でも…
幸せだっただろうか。
安心を得るために、自分の不安を見たくないために、
ただひたすら前を向いて突っ走り続けた昭和一桁の父。
しかし、その心の奥底には両親に対する思慕の情がある。
だから、目の前の感情に向き合っていない…。
父も、ただ1回のおんぶでも経験していれば、
もっとゆったりとした人生を送ることができたかもしれない。
モノに費やすお金のエネルギーも、モノそのものも、
おんぶや抱っこのぬくもりには叶わないのです。
もう、過剰にモノは作らなくていいからね…
移ろう風を感じながら、
ゆったりと過ごそうや
なぁ、ちょび。
高校当時、よく聞いていたね。陽水。
陽水の父は、歯科医という仕事を辞めて故郷で余生を過ごそうと、古里に帰った3日後に心臓発作で亡くなった。陽水がうれしさの絶頂でなくなったと言っていたが、古里に抱かれて幸せだっただろうと思う。
転々流転してきた父もまた、故郷に帰りたいのではないだろうか…。
【井上陽水 「人生が二度あれば」】
人生は一度きり。
今生きている1秒1秒が、かけがえのない自分の人生です。
誰のせいにもできない自分の人生です。
自分の気持ちで生きれるといいね…。
親への思い
父と母
ハグされたい
(昨日の夕陽)
