動物園に見る人が失った世界(3)-生と死
■1月28日 花子がいない------------------------------
休日の朝、私の携帯が鳴った。
動物園からだ。
「花子が立てなくなった」
アジアゾウの花子が、今朝11:32に亡くなった。
昨年7月に皆で還暦のお祝いをした。人間でいえば120歳くらいの歳だった。
円山動物園が開園した昭和26年の2年後に花子はやってきた。
北海道の人が初めて見たゾウ、それが花子だ。
以来、53年間にわたって円山動物園の人気者として、市民道民に愛されてきた。
子どもの頃に初めて見たゾウが花子だった。
結婚して子どもを連れて見たゾウも花子だった。
いま、孫の手を引いて見に来たゾウも花子だ。
花子はそんな存在だった。
動物園にゾウがいなくなったことよりも、円山動物園に花子がいなくなった事実があまりにショックだ。
妹分のリリーが亡くなる時も、必死に看病していた優しい花子。
小刻みにずっと揺れている後姿が目に焼きついています。
食堂のおかみさんは今日一日中泣いていた。
ガイドボランティアさんたちも駆けつけ、券売のスタッフたちも最後の別れを告げた。歴代の飼育員や獣医も駆けつけた。市長夫妻も真っ先に駆けつけ涙を流していたそうだ。
最後は、苦しまないで逝ったといいます。
安らかで優しい顔でした。
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花子の死はとても大きなことを教えてくれました。
タクシーの運転手さんにも「花子さん」と“さん付け”で呼ばれていた花子。長い時間をかけて人々の人生とともに成長してきた花子。
こんな思いはレジャーランドではできないでしょう。動物園というものを次の世代に伝え残していくことの大切さを感じます。
花子の前では売上げも入園者数も「たかが経営」と思い知らされます。変化だのスピードだのと言い騒いでいても、肝心なことを忘れていないだろうか。
長い時間をかけてわかる大切なことがあります。それを長い時間かけて伝えていく努力を我々は忘れてはいないか、と思うのです。
■1月30日 みんなの思い、めぐる命
花子がいなくなった悲しみから、今日も園内は何ともいえない喪失感が漂っていました。
ある電光掲示板広告の代理店の方から電話があり、「花子への個人的な思いがあるので、ぜひウチの電光掲示板に追悼の言葉を流させてください」と言ってくれました。あらためて花子の存在の大きさを感じていたその時、園長が事務室に飛び込んできました。
「ガチャに赤ちゃんが産まれたぞ!」
えーーーっ!
一気にみんなの顔が明るくなった。
嬉しいニュースに心が救われた。
ガチャはチンパンジーのメス、推定40歳だ。
人間でいうと何と70歳の超高齢出産だけにみんなの驚きと喜びもひとしお。園内のお客さんたちもとっても喜んでくれました。
生まれたばかりの男の子もきっとレディと一緒に新しい人気者になってくれることでしょう。
きっと多くの市民がこの明るいニュースを待っていたんでしょうね。夕方のニュースではテレビ3局が特集で紹介してくれました。
消えていくばかりではない。
やってくる新しい命がある。
動物園があらためて私たちに生命の営みの尊さを教えてくれました。
「ほら、みんな、元気を出して!」
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ガチャはこのとき、担当の飼育員Sさんに赤ちゃんを見せに来てくれたそうです。赤ちゃんを抱いて「ホラ」って。
そしてちょっとだけ触らせてくれたそうです。信頼関係の証です。
ちなみにチンパンジーは「ヒト科」の動物なんです。知ってました?
S飼育員はいつも「まるっきり人間だ」と言います。だからこそ、類人猿にしかないドラマも起こるのです。その様子は飼育員ブログで。
http://www.city.sapporo.jp/zoo/siiku/siiku.html
(レディ2歳の映像)
*いかがだったでしょうか。
人の社会にもかつてあり、今失われている循環と思いやりの世界。とても豊かですね。
人の社会が今ねじ曲がっているとすれば、それは人の持つ価値基準が間違っているからでしょう。
「富」に価値を置き、その富を得るための「効率」を追究してきた人間。その先にもう何もないことがわかったのではないでしょうか。
自分が何に価値を置くのか。
何を大切にしたいのか。
どういう世界に生きたいのか。
それぞれが考え行動していきましょう。
KITさん、ありがとうございました。