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日本の精神医療の貧困(2)-心を看てほしい

2009/01/25(Sun) Category : 知ってほしい病
仮にホテルのように個室完備。
食堂のようなラウンジがあり、そこは誰でも自由に出入りできる。
門限はあるが外出もできる。
そのような開放的な精神病院があったとしよう。
そういう病院での想定ケースを元に事例検討してみたい。


【想定ケース1】------------------------------------------

そこに、たまたま入院してきた患者がハラッサーだったとしよう。
ハラッサーは自分の居場所を探し求めている。自分の受け皿となる人間(ハラッシー)を見つけようとする。その行為は、本人がどこにいようと変わらず続く。

そして、ラウンジで出逢った女性を退院後に誘い出し、一緒に生活を始めて、その女性が再び困難に陥ったとすれば、それは“個人の問題”だろうか。

違うだろう。
そこに辿り着く人々は、前記事で書いたとおり気息奄々かろうじて辿り着かれる方々だ。天涯孤独で藁をもすがる女性の中には、外面のよいハラッサーに惑わされる女性もいるだろう。まして親の受け皿(ハラッシー)となって生きている人が多いのだ。

だから、ラウンジなどを提供する病院は上記のことに留意しなければ、ハッキリ言ってハラッサーに“狩り場”を提供しているに等しいことになる。それは病院側の「不作為の罪」である。「期待された行為を行わないことによって成立する犯罪」を不作為犯と言うが、それが適用されてもおかしくないケースだろう。

なぜそこまで言うかというと、病院が心の治療を専門にするところだからだ。ハラッサーも心の回復が必要だ。だから受け入れるのはよい。しかし、ハラッサーとハラッシーを同じ病棟に入れるのは、アルコール依存者とお酒を同じ部屋に入れて閉じこめるようなものだ。治療効果がないどころか、悪化させるのである。

このようなことは専門家でなくてもわかるだろう。まして心の専門病院であれば、その入院者がハラッサーなのかハラッシーなのかは、最初にじっくりと(世代間連鎖の)カウンセリングすればわかることである。病棟を分けるくらいの対策は最低でも必要だろう。



【想定ケース2】------------------------------------------

上記のケースで、さんざんハラスメントに逢い、ハラッサーのことをよく理解している女性にとっては、入院ハラッサーが音を立てて歩き回るだけでフラッシュバックが起こる。

ハラッサーは、そこにいるだけでズカズカと存在を主張してくるので、かつての被害者には耐えられない。病院側は、「同じ入院患者だから」と諭し、「あなたの被害妄想」と受け流し、「社会復帰の訓練と思って」と蓋をするのだろうか。

ここでは、そもそもなぜ入院してくるのかを考えなければならない。
前記事、および『自分との闘い方、背骨の作り方』で見るとおり、入院するのは本人が自分と徹底的に向き合うためである。そのためには、心の解放がまず第一なのだ。それゆえ俗世から隔絶された空間をわざわざ選ぶのだ。

しかし、そこが心が安心できない空間であれば意味がないだろう。心の治療を求めてくる患者にとって、そこがどんなに施設的に整っていても、心が安心できない空間であれば全く意味をなさないのである。

心が安心できる環境とは、実に「人」なのである。
医者、看護士、入院者を含めて、人に安心できなければ、毎日高いお金を払って入院している意味はないのだ。

癒しに行ったはずの病院で緊張の日々を過ごさなければならないとしたら、わざわざ2次被害にあいに行ったも同然。お金を返せと言いたくもなるだろう。



【想定ケース3】------------------------------------------

たとえば、リストカットの衝動に耐えきれず部屋で喫煙した入院者がいたとする。もちろん、刃物の持ち込みは厳禁。タバコは喫煙場所でしか吸えない。

この事実を知った病院側が、ルールを盾に室内チェックをし始めたとしよう。さらに、この件をきっかけに全室の室内チェックまで始めたとする。これをどう判断するだろうか。ここが心の治療の場であるということを念頭に置いて考えていただきたい。

闇雲にルールを押し付けるのはハラッサーと何ら変わるところがない。室内を勝手に探られることも、自分の心に土足で入り込まれるのと変わりがない。そもそも部屋は心だ。これでは新たなハラスメントに遭っていることになる。それに、何か規律に外れることがあると監視が強化されることを知った入院者達は、ますます心を閉ざすことになる。

闇雲に押し付ける前に、まず「聴いて」みよう。
今の社会の隅々まで及んでなされていないことが、この「気持ちを聴く」という行為だ。まして、心のケアをする病院ならば、まず真っ先にそれをすることが本筋だろう。というよりも、そここそが仕事の本体だ。

聴いてみると、たとえばリスカの衝動に耐えきれず喫煙したことがわかる。次に、喫煙場所の時間制限がとても早くて部屋で吸わざるを得なかったことがわかったとする。すると、対策は違ってくるだろう。入室チェックではなく、喫煙場所やその時間制限を変えるという対策になるだろう。

何より、衝動は溜め込んでいる気持ちから来る。このように聴く姿勢を持ち、話を聴いてくれるだけでラクになるのだ。

精神病院は、「心を看る」ところである。
心を看るとは、気持ちを聴く+行動を観察する ことだ。
全ての言動は、その人の心のサインなのである。


------------------------------------------------------
さて、3例ほど想定事例で検討してみたが、未だ閉鎖病棟が多いため、開放病棟があるだけでも先進的に見なされているのが日本の現状だと思う。
しかし、日本の心理業界はまだまだ黎明期。精神医療も診断して薬を処方し、後は勝手にどうぞというところが多い。しょせん、病院=薬という位置づけで運営されているところが多いのだ。

政府は定額給付金などバカなことをするくらいなら、「信貴山縁起絵巻」に出てくるような場(↓)を公的に設けたらどうか。
http://nakaosodansitu.blog21.fc2.com/blog-entry-520.html

そこで自分と格闘した人は、いろいろなことにパワーを与えることのできる人材となって社会復帰するでしょう。


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ハラッサーの罠かな?

言っていいものか?迷いに迷っていた私ですが…。(一昨年から、心の病や精神医療などを調べていて、とても恐くなった。それで不安定にもなった…。)

親の回復は(自律とは少し違うかな?)私が傾聴し続けたからです。私は子供なので、本当の傾聴ではないですが…、確かに受け止めるだけで安定しました。もちろん、それは道具です。私は鬱症状を、ずっと抱えています…。

私は親を背負い、小学生の時なんて、心が般若でした。ブラックホールを認識していました。…言葉にならず、咳や給食が喉を通らないという、苦しみの表現をしても、聴いてくれる人は居ませんでした。だから般若になったのです。…あまりの苦しみに、卒業と同時に「まっいっか~」と捨てました。しかし、パンドラの箱にして、封印してただけみたいです…。結局鬱症状は、あらゆるカタチで表現されていました…。

つまり体験上、薬で治す類ではないと知っていました。だから、「何もしない」宣言をしたのです。でも結局、周りはハラッサーだらけなのか?ゲームに巻き込まれて行きました…。

子供に出来たことを、何故出来ないのでしょうか?何故追い立てるのでしょうか?ただ疲れているだけなのに…。コップがいっぱいなのが、見えないのでしょうか?あんなに表現しているのに…?

私達を悪化させたのは、誰なんでしょうね?

私は問いたい。

だから、年賀状に書いたのです。

「心」について。

抑圧された大きな赤ちゃんたちへ…。

私は、彼等に向かって叫びたかったのです。

生きてるか!まだ心は生きているのか!

(ふと思う。吐き出す相手は合っていたのかも?絶望を与えてくれて、感謝すら湧く。理解されたい気持ちが、落ち着いてきた。そしてここには、理解者が沢山いる。…何より、吐き出しを否定し家族自慢で応戦した、自分を守ろうとする、健気な憐れな子どもが見えた…。)

それから、三角形に介入してしまったイトコにより、また衝動そして押し付けをした(それで不安定になった…)、家のハラッサーへ知識を注入しています。(なかなか難しいですが…)

憐れな大きな赤ちゃんだらけ…

全ての人間に、病や苦しみの意味を理解してほしいですね…。

根本を見ないで、ドーピングし過ぎるのは、よろしくないですよね?

何の為の医療だろう…

 

行かなくて良かった

初めてコメントします
良く参考にさせて貰っています。

うつ病でどんなに苦しくても病院に行かなかった事、治った今となっては、薬漬けにされなかったからこんなに早く完治したのだと、命拾いした気分でいっぱいです。
行かなかったのは、単にカウンセリング代が払えないという事情もありましたが(笑)

「薬出しておしまい」な病院のあり方に強烈な不信感があり、医者も信じられないし、眠れなくて辛くても、好意でいただいた一般市販の睡眠薬も、どうしても飲む気がしませんでした。
私は精神的な事では病院に行ってないのに
「病院なんか行ったって薬漬けにされるだけ…」と息ができなくなって暗転する夢まで見ました。
余程前世か何かで嫌な目に合ったんでしょうか(笑)

精神科医の話を聞くと、ホントにそんな事が?と思う位傍若無人な話も聞きますが、辛くても病院に行かないという選択もある事を知っていてくださいね。
もちろん、発作的な自殺衝動がない場合に限りますが。
私は死にたかったけど、死ねませんでした。
家族はそんな私を責めるばかり。友人にも理解者はいません。
でも、乗り越えて完治しています。
ひたすら自己分析して自分と向き合いました。


 

全く同感

眠れない、落ち着かない、動悸がする→うつ病と診断。薬の処方。
モラハラの被害者でもあったのでその後遺症だと思い、薬を飲み続け。
ACだと気付き、だからこんなにも苦しいんだ…と主治医に訴えたら、「あなたは変わった。考え方が子供だ」と。変わったのではなく「気付いた」のだと言っても、「過去は過去。今は今」と言う。
…それでは私の心のコップはいっぱいのまま一生うつ病患者…
パンドラの箱をあけてしまった私の苦しみになぜ心を寄り添わせてくれないのか?
自分との闘いは過酷。眠れなくては生きていけない。
諦めて、モラハラ後遺症のフリをして「眠れない」と言い続け「薬を処方」してもらうために病院に通う。
言っても無駄。言うと医師がペアレンツに見えてくる。ハラッサーに見えてくる。
今まで生きてきた世界がグニャリと歪む。
なんだかなぁ…と思う日々です。

 

精神科医はハラッサー

こっちがどんなにつらいか、とか、心から聞こうとする医者なんて会ったことないよ。

医者はどんな薬が患者に合うのか提供するのが仕事。

入院患者にルールを押し付け、その責任は親族に取らせることを前提にしないと入院も許可しない。

暴れると縛られて注射で眠らされる。

その度に家族に了解を求める(自分達で責任取れないからね)

カウンセラーの話をしても、ぽか~んと馬鹿面してるんだものね。

心を薬で治せるはずなどない。
人の話も聴けない医者だらけ。

 

中尾さんのブログ内容に大賛成です。息子の問題が生じ、精神科にも受診させた母親として、ずっと現在の精神科に疑問をもっていました(自分は医師でもあります)。中尾さんのようなアプローチが最も大事で、本質的。精神科医は、まあ原因をいまさら取り立てても仕方ありませんから、と家族間の問題などは全く取り上げませんでした。自己愛型人格障害とか、様々な診断名がつき、抗うつ剤や、精神安定剤が処方されます。最近は、脳内物質の分泌状態を計測し、科学的に解明するといった仕事もあるようですが、当人の気持ちは捨て置かれるだけです。脳内物質などはあくまで、現象をみているだけで、原因は捨て置かれています。脳内物質を補充すれば、心の苦しさは軽減されるのでしょうか。崩れた壁h修復せず、ただ外側に塗り重ねているだけです。私は、多くの精神病といわれている患者さんは本当に正しい診断がくだされているのだろうかという疑問を感じ始めていました。リストカットをする息子をみているのは本当に苦しい日々でしたが、母親が自分と向き合わなければ、この連鎖は絶つことができない。苦しむ子供を感じながら自分とまず向きあう作業には苦しみましたが、ようやく落ち着いてきた感があります。中尾さんのようなアプローチが多くの人を救うこととなります。多くの人が気付くことができますように。中尾先生頑張ってください。

 
    
 
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