日本の精神医療の貧困(2)-心を看てほしい
食堂のようなラウンジがあり、そこは誰でも自由に出入りできる。
門限はあるが外出もできる。
そのような開放的な精神病院があったとしよう。
そういう病院での想定ケースを元に事例検討してみたい。
【想定ケース1】------------------------------------------
そこに、たまたま入院してきた患者がハラッサーだったとしよう。
ハラッサーは自分の居場所を探し求めている。自分の受け皿となる人間(ハラッシー)を見つけようとする。その行為は、本人がどこにいようと変わらず続く。
そして、ラウンジで出逢った女性を退院後に誘い出し、一緒に生活を始めて、その女性が再び困難に陥ったとすれば、それは“個人の問題”だろうか。
違うだろう。
そこに辿り着く人々は、前記事で書いたとおり気息奄々かろうじて辿り着かれる方々だ。天涯孤独で藁をもすがる女性の中には、外面のよいハラッサーに惑わされる女性もいるだろう。まして親の受け皿(ハラッシー)となって生きている人が多いのだ。
だから、ラウンジなどを提供する病院は上記のことに留意しなければ、ハッキリ言ってハラッサーに“狩り場”を提供しているに等しいことになる。それは病院側の「不作為の罪」である。「期待された行為を行わないことによって成立する犯罪」を不作為犯と言うが、それが適用されてもおかしくないケースだろう。
なぜそこまで言うかというと、病院が心の治療を専門にするところだからだ。ハラッサーも心の回復が必要だ。だから受け入れるのはよい。しかし、ハラッサーとハラッシーを同じ病棟に入れるのは、アルコール依存者とお酒を同じ部屋に入れて閉じこめるようなものだ。治療効果がないどころか、悪化させるのである。
このようなことは専門家でなくてもわかるだろう。まして心の専門病院であれば、その入院者がハラッサーなのかハラッシーなのかは、最初にじっくりと(世代間連鎖の)カウンセリングすればわかることである。病棟を分けるくらいの対策は最低でも必要だろう。
【想定ケース2】------------------------------------------
上記のケースで、さんざんハラスメントに逢い、ハラッサーのことをよく理解している女性にとっては、入院ハラッサーが音を立てて歩き回るだけでフラッシュバックが起こる。
ハラッサーは、そこにいるだけでズカズカと存在を主張してくるので、かつての被害者には耐えられない。病院側は、「同じ入院患者だから」と諭し、「あなたの被害妄想」と受け流し、「社会復帰の訓練と思って」と蓋をするのだろうか。
ここでは、そもそもなぜ入院してくるのかを考えなければならない。
前記事、および『自分との闘い方、背骨の作り方』で見るとおり、入院するのは本人が自分と徹底的に向き合うためである。そのためには、心の解放がまず第一なのだ。それゆえ俗世から隔絶された空間をわざわざ選ぶのだ。
しかし、そこが心が安心できない空間であれば意味がないだろう。心の治療を求めてくる患者にとって、そこがどんなに施設的に整っていても、心が安心できない空間であれば全く意味をなさないのである。
心が安心できる環境とは、実に「人」なのである。
医者、看護士、入院者を含めて、人に安心できなければ、毎日高いお金を払って入院している意味はないのだ。
癒しに行ったはずの病院で緊張の日々を過ごさなければならないとしたら、わざわざ2次被害にあいに行ったも同然。お金を返せと言いたくもなるだろう。
【想定ケース3】------------------------------------------
たとえば、リストカットの衝動に耐えきれず部屋で喫煙した入院者がいたとする。もちろん、刃物の持ち込みは厳禁。タバコは喫煙場所でしか吸えない。
この事実を知った病院側が、ルールを盾に室内チェックをし始めたとしよう。さらに、この件をきっかけに全室の室内チェックまで始めたとする。これをどう判断するだろうか。ここが心の治療の場であるということを念頭に置いて考えていただきたい。
闇雲にルールを押し付けるのはハラッサーと何ら変わるところがない。室内を勝手に探られることも、自分の心に土足で入り込まれるのと変わりがない。そもそも部屋は心だ。これでは新たなハラスメントに遭っていることになる。それに、何か規律に外れることがあると監視が強化されることを知った入院者達は、ますます心を閉ざすことになる。
闇雲に押し付ける前に、まず「聴いて」みよう。
今の社会の隅々まで及んでなされていないことが、この「気持ちを聴く」という行為だ。まして、心のケアをする病院ならば、まず真っ先にそれをすることが本筋だろう。というよりも、そここそが仕事の本体だ。
聴いてみると、たとえばリスカの衝動に耐えきれず喫煙したことがわかる。次に、喫煙場所の時間制限がとても早くて部屋で吸わざるを得なかったことがわかったとする。すると、対策は違ってくるだろう。入室チェックではなく、喫煙場所やその時間制限を変えるという対策になるだろう。
何より、衝動は溜め込んでいる気持ちから来る。このように聴く姿勢を持ち、話を聴いてくれるだけでラクになるのだ。
精神病院は、「心を看る」ところである。
心を看るとは、気持ちを聴く+行動を観察する ことだ。
全ての言動は、その人の心のサインなのである。
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さて、3例ほど想定事例で検討してみたが、未だ閉鎖病棟が多いため、開放病棟があるだけでも先進的に見なされているのが日本の現状だと思う。
しかし、日本の心理業界はまだまだ黎明期。精神医療も診断して薬を処方し、後は勝手にどうぞというところが多い。しょせん、病院=薬という位置づけで運営されているところが多いのだ。
政府は定額給付金などバカなことをするくらいなら、「信貴山縁起絵巻」に出てくるような場(↓)を公的に設けたらどうか。
http://nakaosodansitu.blog21.fc2.com/blog-entry-520.html
そこで自分と格闘した人は、いろいろなことにパワーを与えることのできる人材となって社会復帰するでしょう。