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生きづらい人(2)-ダメを目指す人生脚本

2009/01/27(Tue) Category : アダルトチャイルド
インナーペアレンツ(ドライバーや禁止令)が、自分の中から自分を監視しているので、たとえば何かしようとしてもやめようとしても、ああだこうだとチェーンシンキングしてしまう。その思考の鎖にがんじがらめにされ何もすることができない。

「自分の思いで行動させない」こと
―それが、自律を妨げるインナーペアレンツの役割だ。

また、「自分は何をやってもダメ」という人生脚本を形成している。
なぜなら、ダメであることが親に認められる条件なので、親に愛されたい自分は、自分をダメにしてしまうのである。

一見変に聞こえるかもしれないが、親の意向に沿って子が生きるという鉄則は変わらない。親は自分がダメ人間であることにストロークをくれるので、親からストロークをもらいたいためにダメ人間として生きるのである。



親との関係の中から作り上げた人生脚本に沿って人は生きる。そのため、「自分は何をやってもダメ」という人生脚本を創った人は、自分をダメにする事実を選択し、自分をダメにする人間を呼び込んでいく。

交流分析的に言えば、AC(アダプティッドチャイルド=抑圧された子ども)の強い人は、CP(クリティカルペアレント=批判的な親)の強い人をフックする(引っかける)。もしくは相手の中のCPを引きずり出して、自分を責めるように仕向けていく。

あるいは、ストローク飢餓にある人がストロークを得るために仕掛けるものをゲームというが、無意識のうちに自分をダメと言わせるゲームを仕掛けていく。そのゲームの繰り返しの中で、人は自分の人生脚本を確認していくのだが、何しろその脚本は自分を否定する脚本だから苦しさは募っていく。



一方で、吐き出せないままに「心のコップ」にたまっていく感情は、吐き出し先を求め始める。吐き出したい感情のうち大きなものは、ディスカウントされたことへの怒りだ。その怒りは親に向けられるべきものだが、意識化されないことも多い。

やがて、怒りは出口を求めて抑え込もうとする自分をも飲み込み始める。そして、怒りを吐き出すための大義名分を得るための理論武装をし始める。理論武装ができようができまいが、「心のコップ」が臨界に達したとき人はたまった感情に突き動かされて行動してしまう。

(*尚、生きづらさを抱えている人が、全てそうなると言うことではありません。念のため)



------------------------------------------------------
結局、自分が自分の作った人生脚本に巻き込まれていってしまうのだが、事件を起こした人の中には、そのような苦しみを抱えていた人も多いと思う。どのように自分が自分を絡め取っていくのか、下記を読んでみてほしい。

元グラドル木村衣里DV殺人事件(1)-犯罪臨界は10年
加藤智大容疑者の心の闇(5)-自己概念の循環効果
リアリティとは(2)-「レッテル貼り」が不幸を呼ぶ




------------------------------------------------------
自分が、自分のインナーチャイルドを救わず、かつ存在不安を抱えたまま親になることは、これほどの害を我が子及び社会に与えるのだ。

自分と自分の感情の信頼がきれ(感情がわからず)、
自己表現が禁止され(言葉や表現、表情がうまくできない)、
その人生脚本を歩く中でスタンプ集めをし、やがて世間をも恨んでいく…。


以前から言っているが、第一世代は存在不安の世代だ。
現代の社会の中核をなす第二世代は、大なり小なり上記に書いたような育てられ方をしている。さらに、その祖父母と父母の世代が第三世代に襲いかかっている。第三世代から、親や世を恨む事件が起きる理由もここにあると思う。

私たち第二世代は第三世代を救うために、社会システムの奴隷となることをやめなければならない。土俵から降りよう。





苦しまれている方へ。
あなたはもう十分、親(飢えた荒ぶる赤ちゃん)の面倒を見てきました。
もういいのです。ありがとうございました。

親は完結しています。
残念ですが、あなたが入り込む余地はありません。

あなたはあなたの世界に生きましょう。
そのためにまず、親から離脱してください。

離脱のための最大のポイントは、親への未練を断ち切ること。
そして、自分と闘い、背骨を作り、人生脚本を書き換えましょう。
http://nakaosodansitu.blog21.fc2.com/blog-entry-1448.html





つい最近も、無意識のうちに親を背負い、疲れ果てて、それでも自分を責める…そういう若い人の姿に接して、思わず涙が出ました。泣けて仕方がありませんでした。親に変わって謝りたい。

ごめんなさい。


親を捨てなさい。


どこかで私が見守っている。
私のブログに来る人々も、心の底で支え合っている。

親に愛されなくても(それはあなたが悪いのでもなく、親が悪いのでもなく、親が飢えた赤ん坊だったというだけ…)、外の世界にはたくさんの愛があります。そこでは、個性を生かすことができます。

あなたの体験も、あなたしか体験できなかったユニークな(唯一無二の)個性。その個性を活かせる場所があります。



今はただ、この歌を贈ります。



Metis「手をつなごう」



一歩を踏み出せばきっと君の世界は変わるから











【追記】
この記事を読むと、人生脚本が自分を苦しめていると思われると思いますが、人生脚本は、親という環境下で生き延びるために必要だったものです。それがなければ、生き延びることができなかったかもしれません。
また、人生脚本は、親の望みを叶えるため、親を救うために形成した部分もあり、その背景にあるのは愛情です。つまりそれがどのような脚本であろうとも、あなたは愛情深い人間だということです。
その自分をどのように救っていくのかについては、下記をご覧下さい。
「第二の誕生」の仕方







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無意識にとっている行動にも責任をとることのように思える

気づくほどに仕掛人な私。
うーん、脚本と飢餓がコンビを組んでるように思う。
ダメであると、怒られるから。

うちの教育方針は、ある意味では超英才教育だったのね。
人の心をへし折るための、あるいは、人から怒りを引き出すための、あらゆるやり方を学ばせて頂いたらしい。
ただのドMな天然ドジっ子じゃないんですよ。
悪意の塊なんだわ。

「うっかり手が滑って」やる。やっちまう。
「よかれと思って」やる。やってあげる。
「悪気なく」やる。むしろ怒られるときょとん。
「平然と」やる。あたりまえのことだから。

…ごめんなさい。
そういいながら、こっそり舌を出しているときもある。
↑な私にマジでごめんなさい。

その背景にあるものを、まだ把握しきれてない。
しっかりしがみついている自覚もまだ薄いかなあ。
こんな旧システム、要んないんだけどな。

今年に入り母からの干渉が始まった。
今度は妹を使って住所を聞き出したいらしい。
絶対に教えないよ。
アリジゴクから逃げんなと言いたいこと。
追いかけて来ているのは感じる。

私はアリではないので、あなたの巣穴には入りきらないよ。
私もアリのふりはやめたいので。

 

この脚本
どうしても、ダメ人間になりたいらしい
どうしても、親しみのある人から嫌われて
突き放されたいらしい
完全自動実行


人と繋がるのが恐い
背筋が寒くなって
怖さでなにも考えられなくなる

この脚本を
理解したい

なんであなたは、そんなに忠実に
頑張ってるの?

苦しいよ、、、

 

感謝

>つい最近も、無意識のうちに親を背負い、疲れ果てて、それでも自分を責める…そういう若い人の姿に接して、思わず涙が出ました。泣けて仕方がありませんでした。親に変わって謝りたい。

ごめんなさい。
親を捨てなさい。
どこかで私が見守っている。


この文章を読んで泣き崩れました。やっと自分の気持ちを受け止めてくれたという思いがありました。それと共にどれだけ
親の暖かい愛情を欲していたかわかりました。

ありがとうございます。

 

中尾さんへ

「生きづらい人」、確かに増えていますね。ただ、その「生きづらさ」を家庭というカテゴリーのみを独立させて語ることの「無理」に関して、中尾さんはどう思いますか?人間の自我、自己像というものは、この世界に存在する全ての自己との関係性の中で固定化、又は変動してゆくものです。他者から自己への影響、自己から他者への影響、マイナスプラス、強弱、持続性、頻度、様々な副次的要素がそこには付随していますが、無限に等しい各因子同士の関連性、その混沌としたネットワークを把握することが実質的に不可能である以上、「生きづらさ」の原因の特定は、1つの立場からの極めて狭い個人的見解、解釈以上の意味を持つことはありません。個人の歪みは親が作る、親の歪みは祖父母が作る、歪みの連鎖が家庭という閉塞的空間の連鎖関係の改善のみで完結する類のものなら、(つまり問題となる要素数の比重が極端に家庭に傾いているものなら)「家庭から見る」という行為は成立しますが、そもそも家庭問題に比重が傾いているという判断を下すことが可能な状況というものが、この世界に一体どれだけ存在するでしょか?混沌としたネットワークを短絡的に解釈しない限り「家庭から見る」などという行為そのものが成立することはありません。家庭問題によって歪んだ個人が、ストレスのキャパシティーを超えて暴走した場合、この暴走の原因は家庭というカテゴリーを独立させて分析することは不可能です。ストレスを吐き出す場所を設置しない社会、学校なら、生徒の異変に鈍感な、あるいは作為的無視を決め込む教員、歪んだ人間の「歪みざるを得なかった背景」を考慮せず、孤立させる他者、現在の社会主義的システム等、そうした原因が複合的に絡み合って、最終的に個人は暴走します。それらの要素の比率(実際に要素数は無限に等しいですが)が厳密に把握出来ない以上、「家庭が最も重要な要因」であるという判断を下すには慎重さが必要だし、判断を下すなら、それ相応の「具体的根拠」の記述は必須でしょう。中尾さんの主張はそれら複合的要素を客観的に分析した結果「家庭原因説」にたどり着いた、というよりも、「家庭原因説」という前提に立った上で、「家庭原因説」に正当性を持たせる為の根拠を探し出しているように僕には思えますがいかがでしょうか?もちろん、他の記事において、家庭外の問題に関する考察を記述していることは事実です。しかし、そのほとんどが最終的には具体的根拠もなく「家庭」に帰結しているのは、単なる偶然か、それとも僕の読み込みが甘いのか。(最近では、デスノートの夜神月に対する解釈なんかはそう感じた例ですね。)「社会は個人の集合体、→社会が病んでいるのは、社会を形成する個人の過半数に問題があるからだ、→個人の根本的自我は親という個人によって形成される、→究極的原因は家庭である」このような短絡的分析は、A→Bへ、B→Cへという一方的連鎖の構図にしか解釈出来ませんが、実際の関係性はA→Bへ、B→Aへ、B→Cへ、C→Aへ、A→Cへというように、複雑な相互関係の中で成立、機能しています。その相互関係の中で影響力を持った因子、与えあ合う影響のバランス、そうしたことを徹底的に分析した結果の自論ですか?原因というものは、原因を追究する思索の過程で(一種の悟りからか、現時点での能力の限界からか、理由は様々でしょうが)思索を打ち切ったポイントの結論に過ぎません。徹底的に追究すれば「原因の原因の原因・・・・・・」と無限に発展、又はループするのが自明でしょう。加えて、原因を追究する「立場」の強弱というものが、把握をより一層困難なものにします。たとえば特定の宗教的、超越的観点から分析するなら、「人間は全てを自分の意思で選択して生まれてきた→悲惨な家庭環境も自身が誕生した社会も、全ては意味のある自身が選択した環境である、→環境が劣悪であろうと、自身の選択である以上恨むのはお門違いだし、むしろ自身の「意味」に協力してくれた他者に感謝すべきだ」極端に言えばこうした非常識的解釈も可能になるわけです。中尾さんとは、もう何度もお話していますが、最も重要なポイントで話が噛み合わなくなる理由は、こうしたところにある気がします。自身の思想の世界から出て、相手の思想の世界に剥き身で飛び込もうとしない。あくまで「中尾さん」というフィルターを通して僕という世界の分析をする。何らかのテーマで議論をした時も、「それは無意識が作用しているんだ」などと、議論を根本的に破壊する行為を、中尾さんはよくされますね?「それは無意識の影響だ」と言われてしまえば、そこで話が終ってしまうし、「無意識が作用している根拠」も中尾さんは何ら述べません。論理の上では、大概僕が論破してしまいますから、「無意識」以外に反論の余地がない、という単純な、そして条件反射的な理由なのかもしれませんが、それでは、世代間連鎖では語れない僕の問題に答を出すことは永久に出来ないでしょう。それから、最後に、「親を捨てなさい。私のブログに来る人々も、心の底で支え合っている。親に愛されなくても、外の世界にはたくさんの愛があります。そこでは、個性を生かすことができます。」という記述に関して。親を捨てる、親への未練を断ち切る、そうした行為は「親に奪われた時間」に対する清算を彼等自身にさせた上での成立になりますが、僕にとって清算とは以前も書いたように最悪の場合殺すことにもなりかねないものです。そして、僕が渇望する愛は「無償且つ無限且つ永遠の愛」ですから、この地上には存在しません。(人間である以上、愛とは崩壊の危険性を常時内包した不安定なものです。でも、僕はその不安定さの中に、不完全さ故の不確定要素にウンザリしています。愛を保持する為の半永久的的な苦労の煩わしさから、僕は孤独を意識的に選択したんですから。)自殺志願者にとって、殺人志願者にとって、「心の底の支え合い」などというものは何ら効果を発揮しません。今まさに自殺(殺人)を試みようとしている人間に、「君を遠くから応援しているよ」「自殺(殺人)したいほど苦しくても、頑張って生きている人が大勢いる」そんな言葉がどれほどの重さを持つでしょうか?「じゃあ、皆は頑張って生きてください。私はもう限界です」それで終わってしまう話でしょう。僕は言葉や抽象的精神論には何の魅力も感じはしません。(何らかの気付きを与える論理的な会話を除く。)「物理的、具体的に、何が出来るか?何が必要か?」僕にとって重要なのはそこだけです。そして、「何が必要か」を見極めることは、「世代間連鎖」、「家庭原因説」、「無意識の多用」そうしたフィルターを破壊しない限り不可能でしょう。

 

まるこさん、ありがとうございます。

お子さんの絵、凄く良いですね!って変な表現かな?そしてやっぱり、子供はエネルギーを与えてくれますね。いいなぁ。しかも、羨ましい思春期を過ごしています。

私はボロボロになってしまったし、罪悪感いっぱいでした。…納骨以来、お墓参りさえしてないんですよ。「出来ない」が正しい表現かなぁ?彼等(関わりの薄かった親戚)に会うと、固まって何も言葉が出なくなるんです。わがままなんだと、自分が色々出来ないのが悪いんだと、ずっと思っていました。(そちらとのやり取りは、途絶えたようです。まだ気にしていますが…)

近しい親戚にも「お姉さんかわいそう」などと、母の法事をしないことを指摘され、母が私達を苦しめているのか?とすら思ってしまいました。実際、この世とあの世の関係なんて、私にはわかりませんからね。(しがみついているのかも?)

先生、私も泣きました。久しぶりの号泣です。ありがとうございます。読んで救われている人が、沢山いるんだと感じました。親を捨てるって、大変な作業ですね…。私は知らないことが多くて、物から情報を得ようとしていました。そして、コピーしようとさえしていました。今は、捨てた分(家も祖父母の物も)楽になってきました。本当に凄い量でした。まだ残っているので、捨てたほうがいいみたいですね。一気に!とはいかないものですね(親戚の禁止令もありましたし…)。知って納得して捨てるって感じでした。もしかしたらあの作業も、心で繋がる「親交」なのかな?と感じました。

知らないと納得出来ませんね。気持ちや状況を言うって大事ですよね。説明が無いと、読み取らないといけなくて混乱するし、支え合うことも出来ません…。矛盾を解くだけで疲れてしまいます。そして、連鎖してしまいます…。

だから、まるこさんのブログ記事を読んで、ほっこりしました。ありがとうございます。それと、感情爆発も気になりました。書くだけではなく、物に感情をぶつけて壊す。感情を込めるのがポイントなのかな?と感じました。ただ捨てるのではなくて、感情を込めて一緒に捨てる。それが昇華に繋がるのかな?と。ありがとうございます。

私は、インナーペアレンツに負けっぱなしです。せっかく愛が湧き(本当に凄かった)、自分を取り戻したのになぁ…。混乱して、不安に負けました。

 

フック

いろんな言葉にうなづきながら拝見しました。
ACとCPのフック…考えさせられました。
自分の事として、息子の事として。
ゲームはもうたくさんです。自分がゲームを続けている限り、子供を道具にし続けることになるのだと。
周囲からの波状攻撃にボロボロになりそうです。
罪悪感でいっぱいになります。
罪悪感から逃れる術として「私は冷たい人間なんだ」と思いそうになる自分がまだまだなんだ…と。

もっともっとわがままになってみます。
私は私を諦めません。
いつも気づかせてくださってありがとうございます。

 

拙詩に続いて

「江東区で起きたバラバラ殺人事件にはおそらく関心をお持ちですよね?」
という書き出しでコメントを寄せようと思っていましたが、
長くなりすぎてしまいました。
それは自分のブログに上げることにしました。
「“私” とは誰? “私” の素材は ―― ‘100%ワタシ’ なのか?」という一文です。よろしければご一読よろしくお願いいたします。
コメントのテキスト欄でURLを出してもいいのでしょうか?
トラックバックってどうやったらいいんでしょうか?
こういうコメントの寄せ方はおそらく無作法なものなのでしょうね。
お邪魔しました。

 

私の歌

記事に全く即していないような、拙詩を披露させていただいてよろしいでしょうか? 
(返事を頂く前に、投稿してしまいます!
私は機能不全家族に育ち、社会一般のマナーもネチケットもわきまえてはいません。)

詩が少し出来たところでその詩をつぶやいてみたところ、自然とメロディーがつき、
今度はそのメロディーに更に詩をつけて一応の完成品としました。
(音楽的には不具なのかもしれません。詩のほうも。)

20年以上前に作ったもので、
その時は世の中一般のことを歌ったつもりでしたが、
今読んでみると、私と父との関係を歌っているようにも思えます。
だから、今回の記事と全く関係がない訳でもないかもしれません。



『四つの問い』


彼は戦争も知らないが愛も知らない ――なぜ?

彼は恋人がいるけれど恋をしてない ――なぜ?

彼は苦しみを知らないが幸せじゃない ――なぜ?

彼は恵まれてるけれど満たされてない ――なぜ?

――なぜ?


あなたの築き上げた 大事なものを
あなたの子供たちは
嗤いながら
蹴り壊すでしょう


彼は苦しみを知らないが幸せじゃない ――なぜ?

彼は恋人がいるけれど恋をしてない ――なぜ?

――なぜ?


あなたの孫の孫は
あなたのことを
――あなたの名前も、生きざまも――
知ることはないでしょう


彼は戦争も知らないが愛も知らない ――なぜ?

彼は恵まれてるけれど満たされてない ――なぜ?

――なぜ?



 私も、私の歌を歌いたい。

 
    
 
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