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「いい子」の病の克服-アダルトチャイルド(AC)及びその家族の再生

2009/02/02(Mon) Category : 心の闘い物語
下記2編の続きです
1.原初的トラウマ-誕生の恐怖-の克服
2.暗闇恐怖の克服




心も体もすり減らす生き方をしてきた。
無意識の怒りをいろいろな活動にぶつけ、周囲を巻き込み、
「忙しい」が口癖で、ストレスと過労で倒れることもしばしば。

自分を犠牲にし、気持ちはないものとして我慢して無理して生きる
その生き方は親子関係で身についたものだった

親と自分の関係は、人と自分の関係にスライドする。
常に相手に会わせ、尽くす。
自分は大切にせず、疲れ果てる。

その生き方以外を知らない
自分を変えたいと思いつつも、暴走列車は止まり方がわからない


----------------------------------------------------
突っ走る暴走列車の最後尾が、ついにレールを外れた
子が不登校になったのだ

これまでレールを外れたことがない列車は脱線する不安で大パニック
まして、止まったことがないから、止まるということ自体が恐怖

運転席では夫婦が離婚寸前のバトルとなり
「不安」と「恐怖」を見たくないために、強引に最後尾をレールに乗せようともした


----------------------------------------------------
が、子どもの必死の抵抗にただならぬものを感じ、市の教育相談へ。
母親としてのプライドは砕け散り、ボロボロになり、子どものサインを見ることのできなかった自分を責め、苦しんだ。

しかし、自分を責めているうちは悩みの主体は自分―子どもは救えない。落ちるところまで落ちて初めて、学校に行くことができない子どもの辛さを理解した。

わが子を理解したとき、自分こそがアダルトチャイルド(AC)だと自覚
勉強、スポーツ、学級委員、友人も多く、先生からも信頼され、親にとっては手のかからない「いい子」だった私

しかし、新しいことにはいつも「不安」と「恐怖」を感じている臆病な子
いつも周りに合わせていたため、道の選択の場面で、自分の欲求がわからない人間…「私」って、誰?



----------------------------------------------------
母に甘えたかった!!
この気持ちを発見し、その気持ちに蓋をしてきたことに気づいた時、
怒りが濁流のようにあふれ出た

心の底から母を憎み、その憎む辛さから逃れたい思いと、母を憎んではいけないという思い―三つ巴の葛藤の中で苦しみ、思い余って人に話すと、「お母さんも大変だったのよ」


うるせえ!!!
そんなもん私が思い続けてきたんだ!!!!
だから、甘えることをあきらめ、いい子であり続けたんだ!!!!!

したり顔で諭すんじゃねぇ!!!!!!!!!!!!!!!!!


こんなことならいい子じゃなく不良になればよかった!
親を困らせ、私を見させればよかった!!



----------------------------------------------------
その憎しみを自分が受け入れたとき、憎しみの陰に隠れていた気持ちに気づいた

淋しい…

私はずっと淋しかった。
私はほんとは ずっとずっとずっと… 淋しかったんだ―



子が生まれ、どう育てたらいいか不安いっぱいだった時、私は頼りになる母を求めていた。しかし、それができない孤独と不安と怒りを、母の代わりに夫にぶつけていた!

こうして、私は周囲のあらゆる事に人に、そしてわが子に、孤独と不安と恐怖と怒りをぶつけて生きてきたんだ。



----------------------------------------------------
子が不登校になって1年後の4年前のこと
サイコドラマで、私は幼い頃にタイムスリップした。
母に頼れない象徴的な場面が不意に蘇った。

父の妹への暴力。
恐怖にすくむ私。
「早く行きなさい」と私に言う母!

私は妹役を抱きしめながら、母役に向かって叫び続けていた。

「お母さん、○○を守ってあげて!」
「母親ならこどもを守らなくちゃだめだよ!!」
「抱きしめてあげて!!!」


わが子を抱きしめられなかった私が、
そう迸るように叫んでいた―



----------------------------------------------------
私と妹の関係が姉妹ではなく、母と娘のような関係だったことも、これでわかった。すぐに動けなかった罪悪感と母への絶望。

そして、わが子の不登校で妹に苦しみを打ち明け号泣したとき、対等な人間関係に戻った。わが子が正常に戻してくれた。

私がわが子を抱きしめられなかったことも、
夫をはじめ、周囲に怒りをまき散らしてきたことも…

もう大きな塊が出たから、もういい。
過去に囚われるのはもうこれきりにしよう。
子どもをどう育てたらいいのかもわかってきた。

よくやってきたな私。
よく生き延びてきたな私。
あとはただ、ただ前を向いて歩こう。

私は最後に、当時通っていたカウンセラーの膝に顔を埋めて泣いた。
もうこれで、1年にわたるカウンセリングはおしまい。
新しい日々が始まる。



----------------------------------------------------
…しかし、その本に出逢ってしまった。
講演を聞いた友人の薦めで、たまたま読んでしまった本。
「あなたの子どもを加害者にしないために」

今まで読んだどの本よりも、装飾なしで核心をずばりつく内容
一ページめくるたびに自分に突きつけられる辛さ
それをはるかにしのぐ、「やはりそうだったのか」という納得の気持ちが辛さを乗り越え次々にページをめくらせた

一昨年の暮れ、私はメールを出していた。

実は、爆発的に湧き上がってくるさまざまな思いを「過去のこと」にしてしまおうと、優等生みたいにきれいごとで済ませてしまった直後から、異常なほどの疲労感、からだのこわばり、頭の重さに悩まされ、整体の先生に「心臓が弱っている」とまで言われていた。

夜中に心臓の真裏の筋肉が痛み出し、生まれて初めて死を身近に感じ、恐怖におののき、涙がとまらなくなった。パニック障害ってこれかも…と思いつつ、
・こどもたちに伝えたいこと、言い残したことがある。
・連れ合いにもいいたいことが山のようにある。
・クソ親父が長生きしているのに、私が早死になんて絶対におかしい!
・やっと自分の気持ちを感じ、自由を味わえるようになったのに!
・とにかく今は死にたくない。悔しい!
と激しく思っていた。

そして、電話した。
電話を切った後、キャッホー!!とほんとに飛び跳ねた。
私の中の子どもが喜んでいるのがわかった。

ぜんぶ丸ごと気持ちを受け止めてくれる人がいるというだけで、こんなにも気持ちが楽になるとは!
ものすごく気持ちが楽になり、肩や背中や肋骨のこわばりが柔らかくなっていった。

孤独を感じていた私が、自分を見守っている人がいるという確かな手ごたえの中で安心感を味わい、動き始めた……。







<そして、疾風怒濤-覚醒に次ぐ覚醒、自分の変化を映す鏡のようにパワーアップしていく子どもたち、それにつれて変化し始める夫、変わる家のたたずまい、義母との関係、そして実の両親への理解と赦し……ジェットコースターのように1年が過ぎます>

その最後にポコンと出てきたのが、「誕生のトラウマ」でした。

この方は過去5年にわたって自分と向き合われてきました。
その都度家族と格闘し、そして必要なサポートを得ながら。

そして、だんだんと深層へ深層へと降りて行かれ、より深く自分と向き合う準備が整ったのでしょう。私のカウンセリングの1年は、爆発するインナーチャイルド、逆襲するインナーペアレンツ、足を引っ張る存在不安の三つ巴の闘い―カウンセリングなど受けなきゃよかったと思えるような闘いでした。

闘い終えて「革命」が成り、親への思いを手放すことができて
1年後にやっと「親の子」から「子の親」になることができました。



『子どもに導かれよ
 この言葉を何度も反芻してみた

 そういえば
 今まで娘はいつも「真実」を言ってきた。
 今は娘が真実だけを言っていたことがわかった
 だけど、私は勝手に解釈して、
 言っていることがチンプンカンプンだった
 そうだろうと思う。
 だって今まで私は「母親」ではなかったから
 気持ちを受け止めることを知らなかったから。

 でも、今私は「母親」だ
 母親になったという確かなものがある 』



母親になれたと言うことは、連鎖を断ち切ったと言うことです。
なぜなら、今や自分自身が源流だからです。

1年に及ぶ格闘の中で、この方は人間を取り戻し、自分を取り戻し、人の親となったのです。

そして、自分が「母親」となれたからこそ、深奥にあった原初的インナーチャイルドが出てきたのです。



フラッシュバックをはじめとする苦しみは、自分が受け止められるギリギリのものしか出てきません。自分を壊しては元も子もないからです。

この方は、5年に及び自分と向き合い続ける中で、自分を強くして行かれました(ホップ)。

ついで、私のカウンセリングで世代間連鎖に立ち向かい乗り越えました(ステップ)。

その結果、母親となることができ、だからこそ、母親に受け止めてほしい原初的インナーチャイルドが飛び出してきたのです!(ジャンプ)

自分の人生の基調低音としてあった「不安」と「恐怖」。
それをもたらした原初的トラウマを、この方はたった一人で乗り越えました。

もはや、恐れるものは何もありません。




人生脚本の根底にあった「不安」と「恐怖」。
これまで感じてきた思い、考えたこと、話してきた言葉、やってきた行動…その全てが、この脚本上のものでした。

今は、その脚本を完全に捨て去ることができます。
代わりに、真新しい、まばゆいくらいに真っ白な脚本をその手にしているのです。

そこには、どのような人生を描くこともできるのです。

What A Wonderful World !!





【Louis Armstrong 「What A Wonderful World」】

赤ちゃんが泣いている

私は、その成長を見守る

私が知っていることはほんのちっぽけなこと

もっと遥かにたくさんのことを学ぶだろう

私は思う この素晴らしき世界

そう 私は思う なんて素敵な世界!





…この素敵な世界を「私」にもたらしてくれたのは、

そう、不登校になったわが子でした。

問題のある子は、親を素敵な世界に導いてくれる存在なのです。

わが子に感謝!






「いい子」は万病の元



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私も辛かったのよ

この記事はとても共感してしまいました。私の母も、私を愚痴のゴミ箱に散々使ってきました。あまりに辛くて、今までのことを責めたら「私も辛かった」「お母さんも大変だったのよ」と自己弁護と周囲があまりに母のことばかり味方するので、本当に私は生きてて意味がないと感じてしまいます。
実父の親族がまたこじれた人たちで、再婚した母は、すべてを一人っ子の私になすりつけていきました。
いたわりの言葉すらなかった。実父が亡くなって、親族のとげのある言葉を受けたのは、私だけ。母娘で仲良く暮らしていたなら、その言葉も甘んじて受けるけど、ずっと母の愚痴のゴミ箱だったので、当時はどんなに絶望した心境だったか。一人っ子なので、語る相手すらいない。
そして、母はまた複雑な人生を歩んでいる義父を嘆いている。私はもう自分を食い物にする母とは関わりたくない。
しかし、母は自分を大切にして、生きてこなかったため、友人も利害関係があり、利用される立場が多く、そのような人がいない。
なので、しわ寄せが私に来ます。
結婚して家を出てるのですけどね。心労で本当に中学の頃から、毎晩泣いて過ごしてる感じ。夫と暮らせて、初めて心の平穏を保てた気がします。でも、私が辛いのは理解できないみたい。
学生時代も散々いじめられたし、職場では、いつも厄介事を押しつけられたり、愚痴や悩み事の駆け込み寺化させられて、もううんざりしています。
変わりたいと思いつつ、そう簡単にはいかなくて。早く私の人生なんて、終わってしまえばいいのにと感じてます。
なんで産まれてきたんだろう。
夫との間に子供を作れないのは、自分の中のわだかまりが、まだあるから。でも、やっぱり夫や親族には理解がなくて、子供のことを話題にされると、なんで結婚したのだろう。結婚できたのだろうかと、よくわからなくなります。

 
    
 
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