教育行政のなぜ?(2)~「ゆとり教育」が「学力低下」を招いたメカニズム
「原因(ゆとり教育)」→「結果(学力低下)」という単純な話ではない。
「ゆとり教育」が目指したことについて、各学校がどのように取り組んだのかという取り組み姿勢によって大きな差が出ている。
では、学校の問題なのか、というと学校だけの責任には出来ない重要な要因がある。
幸い、私は、転勤により2つの対照的な小学校を見ることができた。その2つの小学校の実態から、問題点を考えてみたい。
N小は、授業に先生の試行錯誤の工夫があり個性が出ていた。父親の参観も多かった。宿題も多く、学級便りもいろんな子供の様子を一人一人挙げてあり良く努力されていた。家庭との「連絡帖」の応対もまめであった。作品展は活き活きとした生命力がほとばしっており、夫々の作品がしゃべっているように感じた。あれだけ個性を出せるのは、学校が自由な雰囲気を持っていないとできないことだ。全校挙げての“N小祭”は、子ども達の努力と工夫の集大成で、子供たちが輝いていた。
先生達は、自分達の時間を挙げて、子供達と付き合っているような印象であった。その裏には、校長のおおらかな方針があった。
一方のB小。下校時刻が早く、かつ宿題も殆どない。先生の子供にかける労働力が圧倒的に少ないのである。作品展もせず、廊下に展示してある程度。その作品からはN小のようなエネルギーは感じられず作品がつまらない。参観日も親が少ない。授業に先生の工夫はなく自分のやり方を頑なに押し通しているだけで子ども達の心が離れていた。“触れ合い祭り”とは名ばかりで、子ども達はPTAが販売するバザーに買いに行くだけ。
校長の方針には、自分の事は自分でしなさい、という突き放したニュアンスさえあった。
学校から早く解放された子ども達が何をしているかと思えば、「塾」である。「塾」という存在を大前提に、完全に役割の一部を「塾」に預けてしまっているように見えた。
地域が息づいている中にあるN小は、ゆとりを先生の創意工夫と生徒の創造性を伸ばすことに生かした。
地域がバラバラな中にあるB小は、ゆとりとは先生の労働時間の単純な削減だった。
N小は地域の中で息づいていた。
B小はがらんどうの箱になった。
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新聞に書いてある「ゆとり教育」になった結果、『成績低位層が増加する「二極化」が進行』したということの実態が上記なのである。大半は指導要領に従いさえすればいいと安易に流れた。
その背景にあるのは?
上記に見るとおり校長の方針と地域の力だ。
校長が「自己責任」と言ってしまえば教師の負担は軽くなる。が、そういうことをのうのうと言える校長の背景には、それを支える社会の価値観がある。
父親は母親に子育てを任せ、母親は学校に教育を任せ、入試のためのスキルを訓練する塾が補完機能として既に社会に組み込まれている。分業の仕組みが出来ているのであれば、後はそれを利用すればいい。学校は、指導要領に従いさえすれば怒られることもなく手抜きが出来る。あとは、「自己責任」と言っておけばよい。
法律やお上の方針に守られる中で手抜きをすることは、耐震偽装問題を見るまでもない。今やそういうやり方で生きていくことが蔓延しているようにさえ見える。
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そうさせないためにはどうすればよいか。
建築に関しては、現場を頻繁に見に行けというのはよく言われることである。
また、子どもが親に見られていると発奮するように、教師も親に見られると発奮する。
そして、やはり男が仕事をしているのであれば、その現場を男が見てあげることが、最大のモチベーションアップにつながるのだ。
「ゆとり教育」が成功したN小は、父親を含めた多くの親が見に行っていた。
「ゆとり教育」を手抜きにしたB小は、親が学校任せだった。父親は母親に任せ、母親は学校に任せ、という「分業という名の無責任の連鎖」の中にあった。
前回書いたとおり、父親のあり方、もっと言えば、この社会を覆っている価値観の問題にメスを入れなかったこと―それが、学校が安きに流れ、学力が低下した原因の背景にある。
前回の同じことを書かせていただく。
父親は、家庭や学校や地域に「本気」で向き合わなければならないのだ。