社会が家族を追いつめている(不登校編)
2006/02/22(Wed) Category : 不登校・引きこもり
標題は、「あなたの子どもを加害者にしないために」第7章のタイトルである(括弧除く)。当に「社会が家族を追いつめている」ことを深く実感した話―
(以下の文はご了承を得た上で掲載しております。同じように追いつめられているご家族の救いにつながれば幸いです)
中学生の息子さんのことでのご相談だった。
その父親は、これまでにもいくつかのカウンセラーに当たっていた。が、週1回1、2時間行くことを繰り返しても埒があかなかった。また、息子を連れてこいと言われるとどうしようもなかった。息子は行かないから。
そして、私のところにたどり着き、メールを頂いたのだ。
住まいは閑静な住宅街にあった。いい大学を出た親が大企業に勤め、近隣には東大、京大に行った子どもたちがあちらにもこちらにもいる地域。
高校は完全に序列化されており、中学は生徒を高校へ振り分けるための機関となっていた。驚くべきことにJ高校の併願はK高校という具合に併願のセットまでが決まっていた。つまり、どの高校に行くかで、その生徒の学力が世間から見えるのである。
私は、少年Aが住んでいた町を思い出した。
『少年Aが住んでいた町は、新聞に次のように紹介されていました。
「三分の二が一部上場の四企業の従業員。町全体が社宅のようなもの」「“あそこの子は京大。あの子は高校中退。立ち直ったけど結局四流大学。”近くの主婦がそらんじてみせた」「地域全体から監視されている雰囲気」(97.07.19 朝日新聞「進学先競り合う街」)』
【「あなたの子どもを加害者にしないために」より転記】
しかし、それをさらに上回っていた。
内申点で推薦その他が決まるため、いい子の皮をかぶらなければ上がれない。当然、生徒の行く末を左右することになる教師は絶大な権力を持つようになる。進路についても生徒の希望は許されず、三者面談は先生がその生徒が行くべき高校をご託宣する場だった。
私は、ふとここが日本なのかどうか疑った。もしや、知らぬ間に拉致されて北朝鮮に迷い込んだのではないか…と、
「運動会は北朝鮮のようでした」
その父親は言った。毎日のように練習し怒鳴り声。一糸乱れぬ統率。そして軍隊のような行進―。
私がその中学にいたら、まぁ1年は持たなかっただろう。
あの「あきらめの壁をぶち破った人々」に書いた“岩山次長”と過ごした日々を思い出した。恐らく月曜から金曜まで日々自分が磨り減っていくはずだ。土曜日はグッタリと疲れ、日曜日にかろうじて自分を取り戻し、そしてまた磨り減っていく―その繰り返し…。地獄である。
息子さんにも会った。
極めてノーマルだった。
私だってそういうことがあれば行かないだろう。
ストレス源から距離を置くのが鉄則。
かといって全く行かなくなるわけではなく、自分に無理がないように中学と付き合っている。ある意味、随分大人だ。
「ご苦労さん」
私は彼に言った。
「ホッとしました」
息子の行動は理解できず、対立がエスカレートしていたご両親は言われた。
ご両親から見ると、時折学校に行かない息子が不安だった。
が、おかしくなっているのは、その地域の“現実”の方であった。
しかし、その“現実”に取り囲まれ、その価値観を空気のように呼吸しており、頭の先から足の先までその空間の中にいるため、ご両親はその現実を相対化することが出来なかった。
ご両親が悪いわけではない。
社会が家族を追いつめていたのである。
『外からの客観的なお話を伺うことができ、大変心がやすらぎました』
『今まで不安であったものが、殻が外れるように、取れたような気がしております』
『普通の子だと言われたことで私共は本当に心が軽くなりました』
そう、御礼のメールを頂いた。
ご両親は、この道しかないと思い込んでいた自分たちの考え方の方が硬直化していたことに気づかれた。息子さんが気づかせてくれたのである。
このように子どもは親に、あなたの生き方はどこかおかしいよ、無理があるよということを気づかせてくれる。
(*「炭坑のカナリア」のように自分を取り巻く環境に異常があることをいち早く察知して警告を発する役割をする人のことを、家族療法ではIP(インデックスパースン)=「指標となる人」と呼ぶ。IPの方は、その人が属するシステム(環境、仕組、制度、ルールなど)がどこかおかしいことを、身をもって警告している。)
「スタンドアップ」という映画のように、親が子どものせいにせず、子供を守ることを決意した時、親は立ち上がる。そのとき親は、その地域社会の現実に立ち向かう革命児となる。あのジョージーの父親のように。
といっても、社会を変えようなどと無理はしなくていい。
その地域社会の“競争”から一歩降りるだけでいい。
しかし、それはとても勇気が必要な一歩だ。
私はそこを支えたい。
社会の常識がおかしくなりつつある現代、大人一人一人が立ち止まって、今自分がやろうとしていることを考えなければならない。そして、社会の常識が無批判に家庭の中にまで侵入しないように、親が防波堤となって家庭を守らなければならない。
(以下の文はご了承を得た上で掲載しております。同じように追いつめられているご家族の救いにつながれば幸いです)
中学生の息子さんのことでのご相談だった。
その父親は、これまでにもいくつかのカウンセラーに当たっていた。が、週1回1、2時間行くことを繰り返しても埒があかなかった。また、息子を連れてこいと言われるとどうしようもなかった。息子は行かないから。
そして、私のところにたどり着き、メールを頂いたのだ。
住まいは閑静な住宅街にあった。いい大学を出た親が大企業に勤め、近隣には東大、京大に行った子どもたちがあちらにもこちらにもいる地域。
高校は完全に序列化されており、中学は生徒を高校へ振り分けるための機関となっていた。驚くべきことにJ高校の併願はK高校という具合に併願のセットまでが決まっていた。つまり、どの高校に行くかで、その生徒の学力が世間から見えるのである。
私は、少年Aが住んでいた町を思い出した。
『少年Aが住んでいた町は、新聞に次のように紹介されていました。
「三分の二が一部上場の四企業の従業員。町全体が社宅のようなもの」「“あそこの子は京大。あの子は高校中退。立ち直ったけど結局四流大学。”近くの主婦がそらんじてみせた」「地域全体から監視されている雰囲気」(97.07.19 朝日新聞「進学先競り合う街」)』
【「あなたの子どもを加害者にしないために」より転記】
しかし、それをさらに上回っていた。
内申点で推薦その他が決まるため、いい子の皮をかぶらなければ上がれない。当然、生徒の行く末を左右することになる教師は絶大な権力を持つようになる。進路についても生徒の希望は許されず、三者面談は先生がその生徒が行くべき高校をご託宣する場だった。
私は、ふとここが日本なのかどうか疑った。もしや、知らぬ間に拉致されて北朝鮮に迷い込んだのではないか…と、
「運動会は北朝鮮のようでした」
その父親は言った。毎日のように練習し怒鳴り声。一糸乱れぬ統率。そして軍隊のような行進―。
私がその中学にいたら、まぁ1年は持たなかっただろう。
あの「あきらめの壁をぶち破った人々」に書いた“岩山次長”と過ごした日々を思い出した。恐らく月曜から金曜まで日々自分が磨り減っていくはずだ。土曜日はグッタリと疲れ、日曜日にかろうじて自分を取り戻し、そしてまた磨り減っていく―その繰り返し…。地獄である。
息子さんにも会った。
極めてノーマルだった。
私だってそういうことがあれば行かないだろう。
ストレス源から距離を置くのが鉄則。
かといって全く行かなくなるわけではなく、自分に無理がないように中学と付き合っている。ある意味、随分大人だ。
「ご苦労さん」
私は彼に言った。
「ホッとしました」
息子の行動は理解できず、対立がエスカレートしていたご両親は言われた。
ご両親から見ると、時折学校に行かない息子が不安だった。
が、おかしくなっているのは、その地域の“現実”の方であった。
しかし、その“現実”に取り囲まれ、その価値観を空気のように呼吸しており、頭の先から足の先までその空間の中にいるため、ご両親はその現実を相対化することが出来なかった。
ご両親が悪いわけではない。
社会が家族を追いつめていたのである。
『外からの客観的なお話を伺うことができ、大変心がやすらぎました』
『今まで不安であったものが、殻が外れるように、取れたような気がしております』
『普通の子だと言われたことで私共は本当に心が軽くなりました』
そう、御礼のメールを頂いた。
ご両親は、この道しかないと思い込んでいた自分たちの考え方の方が硬直化していたことに気づかれた。息子さんが気づかせてくれたのである。
このように子どもは親に、あなたの生き方はどこかおかしいよ、無理があるよということを気づかせてくれる。
(*「炭坑のカナリア」のように自分を取り巻く環境に異常があることをいち早く察知して警告を発する役割をする人のことを、家族療法ではIP(インデックスパースン)=「指標となる人」と呼ぶ。IPの方は、その人が属するシステム(環境、仕組、制度、ルールなど)がどこかおかしいことを、身をもって警告している。)
「スタンドアップ」という映画のように、親が子どものせいにせず、子供を守ることを決意した時、親は立ち上がる。そのとき親は、その地域社会の現実に立ち向かう革命児となる。あのジョージーの父親のように。
といっても、社会を変えようなどと無理はしなくていい。
その地域社会の“競争”から一歩降りるだけでいい。
しかし、それはとても勇気が必要な一歩だ。
私はそこを支えたい。
社会の常識がおかしくなりつつある現代、大人一人一人が立ち止まって、今自分がやろうとしていることを考えなければならない。そして、社会の常識が無批判に家庭の中にまで侵入しないように、親が防波堤となって家庭を守らなければならない。
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