荒川静香 2:荒川静香を支えたコーチ
『幸せなお酒』というブログでは、交替したモロゾフコーチが次のように言ったことが書かれている。
『静香のイナバウワーは世界一だ』そして、『二人の気持ちは一致して、「イナバウワー」を入れた世界選手権優勝時のプログラムにもどしてオリンピックに挑むことになった』
最後に『自分らしく生きることの大切さのようなものを見せてもらった気がした』と結ばれていた。
全く同感だ。
そして、恥ずかしながら今さらにこれらの経緯を知って、ますます私にとって荒川選手は印象深い選手となった。
これが基準、これで評価する、と決められれば人間そのモノサシに沿って動こうとする。それが“成果”と見なされ、逆にそのモノサシから外れたものは成果と見なされないからだ。
オリンピックの選手に選ばれるためには、前コーチの“イナバウワーは無駄”という方針に従うしかなかった。
しかし、最高の舞台を手にしたとき、彼女は基準に従うのではなく自分に従った。自分のやるべきこと―“世界一のイナバウワーを魅せる”ことに従ったのだ。魅せやすくするために曲も変えた。彼女は自分のわがままを通したのである。
もし、彼女が採点基準に則り前コーチの方針に従っていれば、あのような見ている者を魅了する溌剌とした演技は出来なかっただろう。
しかし、そこにいくまでに、大きな葛藤、逡巡があったに違いない。直前に曲目を変えた挙句もしもメダルを取れなかったら…。わがままと言われ、非難を受けていた未来図があったかもしれないのだ。
ギリギリまで大きな葛藤と闘い、そして曲目を変えるという決断をしたとき、既に彼女は競技をおりていたのではないか。彼女は腹を決めたのだと思う。自分が提供できる最高のものを世界に見せる。競技のためにではなく、見てくれる人のために、そして自分のために滑る―そう、覚悟を決めたのだと思う。
既に他の選手は眼中になかったのだ。どうすれば、より見ている人に感動してもらえるすべりが出来るか。彼女の焦点はその一点に絞られていたのだろうと思う。だからこそ、「クール」なすべりが出来、そして思いもかけぬ結果に「驚いた」のだろう。
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競争から降りる。
『社会が家族を追いつめている』でてきさんちぇさんやおたきたおさんからコメント頂いた通り、一度レールから外れると復活の難しい日本社会あって、これは、そうそう簡単なことではない。
『それはとても勇気が必要な一歩だ。私はそこを支えたい』-そう思う。そして、モロゾフコーチはまさしくそのような役割を果たしたのではないかと思うのだ。
同じくマイミクのまゆみさんが、ブログにこう書かれている。
『囚われ」って漢字、自体、
人が四角の箱の中に入っている字でしょ。
この囚われを解くには、
まずリアルな問題に遭遇して、
困った状況があって、
そこに、
その囚われのない人が、
じっくり側にいて関わっていくというのが、
たぶん一番、効果的。
それってコーチングだよね。』
まさしくこのような状況にあるご家族を、私の場合は家族カウンセリングしてきたわけだが、モロゾフコーチも同じような役割を果たしたのではないかと思う。
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「決意」と「支え」があれば、人は大きく羽ばたくことが出来る。陰の立役者、モロゾフコーチに拍手を贈りたい。
そして、支えあいましょう♪