「自分の感受性くらい」―茨木のり子さんのメッセージ
環境とは、本来言葉を発しないものだが、今やあれこれとうるさく迫ってくるからね…私が空気のような父親になりたいと思うのも、その反省からだ。
地域社会の常識に巻き込まれて家族が追い詰められていく事例を書き、
組織の常識の中で個人が追い詰められていく事例を書き、
上の方針で追いつめられてる現場を書いた。
そして、現場を無視した一律の押し付けの中で死者が出ている。
かように、社会や会社の常識は、時としてその“常識”の方がおかしいことがある。
例えば、性表現についての“社会通念”が時代とともにどんどん変化しているように、“常識”と言われるものも同じ所にとどまっていない。変化の激しい日本のような社会では、世代によって“常識”も異なる。
環境や社会の仕組みは“常識”に大きな影響を与える。
その中に巻き込まれて論じていると自分を見失う。
特に頭でっかちであればあるほど巻き込まれて自分を見失いやすい。
自分を見失わないためには、自分のやりたいこと、役割はなんなのか、もう一度自分を見つめなおすこと。そして、その自分を理解してくれるサポーターを見出すこと。
また、守るべきものを持っていると強くなれる。
荒川静香にとってのイナバウワー、「スタンドアップ」の父親にとっての娘
そして、一人一人守るべきものを既に持っている。
それは、感受性だ。
私は、世間の常識に惑わされないために、
「自分の感性を信じて下さい」
と、その中学生のお父さんに申し上げた。
マイミクのはららさんが、茨木のり子さんについて書いておられた。
そこに、『自分の感受性くらい』という詩が紹介されていた。
あぁ、今の私たちに必要なことだ―そう思った。
この詩をご紹介いただいたはららさんに感謝して、掲載したい。
茨木のり子さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。
「自分の感受性くらい」
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
わたしが一番きれいだったとき―母に捧げるレクイエム