清原和博―心優しき少年の物語
「引退試合を用意してくれたのは、天国の仰木監督だった」
―そのナレーションを聞いたとき、涙がブワッとあふれた。
ガンに冒され、余命幾ばくもない仰木監督。
清原のために、何とか花道を作ってやりたい。
死ぬ前の貴重な2ヶ月を、清原獲得のために動いた仰木監督の熱い思い。命をかけた仰木監督の思いが清原を救った。
救った仰木監督にも、救われた清原にも涙が出た。
「清原の野球人生は、母を背負った野球人生であった」
―そのナレーションを聞いたとき、何とも言えぬ複雑な思いだった。
なぜ、ジャイアンツだったのか。
あれほど西武時代に輝いていた男が、なぜ
ああまでしてジャイアンツだったのか。
その謎が、私なりに腑に落ちていたからだ。
以下は、極めて個人的な“私の思い”である。
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…野球狂の家庭。
その雰囲気の中で野球に開眼した清原は、野球と幸運な出逢いをしたのだろう。でも、野球にも勉強にもスパルタ特訓をする母親の姿には、オヤオヤと思って見ていた。
そして、あの不可解なドラフト劇。
このようなことがあるから、社会がおかしくなるのだ、と、当時からそう思っていた。目的のためには手段を選ばない―その風潮を社会に広める原因ともなったと思う(だから私は、ナベが嫌いだ)。
この時、母親が言った。
「私は、ジャイアンツのファンをやめる! 今日からライオンズのファンになる!」
おぉ、よく言った―そう思いつつ見ていた。
次の転機はFA宣言後、清原の獲得競争があったとき。
「タテジマをヨコにしてもいい」とまで言ってくれた阪神(オイオイ)。
一方、「来たいなら来い」と言わんばかりのタカピーな巨人。
トップの姿勢は組織の末端にまで現れるもの。
人を道具に扱うようなところに行くんじゃない。
自分を安売りするな。
おぉ、席を立って上等上等。それでいい。
…ところが、清原が帰宅し、「どっちの帽子が似合うかな」と母に問いかけたとき、母はキッパリと言った。
「あんたの夢は巨人にいくことだったでしょ!」
違うだろ!!!!!!
内心、私は叫んでいた。
あ~~~~、これかーーーーーー!
悔しかった。
この一言が運命の分かれ道だったのだ。
この後清原は、自分の居場所ではないところで地獄を見つつ、巨人にしがみつくことになる。しかし、ついには巨人を解雇され…その清原を救ったのが、「大阪に帰って来い。お前の最後の花道は俺が作ってやる」と声をかけてくれた仰木監督だった…。
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妻が言った。
「あんたが被ったら、どんな帽子も似合うよ。って私なら言うなぁ」
その通り!!
その一言があれば、どれほど清原は楽になっていただろう。
どちらを選ぶにせよ、彼は母親という重荷を背負わずに、自分の人生の選択として選べたたはずだ。
(とはいえ、母の思いを背負っている子は、この言葉にさえ母親の未練を感じて道に迷うかも知れません。子が欲しいのは、自分の選択に対する「それでいいよ」という心からの肯定なのです)
あぁ、しかし彼は“巨人の選手として活躍する息子”という「母親の夢」を背負ってしまった。巨人にいくのは、清原の夢ではなく母親の夢であったのだ。
西武であれだけの活躍をしながらも、何となくこのままではいけないと不安になったのも、それでは母親に認められたことにならないからかもしれない。大リーガーになる道だってあっただろうに日本にとどまったのも、巨人の選手になるという母親の夢を叶えるためかもしれない。
無理な肉体改造をしたのも、復帰したスポーツマンはいないという大手術を敢行したのも、偏に巨人で活躍するという母の夢を叶えるため。
無意識だろうけれど、その一念で、彼は自分をディスカウントし続ける組織に居続けた。
ボロボロになって居続ける理由さえ分からなくなったとき、彼は入れ墨を彫ろうとした。空虚な自分を支えようとするとき、人は何かを背負おうとする。背負っているものがある、と自分に言い聞かせることで自分を立たせようとするのだ。清原は、悔しさを入れ墨に変えてまで、自分の支えにしようとした。
清原が大切な大切な自分のバットで、穴だらけにした自宅の壁。
我に返り、神聖なる自分の相棒をそんなことに使ってしまったことに気づいたとき、彼は大きなショックを受けたことだろう。
そして、その「壁」は無言で自分の前に立ちはだかっている「母親の期待」ではなかったのか…。
その壁の穴を塞いでくれたのは、妻。
そして、塞ぐために使ったのは、子どもたちの作品。
清原の傷ついた心を救ったのは現家族であった。
引退するとき、清原は母親をおんぶした。
背中の母親に彼は言う。
「野球、やめるわ」
「ごくろうさま。ありがとう」
清原は、初めて「許可」を得た。
もう、母親を背負わなくていい。
そして彼は、
母を降ろした…。
家族カウンセリングを通して思うこと。
子は切ないまでに親を思っているということ。
子は、親の期待に添うように生きているということ。
無意識のうちに苦しい生き方をしている人を沢山見ているせいか、私の目にはそのように映ってしまった。
誰が悪いわけでもない。
しかし、切ない物語である。
私の心に映ったのは、心優しき少年の物語―
お疲れさまでした。
ゆっくりと、休んでほしい。
そして、自分を支えてくれた現家族を大切にしてほしい。
それから、ゆっくりと一息ついたら、
今度は野球を楽しんでほしい。
これからは、本当の意味で「俺は俺」であり続けることができるよ
【長渕剛 「とんぼ」】
私もこの歌は好きで、カラオケでもよく歌ったものだが、
「東京」の部分…“巨人”とか“母親”とかに換えても
しみるね…。
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