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裁判員制度―システムズアプローチから見た問題点

2009/05/18(Mon) Category : 裁判員制度
裁判員制開始まで3日。

裁判員制度に反対です』を書いたのが1月15日。
その翌日に『「仮面の家」を、あなたは裁けますか?』を書き、2月6日に『第1部-3、“関係性”の視点で問題を見る』で提起して早や3ヶ月経ちました。
アッという間ですね。


…このようにして日常は流れていきます。
その間、日々、目の前に向き合わなければならない出来事があり、感情があります。それらに向き合っていくことこそが、最も大切なことであり、人々が自分の気持ちを大事にし、身近な人を大切にして生きていけば、そもそも犯罪など起こらないでしょう。

人々は皆、それぞれの個性に応じた使命を持って生きていると思います。その持ち場持ち場で思いっきり自分を輝かせて生きることができれば、そもそも裁判になるようなこと自体が起こらないのです。

そのような使命を中断してまで関わる裁判とは、一体何なのでしょう。連日開廷して数日間拘束されるということですが、その間に、自分の行うべき事は中断されるのです。
その町に一人しかいない医者が裁判に関わることになればどうでしょうか。国会議員が重要な案件の審議中に裁判員になったらどうなのでしょう。

さらに、その人は、その人が直接関わりのないことに責任を持てるでしょうか。



★心を切り捨てた社会システム----------------------------------------

もっと大きな目で裁判員制度に至る流れを見てみましょう。

前の記事で紹介した地産地消の「げんきの郷」。あのように人と人とが直接触れ合う場では、農家の方が言っていたようにごまかしなどききません。私も、個々人を対象とするカウンセリングという仕事をしていますから、ごまかしはききません。

人々が、「市場」という目に見えないものを相手に仕事をするのをやめて、目の前にいる人々を大事にする仕事の仕方に変わったら、働き方も社会のあり方も自ずと変わっていくでしょう。

儲けるために社会があるのではなく、一人ひとりが幸せになるために社会があることが分かるでしょう。そして、人生をいきいきと楽しんで生きることこそが幸せであり、人のためにもなることが分かるでしょう。そういう社会を目指すことが、私たち一人ひとりの本当の思いであるはずです。


しかし、そうしたいのにそうできない…。
問題の根っこにあるのは、目の前にいる人を大事にできない社会の仕組みなのです。便利さとスピードを追究するあまり、「心」と「人の関係性」は邪魔にされていきました。

そして、人は匿名化し「生産者」と「消費者」という単純な役割に二分され、さらに生産者はパーツ化され、消費者は記号となって「市場」という概念の中に埋没していきました。

市場至上主義の中で人の「心」は顧みられることはありません。人は市場で覇権を得るための道具となっていきます。特に便利さや効率を求めるが故の「スピード」は心を置いてけぼりにします。

さらに「改正教育基本法」「改正労働者派遣法」「障害者自立支援法」「改正介護保険制度」「改正生活保護法」……改正の名目で行われた改悪。自立の名前をつけられた切り捨て。特に小泉政権以降、置いてけぼりになっていた「心」は完全に切り捨てられてしまいました。




★その社会システムを維持するための裁判員制度------------------------

当時の小泉首相は、「痛みを伴う改革」と盛んに言ってましたが…

『ぬくぬくとした安全地帯から戦場を眺める貴様らのようなものが、「痛み」とかいうものを、さも崇高であるかのように仕立て上げ利用する!』【「鋼の錬金術師」22巻より】
鋼の錬金術師22巻


つまり、これまでも述べてきたように戦争後遺症(存在不安の世代間連鎖が第三世代に到達していること)、及び存在不安を埋めるために時間空間を埋め続けてきた文明のあり方が末期に来ていること、さらにマネー至上主義で労働も実体経済までも空洞化させる上記の政策や制度が施行されたこと。これらのことが、人を追い詰め犯罪を重篤化させているのです。

そうした歴史の流れや社会体制にメスを入れずに、裁判員制度を導入していること自体に私は危惧を覚えます。上記にあげた数々の「改正法」が人を追い詰めたように、制度というものは、現行の社会システムを維持するために機能するからです。


事件が増えているということは、そのシステムが破綻していることを示すサインなのですが、事件に対応するには、そのように自分と環境(システム)の関係を見る目を持ち、自分を相対化できるほどに人々が自律し成熟している必要があります。

ところが、現代社会は構造的に人を成熟させないシステムになっており、大人になれない大人、モンスターペアレントやハラッサーが蔓延している社会なのです。あなたの周りを見まわしてみてください。一体どれほどの人が自律していると言えるでしょうか?

そういう社会環境の中にこの制度を強引に導入するということは、結果的に社会システムの破綻を覆い隠すために、また人をシステムに従わせることになってしまうのです。

なぜなら、動員される方々は、この社会システムの中で生きている方々です。現代の社会システムが押し付けるものを「常識」として呼吸している方々です。「私は常識があるから裁判員ができる」と自信を持っている人ほど怖いのです。

しかも、その人々がかかわるのは「数日間」!
人を追い詰めるスピード追求の社会システムの中でのスピード審理。
ここに、この制度の本質が表れているように思えてなりません。

こうして善良な市民が罪の意識もなく、時として正義とさえ思いつつ、アリバイとして国に利用されてしまうわけですね。本人達は気づかないままにイネーブラー(悪しき状態を維持する人)の役割を担わされることになってしまうのです。体制維持のための極めて巧みな方法だなぁ、と思えてしまいます。


作家・高村薫氏も違う観点から、『市民感情を根拠に裁判を行うということは理解ができない』と述べられているようですが、同感ですね。
http://www.videonews.com/interviews/001999/001444.php




★現代の事件の“裁き方”3ステップ----------------------------------

私が「あなたの子どもを加害者にしないために」を書いたのは、全てを個人の責任に帰して終わらせようとする社会のあり方に警鐘を鳴らすためでした。事件や事故から社会が何も学ばず、事態は悪化していく一方だからです。

これまでの事件への対処の仕方は、大まかにいうと次の通りです。
1.
まず、事件が起こると事件当事者間(加害者と被害者)にどういうトラブルがあったのか、という直接的因果関係を求めます。そして、そこで何らかの納得性のある事実関係をつかむとそこで終了。

2.
しかし、そこに納得性のある事実が見あたらなければ、次に加害者の内的要因(心因)に迫っていきます。ここで時に不毛の議論が起こります。検察側は事実を基に納得性のあるストーリーを創り上げようとし、弁護側は心神耗弱などで事実そのものに対する責任能力を否定して、結局は両方ともに真実から遠ざかっていくことになるのです。

3.
そして、そこでも原因が分からない場合に、いわゆる精神鑑定なるものが採用されますが、これは結局「加害者個人の精神状態がおかしい」ということでけりをつけてしまおうということです。「加害者が異常」と個人のせいにしてしまえば、ましてそれが先天異常ということでもあれば、じゃあ私たちはどうしようもなかったね、と社会はそこで責任を切り離して事件を終了させることができるからです。

しかし、それが本当の解決にはならないこと、被害者の救済にもならないことがお分かりだと思います。なぜなら、「真実を知りたい」―それこそが、被害者の心からの願いだからです。




★自分と向き合わないですむ仕組み------------------------------------

ではなぜ、そういう方向(ベクトル)で社会が進んできたのか?
それは次の3要因にあると思います。

1,集団や関係性を丸ごと問題の対象としてとらえる座標軸(システムズアプローチの見方)が、社会に定着していないこと
2,だから、親を含む“環境”にまで問題の対象を広げると収拾がつかなくなると思っていること
3,また、親を含む“環境”の中に問題が発見されると、自分たちが変化を迫られることになるから

そう、面倒ですね。だから、あくまでも自分たちと事件を切り離しておきたいのです。でもね…

「この中にカンケーないヤツなんていない」【「ライフ」20巻より】
ライフ20巻


このように、事件当事者とその周囲の関係者を併せて見る視点こそ必要なのです。




★加害者も被害者も社会システムの犠牲者------------------------------

加害者も被害者も社会システムの犠牲者です。

問題を起こす人は、そのシステムがおかしいと訴えている「炭坑のカナリア」なのです。そのカナリアを「迅速に」「わかりやすく」処罰してしまおうというのが体制側の意図のように思えてなりません。

その結果どうなるでしょうか。以前も書きましたが…

『エネルはお前たちのように国外からやってくる者達を犯罪者に仕立て上げ、裁きに至るまでをスカイピアの住人達の手によって導かせる。これによって生まれるのは国民達の“罪の意識”。

己の行動に罪を感じたとき、人は最も弱くなる。
エネルはそれを知っているのだ
「迷える子羊」を自ら生み支配する
まさに“神”の真似事というわけだ』

【ワンピース第27巻より】
国民に“罪の意識”を植え付ける裁判員制度


国がやるべき事は、国民を裁判に参加させて人を裁く共犯者に仕立て上げることではなく、事件を犯した人が心を開いて(さらにいえば、自分でさえも分からない無意識にまで気づかせ)真実に到達できるような態勢を整えることでしょう。

「真実を知りたい」―それが、被害者の心からの願いなのです。

それには、多くの人の目にさらされることではなく、じっくりと1対1で話しを聴く体制(仕組み)こそが必要なのです。そして、短期間では人の心は開きません。



「定額給付金」のように、国民の意に反しても国会を牛耳る一部政党が一旦決めてしまえばやってしまうのか(まぁ、そーなんですが)。
では、戦争も同じような決まり方をすればやってしまうのか(これほど第三世代が戦争後遺症で苦しんでいるのに)。
では、国が資源開発競争を始めれば、地球を貪り食うことになって自滅が見えてもやってしまうのか。

私たちは、今何に支配されているのか?

…話がそれました。
ともあれ、傷を深めないうちに、早期に制度自体の再考を願うものです。




明日から、『「仮面の家」の裁判員できますか?』再開します。






【ご参考】
犯罪・事件の取り組みに問われるもの
「犯人の追及」ではなく「真相の追究」が大切
「問題」と「事件」への関わり方
私が「あなたの子どもを加害者にしないために」を書いた時の危機感

*以上、「はじめての方へ」に含まれているコンテンツです。



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