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第2部 生き方モデルがいなかったりょう先生-1、りょう先生の父親と家族の確執

2009/05/18(Mon) Category : 仮面の家
第2部 生き方モデルがいなかったりょう先生

■1、りょう先生の父親と家族の確執----------------------

りょう先生の父は高小を出て裕福な米屋に丁稚に出ます。
歌舞伎、文学に傾倒した粋人である米屋の主人は、まめに働く上に、給金の中から文学全集を買って読むその小僧を見どころがあると見込みます。
男前でもあり番頭に出世する頃には、名門女学校に通う末娘のお嬢さんに思いを寄せられるようになり、結婚。りょう先生の父親は逆玉の輿で米屋の跡を継ぐことになりました。

しかし、戦時統制経済により、りょう先生が4歳の頃に米屋は廃業。
父親は仕事を転々流転し、お嬢さん育ちの母親がリヤカーを引いて野菜の行商をしながらその日暮をするという貧困生活に陥ります。3人兄弟の長男であるりょう先生は、小学校に入る頃から母の手伝いをするようになりました。

一方の父親は、貧困にもかかわらず相変わらず文学に傾倒する趣味人で夫婦喧嘩が絶えず、父に反発する姉とも庭で取っ組み合ったり、火鉢を投げつけたりの大喧嘩状態でした。



----------------------------------------------------
なぜ、ここまで激烈になったのでしょう。
丁稚に出されたりょう先生のお父さんも、自分の安全基地(居場所)を自分で求め、自分の心を自分で救わなければならない人でした。
りょう先生はお父さんを趣味人と見ていますが、お父さんにとって文学は米屋の主人に気に入られるものであると同時に、自分を支える言葉を与えてくれるものであったかもしれません。

つまり「趣味人」とは、お父さんにとって米屋の主人が示してくれた「生き方モデル」であったのではないかと思います。

お父さんは自分を支えることで精一杯で、夫にも父親にもなることができませんでした。その精一杯の自分をどんなに責められても、自分で自分を支え続けるしか術がないのです。ですから、文学を手放すわけにはいかなかったでしょう。

しかし、お父さんが「生きる術」とした文学は、家族にとっては趣味にしか見えません。自分たちより文学を優先する父親が全く分からない家族にとっては、自分たちが見捨てられているように感じたでしょう。

方や自分の背骨とまでなっている「生きる術」。
方や家族まで見捨てて傾倒している「趣味」。

文学に対する立場の違いが、相互理解不能なまでの確執と対立を生んだのではないかと思います。




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